◆今になって「あと八年でEV化移行なんて無理だっ!」なんて欧州が泣き言をこぼしてるが……w
自動車世界大手の仏ルノーがEV事業から日産・三菱を排除する方針を示唆……だそうです┐( ̄ヘ ̄)┌
まあ、いいんじゃないですか?
仏ルノーといえば、ゴーンを送り込んで日産を乗っ取ろうとしたフランスの国策企業ですが(棒)、日本側の反撃に遭い、すったもんだあった挙句、その距離を取り始めていたんだとか(-"- )
今回のEV事業から日本側の排除ですが、現行の三社連合の今後については協議するとみられているんだとか。
ま~三社連合については、全固体電池の開発など10~15の具体的なプロジェクトを共同で進めている点などを強調し「運用面ではどんどん良くなっている」と成果をアピールする一方で、EVの分社化に関しては「日産、三菱が参加しなくてもそれはそれでいい」と述べてるんで、世間ではもっぱら、
「テクニカル問題のある全固体電池の開発は、実質日産三菱にやらせ上前を撥ねる……が、旨味の大きいEVの利益は独占したい」
という本音が聞こえるようだと、その思惑は見透かされています ( ゚д゚)、 ペッ
まあ、いいんじゃないの?w
テスラのようなハイブランド化し高価格帯に特化した形態なら「売れれば」儲かるだろうけど、現時点で既存メーカーにとってEVって美味しいのか? というと疑問ですし(´д`)
課題は、社会の電力供給インフラの増強に、給電施設、設備の普及。
そしてなによりもバッテリーの問題が――現行のリチウム電池では、大容量になると発火や事故の際の爆発の危険性が増しますし。
それに何よりも、欧米はもちろん中国を始めとする世界に普及させるには資源の枯渇や生産(再生再利用含む)や廃棄の際に生じる廃棄物、環境破壊の問題をどうするか?
あるいは熱帯や寒冷地といった寒暖差の大きい地域で生じるバッテリーの信頼性……と、問題山積みです┐( ̄ヘ ̄)┌
さらに、一方で、こんな話もあるといいます。
なんでもルノー・グループの研究開発部門を統括するジル・ル・ボルニュ氏が、欧州連合の提案する2035年のハイブリッド車禁止案を非難し、
「インフラの整備速度やEVの相対的コストを考えると2040年がより現実的な期限である」
と主張してるんだとか(棒
よーするに、あと八年でEV化移行なんて無理だ――って、自白してるんです。
と、いいますか、現行のウクライナ危機で生じた欧州のエネルギーにおける混乱を見るに、八年やそこらでエンジン捨てて百%EV車社会に移行だなんて、欧州に限ってもそんなの無・理というものでしょう┐( ̄ヘ ̄)┌
だいたい「脱炭素だのSDGsだの」綺麗ゴトを口にしていますが、本・音・は、欧米メーカーが雁首揃えて日本車にまるで敵わないモンだから、EVに逃げて一発逆転を狙ってるダケですからね~(-"- )
もう手口がバレてるのになっ! しかもその手口がえげつない。
そう、不利になるとルールを変えるのが欧州の“やり方”。
実際、スポーツのルールでも、そんなのがありましたな(棒
スポーツで散々に白人に都合よくルール変更を……柔道でもスキージャンプでも水泳でもやり腐りましたが、次世代の車市場の主導権でも同じように欧米でルールを定め、勝負の土台から引っ繰り返して逆転を狙ってんでしょうが……
全ての車をEVに!……なんて、欧州内だけですら不可能でしょ?
オマケに欧州も、なんで特別な技術も持たないのに電化に走ったんだろうな。
バッテリー、供給電力……全てに目処が立たないのに。
オマケに、これは以前から言われていたことだが、車をすべてEVに切り替えるには、コバルト他の希土類が全然足りないとか(´_`。)
そもそもEV車は、航続距離と充電時間が問題ありありですし、バッテリーの寿命の短さや温度差に不安が(消耗の激しさや、発火問題)も致命的で、どう考えても絶対主流にはなれないんじゃないでしょうか?
