その美少年ぶりから、作家の三島由紀夫さんをはじめ、澁澤龍彦さん、堂本正樹さんなどの著名人を熱狂させた、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんですが、一般的には、当時はまだ、無名の存在だったそうです。

「坂東玉三郎と三島由紀夫の出会いは?」からの続き

Sponsored Link

「桜姫東文章」の「白菊丸」以外は三島由紀夫の印象に残っていなかった

1967年6月、養父・守田勘弥さんが出演していた「天下茶屋の敵討(かたきうち)」を観るため、客席に座っていたところ、隣に三島由紀夫さんが座るも、三島さんをして、坂東さんのあまりの美少年ぶりに、たまらず席を立たせたという坂東さんですが、

あくまで、三島さんが、坂東さんをはっきり認識したのは、この時の坂東さんの客席での美少年ぶりと、1967年3月の国立劇場での「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」の白菊丸役を演じていたのが坂東さんだったということが、後に分かった時で、

それまでにも、娘役として歌舞伎座やほかの劇場の舞台に立つ坂東さんを何度も観ていたであろうにもかかわらず、それまでは印象に残っていなかったそうです。

「桜姫東文章」の「白菊丸」はごく一部の著名人にだけ強い印象を残していた

それほど、三島さんにとって、素顔の坂東さんと、白菊丸を演じていた時の坂東さんが印象的だったかが伺えますが、当時、国立劇場に勤務していた中村哲郎さんも、

坂東さんの白菊丸については、

僅か数分間のプロローグだけで白鷺の精と化して昇天してしまう、彼の淋しく優しい、ひたむきな白菊丸があったからこそ、この忘れられた名作が初めて今の世にみずみずしい肌ざわりで誕生し得たのだといってもいい

(鶴屋南北の「桜姫東文章」は)近代にまで連綿と水脈を引く輪廻と流転の永遠の愛のパターンさえみとめられる。

玉三郎の白菊丸の妄執とまぼろしは、そういう秀れたユニークな主題にも耐え得るものになっていたし、また一個の男子を 破滅させるにふさわしい、稀有の美少年ぶりでもあったのだ

清玄の手を取って花道を必死に走り出た瞬間には、息を吞むばかりの戦慄すら覚えさせられた

願わくは、十年後でもいい。この、人間の無限の深淵を覗き見る地点にまで鋭く斬りすすんだ、古典劇中の驚異の一作を、玉三郎の白菊丸と桜姫の二役、(市川)染五郎(二代目松本白鸚)の清玄と権助の二役という未来のゴールデン・カップルで、 徹底的に再検討しての実験上演を夢みたい

などと、絶賛しています。

二代目松本白鸚(当時は市川染五郎)さんは、当時、人気・実力ともにトップの歌舞伎役者で、「未来の恋人役者は玉三郎だ」と打ち明けたという噂があったそうですが、白鸚さんは、後に、松竹を離れ、東宝専属になったため、坂東さんとコンビを組むことはありませんでした)

Sponsored Link

一般的には無名の存在だった

こうして、三島由紀夫さん、中村哲郎さんほか、小説家の澁澤龍彦さん、劇作家・演出家の堂本正樹さん、歌人の高橋睦郎さん、劇作家の長尾一雄さん、作家の円地文子さん、詩人・評論家・仏文学者の宋左近さん、詩人・作家の富岡多恵子など著名人を熱狂させた坂東さんですが、

この「桜姫東文章」を観た人の多くが、坂東さんに心を奪われた訳ではなかったそうで、著書「国立劇場-取材日記-」で「桜姫東文章」について綴っている、東京新聞・文化部演劇担当記者の石原重雄さんは、 演出意図については評価しつつも、坂東さんには一言も触れておらず、

(これが当時の観客の一般的な反応だったそうです)

あくまで、坂東さんの「桜姫東文章」の白菊丸役を絶賛していたのは、三島さんなど、ごく限られた人だけで、一般的には、坂東さんの白菊丸は脚光を浴びたわけではなく、坂東さんは、この時はまだ無名の存在だったそうです。

「坂東玉三郎は「曾我綉侠御所染」で可憐な娘役から非業の女方に転換していた!」に続く


「桜姫東文章」で「白菊丸」を演じる坂東さん。

Sponsored Link