意識である「わたし」すべてである「わたし」が
この物理次元にフォーカスし、この身体を経験している
この「わたし」の本質を、センスする事、
経験的に知っていることは、
満ち満ちた喜びそのものである自分を感じ、
それを生きる土台
形あるものは、スペースがあるからこそ、認識でき、
形としての「わたし」も、形を超えた領域があるからこそ
形として現れ、認識される。
本質的に、すべてはつながっていて、ひとつであり、
個々、形として区別され、
さまざまな経験を生み出しているのは、
それ自身の喜びと、さらなる新たな形と経験の創造のため
物理マインドは、さまざまな物を区別し、
刺激を与え、新たな喜びの創造を生み出していくよう、
優れた機能を備えているが、
それを生み出している形を超えた、
本質的領域を忘れてしまうほどに没頭してしまうと
本来の自分を忘れ、本質的ないのちの喜びを忘れ、
何かが欠けているように感じるもの
その、本質的な「わたし」の喜びから、
断たれたような分離感、意識であるわたしを忘れた、
わたしは身体に過ぎないという意識は、
あらゆる不足の経験ネガティブな経験を生み出していく
マインドは、さまざまな夢を見させ、
さまざまな経験を与えてくれるものであっても、
ネガティブな分離の幻想を強めてしまうもの。
だからこそ、マインドを時に、鎮めたり、空っぽにして意識をひろげ、
ただ、快い、いのちの流れを感じることを許してみること
本来の自分を取り戻す感覚をよみがえらせることは、大切なこと