なのに、つくづく欧州って学習せんな(-"- )
だいたい欧州が「クリーンディーゼル!」なんて“詐欺”をやってる間に、日本はHV車で技術を磨き――内燃機関自動車とEV車の進化の途上ともいえるHV技術で、今では日本車企業は他の追随を許さぬ強さを見せているのですよ?
それと、繰り返していいますが、“HV車はEV車に応用可能な技術の宝庫”です。
環境、燃費等日本のハイブリットに勝ち目がないからってEVを持て囃してるんだろうが、日本メーカーはハイブリットの段階でガソリンに頼らなくても、EVとしてやっていけるのに、そこでエンジン降ろさせたら、ソコにバッテリー積まれて、さらに技術的に突き放されるダケなのがなぜわからないw
実際、次世代電池技術でもモーターでも、EV車に関わる核心技術の開発や特許でも日本は(現状でも)トップを走ってるんですが?(棒
また、現行のバッテリー研究の進捗状況を見るに、全固体電池が実用化――それも車載可能な大型のモノが普及しない限り、まだまだ内燃機関は廃れないでしょう。
廃れないどころか、燃費やエンジン効率、環境への配慮を考えると、やはりHV車が最適解なのは今後しばらくは変わらないんじゃないでしょうか?
あと、ルノーをはじめ欧州の自動車メーカーは、EV化でその傘下の下請け企業をも切捨てることを選んだよーだけど、今後欧州は大量の失業者を抱えることになるのを判ってるんだろか?
もちろん、これを吸収する新しい労働市場あるいは業界を立ち上げる必要がある訳だけど……アテはあんの?
欧州は昔から自分たちの“優位性が常に正義とする利己的な思想”を持つ国家郡でしたが、ビジネスでのシェア争いに負けると判断されたら、マスコミや学会などの第三者組織から、もっともらしい主張を世界的なキャンペーンで繰り返し報じさせたり、紛争や環境問題を利用して自分達に有利なルールに変えて従わせようとする。
これがヨーロッパの常套手段、やり方な ( ゚д゚)、 ペッ
なのに日本は、欧州が仕掛けた『世界的なEV化の流れ』なんてデッチ上げられた流行に騙されて、欧米の押し付けるルールに付き合おうとしてるけど、それでも、
「肝心なのは持続可能性……SDGs、脱炭素で気候変動を抑えるコでしょ?」
と、トヨタなんかがEV一本槍ではなく、水素自動車とか今までの内燃機関技術を生かせれる自動車の道を模索していますが……コッチが正解なんじゃないんですか?(´_`。)
それなのにルールを変えるとか、変に楽な方にすぐ行くからこうなるんだよ。
安易に「EV、EV」といっても、それはせっかく磨いたガソリンエンジン等の技術をむざむざ捨てるようなモノなのですから!
実際、現時点でもホンダは2000人以上の早期退職を募り、ホンダ城下町の失業不安を増大させています。
いうまでも無く影響は自動車メーカーに留まらず、その周辺にも及び、多くの中小企業やそこで働く人々の職にも多大な影響を与えるでしょう。
なんせEVに転換していけば自動車の部品点数の内三分の一が“減る”といいますからね~(棒
当然、ホンダ、トヨタに代表される日本の基幹産業は立ち行かなくなります。
さらに自動車業界はEVが普及すると、買い替えが対象の新車販売ではなく、売った新車のバッテリー交換する方向にシフトするコトが予想されているんで、だからこそトヨタの豊田 章男社長は、
「1000万台の生産台数は五分の一(!)、200万台に激減し、工場閉鎖、人員整理という深刻な事態に追い込まれる」
と主張しているくらいです(´□`。)
それでも根がマジメで素直すぎる日本では、EV車のラインナップも増やし欧州の規制に合わせようとしていますが、商用車を除いたとしても乗用車を置き換えられるほどバッテリー資源が無いことは明白ですし、ガソリンやディーゼルといった燃料自動車を規制してEVへの転換だなんていうだけで他業種全部が割を食うハメになる悪手だってコトは誰の目にも明らかです。
まあ、経済性(回収コスト)無視していいなら、バッテリー資源の希土類は海水からの回収という手段があるんですが(これだと需要を満たせたハズ)……
無論、そんなコスト度外視の話に“実現性”はありませんから、HV車の技術を磨き、環境問題からその代替えとするにしても、ガソリンエンジン等の技術を生かせる水素燃料への転換を模索しているのです。
まあ、ニッポンはそんな感じなんですが、一方で結局、欧州はどうしたいのですかね?
