仕事の事情などでブログへの投稿を怠ってしまい、申し訳ございません。
今回は、使徒パウロによる聖書の一説であるが、一般の信徒にも主への道を配慮していただけている一節を掲載したい。
わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていて
ほしい。未婚の男子は主のことに心をくばって、どうかして主を喜ばせようとするが、
結婚している男子はこの世のことに心をくばって、どうかして妻を喜ばせようとして、その心が分れるのである。
未婚の婦人とおとめとは、主のことに心をくばって、身も魂もきよくなろうとするが、結婚した婦人はこの世のことに心をくばって、どうかして夫を喜ばせようとする。
わたしがこう言うのは、あなたがたの利益になると思うからであって、あなたがたを束縛するためではない。そうではなく、正しい生活を送って、余念なく主に奉仕させたいからである。
もしある人が、相手のおとめに対して、情熱をいだくようになった場合、それは適当でないと思いつつも、やむを得なければ、望みどおりにしてもよい。それは罪を犯すことではない。ふたりは結婚するがよい。
しかし、彼が心の内で堅く決心していて、無理をしないで自分の思いを制することができ、その上で、相手のおとめをそのままにしておこうと、心の中で決めたなら、そうしてもよい。
だから、相手のおとめと結婚することはさしつかえないが、結婚しない方がもっとよい。
妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。夫が死ねば、望む人と結婚してもさしつかえないが、それは主にある者とに限る。
しかし、わたしの意見では、そのままでいたなら、もっと幸福である。わたしも神の霊を受けていると思う。
一般の信徒は聖職者のような奉献生活を送ることはなかなかできない。
だが、信心の道に外れないよう、努力が必要である。
あくまで一般のものであっても 「主の愛への賛美、主に栄光」
全生庵 http://www.theway.jp/zen/
言霊百神 http://futomani.jp/
どうなのでしょうね、あまり教会では、このような話題が出ませんので・・・
信仰とは関係ないからでしょうね。
パウロは心が広い・・・