連載第16回
韓流時代小説 罠wana*魅入られて~日陰の王女は愛に惑う
(原題「化粧師パク・ジアン~裸足の花嫁~」)
ーその美しき微笑は甘美な罠か?
どこから見ても美少女のジアンには、秘密があったー。
「すべてのものから、僕が貴女を守る」
「あなたと出会わなければ良かった。あなたを傷つけたくないから、身を引こうとしたのに」
附馬とは国王の娘を妻に迎えた男性を指す。
いわゆる王の娘婿である。難関とされる科挙に
最年少で首席合格を果たしたナ・チュソン。
将来を期待されながらも、ひとめ惚れした美しき王女の降嫁をひたすら希う。
約束された出世も何もかも捨てて、王の娘を妻として迎えたにも拘わらず、夫婦関係はよそよそしかった。
妻への報われぬ恋に身を灼く一人の青年の愛と苦悩を描く。ー彼女はその時、言った。
「私と結婚したら、後悔しますよ」。果たして、その言葉の意味するところは? 官吏としての出世も何もかもをなげうって王女の降嫁を望んだ一人の青年。しかし、妻となった王女は、良人に触れられることさえ拒んだ。ー
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自分の突飛な宣言がこれほどまでに母を追い込んでいると思えば、心は痛んだ。けれど。
ここまで口に出したからには、チュソンも後に引くつもりはない。恋愛結婚ではなくとも、やはり当の王女の意思確認は必須ではある。しかし、父の言う通り、羅氏が降嫁先と言われ、敢えて国王が反対するとは思えない。
こんな言い方はしたくないが、正室腹でもない王女の嫁ぎ先としてはむしろ歓迎したい縁談だろう。当の王女が羅氏には嫁ぎたくないと言わない限り、チュソンはもう諦めるつもりはないのだ。一度口にしたからには、最後まで想いを貫く覚悟だった。
また歴代の王女たちの降嫁先を見た時、科挙の首席合格者に白羽の矢が立った先例は幾度もある。やはり王も人の親だから、見込みのある若者に娘を嫁がせたいという親心だろうか。
チュソンが首席合格者だという事実は彼を助けることになりはすれ、邪魔にはならない。
父が言おうとしていることは、チュソンにもおおよそは予測できた。案の定、ジョンハクは重々しい声で言った。
「附馬となれば生涯、政治の表舞台には立てぬ。そなたの才能をあたら埋もれさせるのか」
チュソンは唇に軽く歯を立てた。やはり、父はこのことを言おうとしていたのだ。恐らく母の胸中も同じに違いなかった。
国王の娘婿となった者は附馬と呼ばれ、生涯官職にはつけない。いや、官職は与えられはするが、所詮は飾りだけの名誉職、意味の無い代物だ。王の血を引く娘を妻に持った男は、死ぬまで王室で飼い殺しになる。それは無用の王位継承争いを避けるためだ。
王の娘の良人が政権を握り、万が一、自らが王座に座ろうなどと邪な考えを持たないために、附馬は政治とは関われない。
ジョンハクは溜息交じりに言った。
「チュソン、我が息子ながら、そなたは私の自慢だ。私は必死に勉学に励み、それでも科挙に合格したのは三十を目前にして何度目かにやっとの有様だった。父上のつてで早くから任官はしたものの、父親の引きで仕官したと随分と陰口を叩かれたものだ。それを言えば、本家を継ぐ兄上や他の兄たちも同じで、まともに試験を受けて任官できたのは、大叔父上くらいのものだからな」
大叔父というのは、祖父の叔父に当たる。高齢ゆえ隠居してはいるものの、若い頃は英才の呼び声が高く、科挙は初挑戦にして第二位で合格したという伝説の秀才だ。
ジョンハクは少し誇らしげに言った。
「その大叔父上ですら、初戦で合格したのは二十歳で、しかも二等だった。そなたは十七でいきなり首席合格した。私だけではなく、羅氏一門の誉れなのだ」
チュソンは叫ぶように言った。
「私にとっては、首席合格がさほど重要な意味を持つとは思えません」
「何を申すのだ。いかほどの者が首席を取ろうと時間と金を費やして勉強していると思っている! それでも、まともに試験を受けて合格すらできない人間もいるのだぞ」
父の言葉は道理ではあった。中には白髪頭になるまで受験しても、ついに合格できない気の毒な人もいるのが現実だ。
チュソンはうつむき、また顔を上げた。
「私の言葉が過ぎましたら、お許し下さい。さりとて、人の幸せとは何でしょう? 父上は母上と出会われて幸せでしたか?」
ジョンハクにとって予期せぬ科白だったのは明らかだ。チュソンは続ける。
「お二人が政略結婚だとは存じております。それでも、私の眼に映る父上と母上はとても幸せそうだ。父上、私もお二人のように幸せになりたいのです。仮に翁主さまが私などに嫁ぎたくもないと仰せであれば、私は潔く身を引きます。ですが、それまでは諦めたくありません」
母が唇を震わせた。
「諦めなさい、チュソン。王女さまを我が家に頂くなんて、大それたことを考えないで。分相応という言葉があることを知りなさい。羅氏とはいえども、私たちは末端に連なる分家筋でしかないのよ。本家ならともかく、国王さまの姫君は高嶺の花だわ」
チュソンは今度は母に向かい、きっぱりと告げた。
「私は諦めません。父上にも申し上げた通り、翁主さまが私の顔を見るのも嫌だとおっしゃらない限りは諦めません」
母が飛ぶようにしてチュソンの側に来た。父が止めるまでもなく、母の手がチュソンの頬に飛んだ。
「馬鹿」
チュソンは頬を押さえ、茫然と母を見た。
悪戯が過ぎて鞭で脚を打たれても、頬を直接はたかれたのは生まれて初めての経験だ。馬鹿呼ばわりされたのも初めてだ。
「母は先刻、言いましたね。分相応という言葉を知りなさいと。その意味が判りますか、チュソン」
チュソンはゆるゆると顔を上げた。母の棗型の瞳が燃えるように輝いている。
「人には天から与えられた分というものがある。それを忘れ、身の程知らずの高望みをすれば、必ず天罰を蒙ります。あなたが望んでいる王女さまの降嫁は、まさに分不相応なのですよ」
チュソンは昂然と言った。
「私はそうは思いません。人が人を恋い慕うのに、分相応も不相応もない。大切なのは気持ちです。情がなければ、確かに分不相応かもしれませんが、もし、王女さまも私で良いと言って下さるなら、不相応な縁ではないはずではありませんか、母上」
「まだ判らないの、この愚か者ッ」
ヨンオクがまたも手を振り上げようとするのに、父が鋭い声で制止した。
「ヨンオク、止めなさい」