ドイツやフランスでも、昔からの内燃機関技術を継承し積み重ねて来た車メーカーや、それを支える部品メーカーはまだまだ多く存在します。
なのに、それらの技術を捨て去りEV車への転換を急ぐのはどういうことなのでしょう?
EVへの転換は自動車関連だけでも、多くの中小企業やそこで働く人々の職にも多大な影響を与え、倒産や失業を山のように築き、それで利を得られるのは株主と企業幹部やEVのデザインや設計技術職といった一握りの面々です。
その他の多くの人員や下請け企業は働く場を失います。
結果、欧州社会は有望な産業をまた一つ喪い、貧困と格差は広がるばかりでしょう┐( ̄ヘ ̄)┌
◆経済とは経世済民で、近江商人の三方良し! こそがこれから求められる考えかっ
さて、EV促進の是非はともかく、脱炭素といった環境や気候変動に目を向けるコト“自体は”まちがっていないと思います。
その対策を真剣に考え取り組もうとするコトもけっこうですが、それはSDGs――持続可能な経済活動でなければなりません!
そして“経済”とは、本来そういうモノでなければならないんじゃないでしょうか?
その経済とは経世済民で、企業には社会の需要(サービスや製品の提供)を満たし応えるのも重要ですが、同時に社会に対して『雇用、労働の場』を提供する責任というモノもあります。
無論、この社会の要求に近年『環境』が加わりましたが、公害対策など公共の健康や環境に配慮するのなんぞはそもそも近代社会の企業として当然の責務です。
途上国や新興国、そしてかつての日本や欧米の企業も、工場廃水を煤煙を垂れ流し、工場の周辺住人の健康を害したり自然環境を破壊したりすることもしばしばありました。
いえ、現行でも途上国や新興国では、規制が緩やかだったり法の整備が進んでなかったり――なによりも公害や環境対策を行う人の意識が低く、野放しだったり、目先の儲けを優先して規制を破ったり無視することも多いです。
しかし80年代以降、少なくとも日本では、厳しい世論とさまざまな公害訴訟の結果改善が行われ、今では都市部においても排ガスや工場からの排気によるスモッグやPM2.5などの大気汚染は無くなり改善され、海や河川では規制や環境改善が計られた結果、
「瀬戸内海の海など“逆に”海が綺麗過ぎて栄養が無くなり漁業や養殖で問題が出ている」
というホド綺麗になりました(苦笑
また、日本の優れた“環境にクリーンで高効率な石炭火力発電”も効率性の追求と共に、どれだけ排気ガスを出さないか? 追求した結果、生み出されました。
本来、経済活動を行う企業は、もちろんその目的は『企業利益を上げる』コトでしょうが、同時に、単なる数字上の利益だけでなく、雇用や、その供給する製品やサービスを通して社会の需要に応え生活レベルや幸福度を引き上げ、快適で安定した社会を築く一助となり一員となるベキでしょう。
会社企業は誰のモノか?――とは資本主義の入り口、基本的な話でしょうが、「会社企業とは“株主のモノ”である」という答えは完全なる正解ではありません。
少なくとも私はそう思います。
では『正しい答え』とはなにか? といいますと今回話してきた通り、エコノミーの経済ではなく、経世済民の経済ではないのでしょうか?
