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今日はハルさんの話を...♡

 

 

 

 

 

 

我が家の長男、ハルさん

小学校2年生ですが、まーあ学校では

色々とやらかしてくれているようで。

 

先週は、図書の時間に勝手に図書室を抜け出し

職員室の先生総出で探してくださったようで。

 

連絡帳にそんなことがありました、と書いてありました。

 

 

 

校舎内で見つかったので良かったのですが、

連絡帳のみで終わりな感じの学校(というか支援担)の

対応にもモヤモヤしていたり。

 

何もなかったからよかったのか?

本当に?

 

ハルさんの中の「教室を抜け出した理由」については

何も解決されていないんじゃないか?

 

 

同じような授業があったら、

また同じように抜け出すんじゃないのか?

 

 

とか、考え込んでしまっています。

 

 

 

 

 

 

本当はすぐにでも懇談したいのですが

来週、クラスの懇談があるので

その時にお話ししたいです、ととりあえず伝えました。

 

 

 

 

 

 

 

この授業のとき、

担任が途中から他の授業見学で不在、

支援担任も不在、サポーターも不在、

図書の先生3人のみでクラスを監督していたようで。

 

1人1人好きな本を読む時間だったのですが

ハルさん、満足に本が読めません。

 

 

そりゃそうですよね。

1年生の国語の教科書も怪しいレベルです。

 

文字は読めるし、単語くらいなら認識できます。

が、文章となると理解が難しい。

 

落ち着いてやればできるかもしれませんが

そもそも字に対して嫌悪感がすごいので

本を読めと言われて読めるような子じゃありません。

 

 

 

みなさんだったらどう考えますか?

 

 

この時、本を読まなかったのは

ハルさんのわがままでしょうか。

 

周囲のお友達よりも理解にかなり遅れがあるため、

読めたとしてもそこに使うエネルギーは

他の子の何倍も多いものだと思います。。

 

それをしない、できないことは「わがまま」なのか?

 

 

 

 

としょ という授業をカリキュラムとして組むなら

楽しめるように工夫してほしい。

本が楽しいものだと教えてほしい。

 

本の好き嫌いはもちろん人によると思うんですよ。

運動に好き嫌いがあるのと同じですよね。

 

 

 

 

じゃあ、なぜ体育の授業では担任不在なんて起こらないのに

図書の授業では起きてしまうのか?

 

担任が不在になれる授業がそこしかなかったとして、

図書室の先生に支援が必要な子について引継ぎはあったのか?

 

 

 

考え出したら止まらなくなってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

ハルさんは、どうして教室を抜けたのかと聞かれ

「おもしろくなかったから」と答えました。

 

支援の先生はハルさんに

「勝手に出たらだめ。先生に言ってからだよ」

と伝えてくれたようです。

 

 

 

 

ハルさんの「おもしろくない」という言葉に

どんな気持ちがこもっているのか。

 

言葉になっていない気持ちはないか。

そこを一緒に考えてくれる人はいないのか。

 

支援が必要でない子でも、

小学2年生の子が話す「理由」や「自分の気持ち」を

その言葉通り受け取っていては

教育や支援なんてできないんじゃないか・・・

 

 

 

 

 

 

連絡帳を見る前に、ハルさんが自分から

「今日、図書室から勝手に出た」と報告してくれました。

 

「なんでなん?」という質問には、同じく「だって、おもしろくないもん」

 

私はそのあと、

「本読むの難しいもんね~」と声をかけました。

 

 

 

自分から学校でのことを話してくれることが

まあ珍しいので、ハルさんにとっても

印象深い出来事だったのかもしれません。

 

最近は、嫌なことを話してくれることが増えました。

 

自分で言葉にして気持ちを整理しているのかな?

と思うと、なんだか成長を感じます。

 

 

 

 

学校でも、気持ちに寄り添った支援をしてほしい。

ハルさんの気持ちをおいてけぼりにしないで

どうか尊重してやってほしい。

 

それはすべての子どもにそうであってほしい

と私は願っているのだけども。

 

難しいですよね。

 

だけど、理想を持たないと絶対実現しないから

私は言葉にしていきたいな~

 

 

 

 

 

 

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