なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

ゴォーーーーーーーーーーーール! (^‗^v

2022年12月05日 | Music & Life 

ゴールに辿り着いたら

また新しい道がスタートする

 

人生ってそれの繰り返し

 

そう

ゴールは終点ではなく

通過点の一つなのです

 

埼玉県川口市・西福寺にて

 

おはようございますZUYAさんです

ええ2週間に渡った苛酷な日々を乗り越えましたよ(経験は自信に変わる...)。焼酎の入ったグラスを持つ腕に痛みが走りますが、それもまた“男の勲章である”と...

 

思えるかっ!

 

出来る限り2度と味わいたくないと思っていますが、そうもいかないのが人生でありブルースマンであるが所以...常にハッピーでは“らしくない”のかも。でも、少しは休憩させてほしいものです~

 

川口市・興禅院にて

 

さて盛り上がるワールドカップ・サッカー(でもテレビのニュースで結果を観ているだけ...)

最近はすっかり本大会出場の常連国の一員となった日本。ZUYAさんがサッカーに夢中だった30数年前は、テレビ放映なんてテレビ東京系の「ダイアモンド・サッカー」とか天皇杯などの決勝戦ぐらいだったように記憶してます。あ、釜本邦茂の引退試合はテレビで観ましたね。サッカーの神様ペレや元西ドイツ代表の名選手オヴェラートまで参加して、華を添えていましたね(確かヤンマーディーゼル対日本リーグ選抜だったような)

とにかく今のように“ワールドカップ全試合中継”なんて夢のような話だった時代ですよ

小学生の頃、86年のメキシコワールドカップの決勝戦「西ドイツ対アルゼンチン」の試合を真夜中(確か日本時間の午前2時か3時に試合開始)に起きて観た興奮は今でも忘れません。当時我が家には両親の部屋にしかテレビが無かったので小さな音で小さくなって観ていました。ええ、あのマラドーナがイングランド戦で“神の手”を使って得点し、その後伝説の“5人抜き”をした大会ですね

 

86年のディエゴ・マラドーナ(ネットより拝借)

 

ZUYAさんは小学3年生からサッカーに夢中になり、住んでいた市のクラブチームに入りました。中学校にはサッカー部が無かったので、引き続きジュニア・ユースに入りました。でも選手としては目が出ませんでしたが、後輩の面倒見の良さから副キャプテンをしていました。高校生になると進学した私立学校にサッカー部はあったのですが、ZUYAさんの両親は“高校は勉強をする所だ!”と入部を認めてくれず、学校から帰ると部屋にこもって音楽を聴く暗い少年になってしまいました

ある日、それを人伝に聞いたジュニア・ユースの監督が、「お前の後輩たちの面倒見の良さと責任感を見込んでコーチをやらないか?」と電話をかけて来ました。そして当時はかなり珍しい若干16歳のコーチが誕生したわけです。そして直ぐにレフェリーの4級ライセンスを取得し、既定の試合回数をこなして3級ライセンスに(←これも珍しい)。ええ結構な数の笛を吹きましたよ

レフェリーのユニフォームも買いました。当時はレフェリーと言えば、今と違って「黒」と決まっていましてね。でも当時流行り始めたシャドーの入ったユニフォームがレフェリーの物にも採用されたアディダスのユニフォームだったように記憶しています(おそらくまだ実家にある)

 

82年のブラジル代表(ネットから拝借)

 

ZUYAさんが夢中になった選手を少しご紹介。当時のブラジルには“黄金のカルテット”と呼ばれた4人がいました。ジーコ、ファルカン、ソクラテス、そしてトニーニョ・セレーゾでした。そして同時期のプラティニ率いるフランスには、アラン・ジレス、ジャン・ティガナ、ジャンジー二(or フェルナンデス)、そしてプラティ二の4人は4銃士と呼ばれていましたね

 

84年のフランス代表(ネットから拝借)

 

雑誌「サッカーダイジェスト」に付録として付いていた「代表チームのポスター」は宝物でしたね

明石家さんまが、今回のドイツやスペインに勝ったことを素直に喜べないと言っていたのは、と~ってもよぉくわかります。ええ、あの時代からサッカーに夢中だった人達なら皆同じ思いだと思いますよ。“コオロギがライオンに勝つ”ようなレベルの差でしたからね

まぁこれぐらいにしておきましょう。日本代表選手の方々、(手のひら返しが大好きな)外野は気にしないで頑張ってください~ 

 

川口市「小林もみじ園」にて

 

先日俳優でありタレントであった渡辺徹さんが61歳と言う若さで亡くなられましたね。人の命の重さに差はありませんが、ZUYAさんにとっては11月30日に亡くなった元Chicken Shack、Fleetwood MacのChristine Perfect(結婚後、Chirstine Mcvie)が亡くなったことの方がショックが大きかったです

 

1970年発表の彼女のソロアルバム

 

ZUYAさんはブルース・バンド時代のチキンシャックやフリートウッド・マックが好きだったので、ポップス化してからの「噂」やら「牙」らの大ヒット・アルバムは未だに聴いたことがありません(この先もないかなぁ...) 

 

 

          

 

さて夜が明けたら六義園に行って来ようかと。天気は曇り空で寒いようですが、今季最後のチャンスなのでね。でも先日天国にいるかのような体験をしたので、無理して行かなくても良いかな

それに義母の故郷・高知の親戚から、あり得ないほどの野菜と大量の伊勢海老が届いたので...(身内に漁業関係者がいるもので...)それも何とかしなくちゃね~

 

そな感で~  

Have A Good Day,Folks!

 



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