いうまでも無く企業を立ち上げるには、企業家とそれに出資する資本(投資家)が必要です。
しかし、その集まった資本と事業案を持つ企業家が「どんなに素晴らしい製品、サービスのアイデア(企画)」を持っていても、その製品を作りサービスを提供する従業員や技術者、作業員工員など(労働者)がいなければ始まりません。
そして、その労働者は雇用され収入を得ることで同時に消費者にもなり得ます。
社会――いわゆる共同体というのは、そうした需要と供給のバランスの下、回りそして発展していきます。
近江商人の三方良し! 売り手良し、買い手良し、世間良し とは経世済民の経済を、よく言い表した言葉ですが、対して今の欧米の新資本主義は、まるで資本を増やす為に企業はあるかのような「考え違え」のやり方は、ご覧の通り極端な格差社会や富の偏重、中間所得層の没落と低所得貧困層の増大の結果、さまざまな問題を引き起こし行き詰っています。
むろん企業である以上、出資してくれた株主には配当を還元し儲けねばなりません。
しかし雇用を維持し会社を大きくしていくコトも大事ですが、他にも、そもそもその企業会社には社会が求めるサービスや製品を供給し、社会の需要を満たし満足させると同時に社会全体の生活環境レベルを上げて行くコトも求められます。
ですから需要に応える為に生産する際にも、公害を生み出してはそもそもなりませんし避けるのは当然の責任です。
その上で今まで提供してきたより良き製品やサービスを研究開発して販売提供していく努力を常に求められます。
その企業努力に社会は購買購入で評価と対価を払い、そーして回っていくのが私たちの社会経済です。
資本主義が社会主義や共産主義より優れているのは、ひとえに「市場競争によって」対価と評価が直接企業とその製品サービスに下され淘汰されるという点です。
厳しい話ですが、社会の求める需要に合わなかったり、競争に敗れた企業は売り上げの低下やはなはだしくは倒産などの形で淘汰されます。
……ですがよほど時代に合わなくなったり、世間のニーズから外れた製品サービスを提供し続けない限り、企業は存続しますしなくなりません。
また倒産や廃業しても、それでおしまいではなく経営者も従業員もまた別の企業会社に就職したり起業して再生して行きます。
そうやって経済活動の新陳代謝が行われるから――好況不況の波があり時にはバブルなんかもありますが、再び立ち上がるコトもできます。
一方で社会主義的に国営にして「儲け度外視で社会の為に経済の為に儲けよりも安定が重要な」業界や分野も社会には存在します。
それが電力事業や上下水道事業から警察、軍隊、消防などの公共性の高い仕事です。
こられらは空気や水と同じく社会を成り立たせ経済を回し安定させて行く為に必要不可欠であり、なおかつ「儲けや効率性」よりも「安定性や安心」が求められます。
ですので多くの国は国営や公務員業務として扱われています。
まあ、この辺の話は始めるとまたこれはこれで長くなるので今回は、ここまでにしますw
◆今の世界は、まるで“貪(トン)”と呼ばれる怪物そのものか?
さて、話を戻しますと今回、冒頭から取り上げたEV車社会への移行は、経世済民の経済の理よりも、いささか『人為的な思惑』の色が濃く、出発点から“歪んでいる”といわざるを得ません。
EV車社会促進で謳われる「SDGs」や「脱炭素社会」などのスローガンは美しいのですが、一方でいささかなんとも強引なようにしか思えません┐( ̄ヘ ̄)┌
そう感じるのも、SDGsや脱炭素社会で、それを達成する手段としてEVをはじめ太陽光や風力などの再生可能エネルギーの利用促進などが持て囃されていますが、その一方で原子力や火力発電は『石炭賞w』などといって揶揄され嘲られていますが……本当にそうなのでしょうか?
確かに原子力や火力発電には事故やその廃棄物排出物などに問題はあります。
しかしその一方で原子力や火力発電には安価で安定した電力供給という利点があります。
また“意識高い系(のア・ホども)”が持て囃す、EVや太陽光や風力などの再生可能エネルギーですが、実はよーく見ると多くの問題を抱えています。
EVは、その根幹を占める大容量バッテリーにおいて安全性と、生産と廃棄の際に多くの環境に問題のある廃棄物を生じさせるなどがありますし、実際の使用においても航続距離や充電のインフラや、そして電力需要の増大という問題があります。
太陽光や風力などの再生可能エネルギーは陽光や風に頼るコトから設置場所を選びますし、なによりも発電量の安定性に難があります。
またソーラーパネルは製造と廃棄の時にバッテリー同様、多くの環境に問題のある廃棄物を生じさせますし、風力も現行の『巨大風車形式』では音害や渡り鳥などの環境への害がありますし、一箇所に多くの風力発電の為の巨大風車を作りますと気流の流れを乱し予想外の気象災害を引き起こしかねません!?
