トラカリコン!

「虎・借り・コン!」。虎の威を借りた狐。虎の威を借りて吠える狐が私…。虎が何であるかは、本人にもわからない。

続々・法律と倫理の間で(2015年の旧統一教会名称変更)

2022-08-12 15:33:47 | アベスガ政治の仕上げ中?
8月12日の「ゴゴスマ」で、紀藤弁護士と前川元文科事務次官がリモート出演で解説。超うれしい。
ただ、二人とも、この件は適切なので名称変更を認証すべきではなかったしそうしても法に反してはいない・・・説の人なので、反対意見は聞けないのかも、と危惧。
だが、東国原氏などが疑問を出していたので満足。紀藤弁護士も前川氏(を含めた行政)にわりと辛口だった。




(Q1) 1997年に旧統一教会が名称変更したいという相談をしてきた時、説得して書類提出をあきらめさせた。が、その時に受理はしても審議会にかけて名称変更はしない、という結論を示せば良かったのでは。
(なお、申請に来た人の書類を受け取らず窓口で返すのは生活保護の申請の問題と重なる、と他の番番組で言われていた(by橋下弁護士 8月8日「ミヤネ屋」での紀藤弁護士との議論)。

(A1) その通り。
だが、審議会にかけるのは認証拒否と判断される件だけなので、審議会を経ても窓口で書類を受理しなくても、名称変更が認証されないという結果になる。当時はこの件に限らず同じように処理することが多かった。

・・・つまり、橋下弁護士が主張している「役人が勝手に動く」と言えなくもないが。結果が同じなら、相手に審議の結果を待させるのもなんだかなあ、とも思う。申請者にも文科省にもコストがかかるし。
(橋下弁護士が例にした生活保護申請で言えば、例えば規定より所得が多いなら窓口で説明してもらう方がいい。それと、文科省宗務部の担当職員が、自治体生活保護担当のうち問題となった職員と同じように悪質、と決めつける根拠もないのでは)

与謝野馨氏が文科大臣だったのは1994〜1995年。統一教会は違法行為などの問題を抱えた団体であるのを前提に扱え、と前川氏達は指示された(先週あたりに「ゴゴスマ」か「ミヤネ屋」で前川氏が言った)。
橋下弁護士も主張するように、有権者に選ばれた政治家に官僚は基本的には従うべき、しかも、社会事情に適合するごくごく真っ当な指示であれば、変更の指示がない限り、役人の判断基準になるのは当然のように思う。企業だって、パターン化できる件については以後いちいち上司に相談しないだろう。

なので、与謝野氏以降の文科大臣が省の役人達に方針転換を指示しない限り、与謝野氏の指示はルールのように扱われるのは有り、だと思う。




だが。

(Q2) 2015年には、旧統一教会は弁護士の教えを受けて、認証手続きでが申請書類が揃えば認証されるのが法の定めである・受け付けなければ訴訟を起こす、と文科省担当者に宣言。
だから申請を受け付けて認証した、というのが末松前文科大臣による説明だが、これはどうなのか。
法は認証をするもしないも保証しているわけではないのなら、裁判を受けて立てば、一般にもわかりやすかったしすっきり決まったのではないか。

(A2) 申請書類が揃えば必ず認証される、というのは間違い。
確かに裁判で争っても良かった。

・・・裁判の件は。
2015年だったからなあ。第2次安倍政権下の裁判って公正に行われたのかなあ。認証すべき、って判決が出たんじゃないかなあ。内閣法務局も検察も警察も、政権下で法がぐちゃぐちゃに扱われていたあの時代に、取り返しのつかない判決が出てそれが尊重される国になってしまうのは怖い。
(ちなみに、1997年頃は橋本龍太郎内閣だったが。2ヶ月入院したら他の病院に移るように決めたのはこの内閣だったのに、橋本首相の母親はずっと転院しなかったのが「首相動静」でばれた。そんな時代だった)






で。
橋下弁護士の「申請書類が揃ったら必ず認証されるというのが法の定め」と
紀藤弁護士や前川元文科事務官の「必ずしも認証されない」とでは
どちらが正しいのか?
それは裁判で決着をつけるしかないようだ。



参考にしたいのだが。
最近、横断歩道で4人の横断を待った左折車が、5人目の人から道を譲られたので進んだら道交法違反に問われた件があった。状況は再調査され(譲った人のジェスチャーや横断者は他にいないなど)、取り締まりは誤りだった、と警察が認めたのだ。

道交法第38条では、横断歩道の歩行者の優先を破れたら違反、と読める。
が、判例などを勉強した人なら常識だと思うが、法文はマニュアルのような完成品ではない。

憲法の判例をちょこっと学んだことがある。
数少ない憲法の条文だけで判決が決まる・・・なんていうことはなく。法律・省令・社会の実情・慣習・前例を動員して決まる。なので、憲法の条文だけから推測した判決と現実の判決は違ってあたりまえ。
そもそも、法律を完璧にアップデートするのは不可能なので、まんま使えるマニュアルにするとは限らない。敢えて裁判などの実務で現実に沿わせられるように曖昧に書かれている部分がある。
例えばイギリスの憲法は文章化されていない(というのは、私の中学時代の英語の教科書で読んだ。今もそうなのかは未確認)。




名称変更という認証行為と道交法による取り締まりは、違うのかもしれないし違わないのかもしれない。
ただ、紀藤弁護士と議論している橋下弁護士を、「弁護士って、読解力がある高校生でもできそうな職業に見えちゃうな」と感じた。
法律をマニュアル扱いできるなら、法律家の仕事は大部分をAIに置き換えられるだろう。裁判も減るだろう。少なくとも今はそんな社会ではないし、今後もそうあってほしいな。現実的に丁寧に働くなら、マニュアルは万能ではないからだ。
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