韓流時代小説 秘苑の蝶~運命が回り出すー十数年前、龍神に捧げられた娘の祖母と雪鈴が出会った意味は | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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第二話  韓流時代小説 龍神の花嫁~風舞う桜~【秘苑の蝶】

コンと晴れて両想いになった雪鈴は、セサリ町の小さな屋敷で穏やかな日々を紡いでいた。そんなある日、年若い女中のソンニョが冴えない顔をしてるのに気づく。理由を訊ねた雪鈴に、ソンニョは必死の面持ちで訴えるのだった。「妹が殺されてしまいます、どうか妹を助けて下さい」。
昔ながらの小さな農村に伝わる「龍神の花嫁」伝説をめぐる悲劇。「花嫁」が残酷な生け贄だと真相を知った雪鈴はコンと共に龍神伝説が伝わるハクビ村に赴くのだがー。

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 丁度、出しなに女将の娘に出くわしたので、コンへの伝言を頼んでおいた。コンのことだから、雪鈴の姿が見えなかったら、心配するだろうと思ったのだ。
 隣町から村までは、ものの四半刻もかからない。朝食前の腹ごなしには打って付けである。村の入り口には土地神さまの素朴な木彫り像が安置されている。これは朝鮮のどこの村にもよく見かけるもので、村を守護する魔除けの意味があるという。
 土地神さまの前を通り過ぎ、村を貫く一本道を進めば、ほどなく河が見えてきた。龍江。その名のごとく、河は今朝も身をくねらせる龍のように村の家々の間を縫うように流れている。ハクビ村の住人は大半は農業に従事しているが、中には龍江で漁をして生計を立てている者もいると聞いた。
 この河は確かにその昔から村の人々に恩恵をもたらしてきたに違いない。しかし、その反面、この河の水量が減り、底が見えそうになれば、荒れ狂う大蛇のように村人を苦しめる脅威ともなり得た。
 かつて七十年も前、この河の水量が激減した年、一人の乙女が捧げられたのだ。
 雪鈴は何ともいえない薄ら寒い想いで、河辺に立ち尽くした。一昨日にコンと共に見にきたときより、水かさはまた明らかに低くなっている。それもそうだろう、雪鈴たちがここに来てからでさえ、雨は一滴たりとも降っていない。
 この調子で減ってゆけば、干上がるまでにひと月もかからないであろうとは容易に予測できた。
 やるせない気持ちを抱えて空を仰いでも、今日も快晴を約束するかのような太陽が明るく輝いているばかりだ。
 いつまでも河辺に立ち尽くしていても仕方ない。雪鈴は重い身体を無理に回れ右して、帰途についた。早朝とて、流石に早起きの村人たちもまだ家から起き出してくる形跡はなく、かえって不審がられずに済んで良かった。
 村の入り口まで来た時、路傍に誰かがうずくまっているのを見かけた。近づいてみると、小柄な老婆である。
 雪鈴は遠慮がちに声を掛けた。
「失礼ですが、どうかされましたか、お婆さん(ハルモニ)」
 と、老婆が腰を押さえて訴えた。
「急に腰が痛み出して」
「それはいけないわ」
 雪鈴は老婆に訊ねた。
「無理して動かない方が良いですよ」
 心配で、このまま放っておくこともできず、雪鈴はしばらく老婆の側についていた。少しく後、老婆が腰をさすりつつ、立ち上がった。
「ありがとうございます。親切なお嬢さま、何とか痛みも治まったようなので、家に戻りますよ」
 老婆は六十代半ばほどか。やや前屈みになってはいるものの、日焼けした肌にもまだ張りがあり、目鼻立ちは整っている。若い時分は美人だったろう。
 雪鈴は申し出た。
「良かったら、お家まで送ってゆきましょう。また途中で腰が痛み出したら大変だから」
 老婆の肩を抱くようにして、ゆっくりと道を辿る。その中、他の家々と似たような粗末な藁葺き屋根が見えてきた。老婆が指さした。
「あそこが家なもんで、ここまで来ればもう大丈夫です。お優しい方、本当にありがとうございました」
 雪鈴は笑って首を振る。
「そんなたいしたことは何もしていません。気をつけて下さいね」
 ゆっくり遠ざかる老婆の背を見送っていると、ふいに老婆がまた腰を押さえ、しゃがみ込んだ。雪鈴は慌てて老婆の側まで駆け寄った。
「お婆さん、大丈夫?」
 老婆の皺深い小さな顔に苦笑いが浮かんでいる。
「情けないことだねぇ。ほんの数年前までは、こんな柔な身体じゃなかったのにねえ」
 雪鈴は優しく言った。
「誰でも調子の良くないときはありますから」
 再び家まで老婆に付き添った。
「失礼します」
 断り、老婆と共に中へと足を踏み入れる。几帳面な気性を表しているかのように、狭い家の中は整然としていた。どこの家でも見かけるように、広い板の間と煮炊きのできる土間つきの厨房、小さな納戸だけの簡素な作りだ。
 雪鈴は板の間の片隅に積んであった夜具を敷き、老婆を寝ませた。ふと思い出し、袖から小さな薄桃色のチュモニを取り出す。中から陶器製の入れ物を出し、蓋を開けた。蓋に梅の花が描かれた器には、薄緑色の軟膏が入っている。
 かつて婚家で側仕えをしてくれた女中アジョンが持たせてくれた特製軟膏である。打ち身、切り傷擦り傷、あらゆる痛みに効く万能薬であり、多少であれば解毒効果もあるのだそうだ。
 少しずつ大切に使っているので、いまだにまだ、たくさん残っている。これを見る度に身を挺して婚家から雪鈴を逃してくれた優しいアジョンを思い出し、懐かしくなる。今頃、まだ崔家で奉公しているだろうか。雪鈴を逃したことで、義母から折檻を受けたりはしなかっただろうか。
 実家の両親は、婚家を生命からがら逃げだしてきた娘を拒絶した。今となっては致し方のなかったことだと理解はしているものの、自分を見限った実の母よりは、捨て身で逃してくれたアジョンを実の母のように思えてならない。
「お婆さん、良かったら、この軟膏を塗らせて貰えませんか? 痛みが嘘のように楽になると思いますよ」
「両班のお嬢さんにそんなことをして貰って良いのかねえ」
 戸惑う老婆の腰に、雪鈴は大切にしている軟膏を丁寧に塗った。うつ伏せになった老婆は眼を細め、気持ち良さげに言う。
「本当だ。しつこい痛みが消えたよ。何かスウーとして気持ち良いね」
 雪鈴は器の蓋を閉め巾着に戻しながら言った。
「良かった。腰痛に使うのは初めてだから、本当は少し自信がなくて」
 雪鈴はガランとした室内を見回した。
「立ち入ったことを訊くけど、家族の方はどこにいらっしゃるのかしら」
 老婆が淋しげに笑った。
「家族なんぞ、とうにいなくなっちまったさ。あたし一人だよ。お嬢さん」
 雪鈴は言葉に窮した。
「そうなの、ごめんなさい」
 老婆がまた笑う。
「いンや。別にお嬢さんが謝りなさることじゃないさ」