また、故障時や老朽化して廃棄する際の問題も多く原子力や火力発電といった従来の安定した発電方法と本当に取り替えて行くべきだというホドのモノなのか? 疑問符が付き始めているのも現実です。
まあ、そもそもがEVも再生可能エネルギーも「十年かそこらで」今現在利用されている内燃機関の自動車や、原子力や火力発電から全て入れ替えてしまおう! というのですからもともと乱暴な話だったんです┐( ̄ヘ ̄)┌
先に紹介したルノー・グループの研究開発部門を統括するジル・ル・ボルニュ氏が
「八年でEV化移行なんて無理だ」
と言ってるのは正直であり、事実そうでしょう。
そりゃ、無理すればできるかも知れませんが、それは「脱原発といって隣のフランス(原発大国)から電気を買ってるドイツ」みたいに見せかけだけの自己満足にしかならないでしょう┐( ̄ヘ ̄)┌
もし本気で、環境に配慮して脱炭素、気候変動に配慮した持続可能な社会を“地球全体で”構築したいなら――ハッキリいいますが欧米をはじめとする世界は『日本』を仰ぎ見習い、その力を借りるベキです!
小型原子炉から高効率のハイブリッド火力発電、HV車から水素自動車、数々の公害対策、環境美化技術まで、気が付いてみますと日本には今とこれからの世界が必要とするSDGs――環境に配慮し持続可能な社会を築き維持していく為のシステムや技術が山ほどあります。
世界からの評価に『惑星ニッポン!』なんて言葉があります。
これは賞賛の言葉で、世界的に見て(良い意味で)信じられないようなコトがあっても、それが日本での話だと海外の方々は「ああ、日本だからw」と納得してしまうんだそーです(苦笑
とはいえ日本も、まだまだ改善すべき問題や悩みを抱えた普通の国です――そう思ってるのは日本人だけかもしれませんが。
なにせ外から日本を見た時、その安定した社会を構築し、安全安心な共同体を築き維持している姿は、まるで『異なる星、異なる世界』の話のように見えるそうですから( ^-^)/"☆
まあ、そこに住む日本人からすれば、様々な問題を抱え決して満足のできるモノではないのですが(棒
天国の住人の悩み――なんて言葉が思い浮かびますが……
自分たちが、どれだけ恵まれていて豊かで安心安全な生活ができているのか? それが当たり前になると「なかなか自覚できない」モノです┐( ̄ヘ ̄)┌
日本人は、このニッポンは、ふだんまるで自覚していませんが、世界でも飛びぬけた豊かさと技術力を有す国を築いています。
戦後、一時――いえ、今も自虐史観なんて余計な鎖が絡みついていますが、そんなもんサッサと振り払って日本社会と日本人は、これまでの祖先や先人が築き上げて来てくれた大きな財産と、与えられた教養や能力の高さを“自覚”するベキです。
これは思い上がりでもなんでもなく、また錯誤でもなんでもありません。
欧米や中国が仕掛けるEV促進や太陽光や風力などの再生エネルギーを主とした電力源への転換は「これから失敗する」でしょう――それも盛大に!
すでにコロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻で始まった世界的な構造転換(グローバル化の終焉、デカップリング構造の促進)で、グレタ嬢をはじめとする綺麗事好きの戯言はどっかにいっていまい、電力の確保や安全保障の為に――現実の前に終わってしまっています┐( ̄ヘ ̄)┌
欧州に電力恐慌来てるのに、そんな『お遊び』にかまけてはいられません!
実際、ドイツなぞロシアからの天然ガスを断念する代わりを探して、原子炉の再起動どころか火力発電(石炭)の炉に慌てて火を入れようとしています(-"- )
そりゃそーです、「脱炭素、環境に配慮しないと数十年後、一世紀後、世界は終わる」などと、いくらグレタ嬢などの若造どもが騒ごうと、「今、電力が失われたら……」文明社会は一日たりとて維持できず、その瞬間、崩れ、多くの死人すら出ることになります┐( ̄ヘ ̄)┌
これまで持て囃されていたEV車促進や脱炭素、再生可能エネルギー、SDGsなぞしょせん「意識高い系のファッション」に過ぎず、コロナ禍や戦争(ウクライナ侵攻)などの危機の前では拭き飛ぶような“その程度の”話だったんです。
そもそも、先進国がいくら頑張ろうと、中国をはじめ地球の面積と人口の大部分を占める途上国新興国の人々が垂れ流していては何にもなりません。
それでもSDGs――持続可能な発展と生産活動という考え方自体は、なにも間違っていません。
根本的に間違っていたのは、環境にしろ脱炭素にしろ「それを“利権化”しよう」という人間の欲深さ、浅ましさでした(´_`。)
環境テロリストや反核反原発運動やら再生エネルギー関連事業利権に炭素権取引……よくぞまあ「善意を装った押し付け押し売り」で儲けようと色々考えるもんです ( ゚д゚)、 ペッ
呆れを通り越して感心してしまいますね……その際限ない欲深さには(-"- )
中国の故事には“貪(トン)”と呼ばれる貪欲を象徴する怪物の話があります。
そのバケモノは欲張るだけ欲張り、世界を食いつくし、その貪と呼ばれる怪物は、そのままに肥大化するだけ肥大化して最後には弾ける……んだそーな(-"- )
今の世界は、いってみれば貪と呼ばれる怪物そのものです。
貪欲な欲望のまま資本は暴走し、独裁者は権力を占有し横暴に振るうばかりで一向に満足せず、一方で環境破壊や自然、気候変動に憂慮し未来に心曇らす……かと思いきや、そうしたコトすら虚栄心や権益に絡めて利用しようとする!
このままで行けば自滅するんじゃないでしょうか?
まあ、かといって“救い”がないワケではないですがね?
格差社会や富の偏重、温暖化などに対する懸念や何とかしなければと心配をする人々や、無法な侵略侵攻を怒り、許さぬ声も“また”現代社会の世界の真実の一面です。
欲望のままに振舞おうとする一面も、他者を気遣い、弱き者を助け不正不公平に怒りを覚えるのも、どちらも現代社会が持つ一面であり裏表分かつコトはできません。
それでも世の中を良くしたいと思う心がある限り、試行錯誤しながら時に間違うことがあろうともなんとかなるんじゃないでしょうか?
「今の世界は、貪と呼ばれる怪物そのもの」ではないか? と私はいいました。
ですが現代文明を築き上げた人類は、醜いモノも生み出しましたが、同時にそれよりも、もっと多くの素晴らしいモノも生み出してきました。
そんな人類を私はできれば“信じたい”と思うんですが……そして特に日本には善きコトを世界に与える多くの力があると思うんですが――いかがでしょうかねぇ?
これに米国と英国、そして欧州の国々が賛同して日本と共に歩む……まあ、今の足の引っ張りあい、嫉妬まみれの世界を見ている限り難しいそうですが(爆
ただ、日本は世界から好意的に認知……特に若者世代に、してもらっていますので(それが漫画やアニメが入り口だろうがっw)これから十年、二十年先には欧米をはじめとする世界の方々が、日本を危険視、敵対(ライバル)視せず素直に手を結べるように変わっているかもしれません。
まあ、諦めず、良き未来を信じて今できることを成すべきことをやっていくしかないんでしょうね……
さて、皆様はどう思われますでしょうか?
ではでは失礼いたしますm(u_u)m
最期にっ!w 今回も落書きをUPしておきますw
お目汚しですがよろしくお願いします (`・ω・´)ノ
――― ・ ――― ・ ――― ・ ――― ・ ――― ・ ――
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