高校2年生の時には、バッティングはセンター方向にしか打つことができず、守備のショートでもエラーの連発だったという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、その後、甲子園出場を目指し、猛練習すると、その甲斐あってか、高校3年生の夏、長嶋さんの佐倉一高は、大会地区予選を勝ち進み、南関東大会に千葉代表校として出場することが決まったそうです。

「長嶋茂雄は高校時代ショートもエラーの連続でサードに変えられていた!」からの続き

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南関東大会に千葉代表校として出場決定

長嶋さんが高校3年生の時には、長嶋さんたち佐倉一高は、大会地区予選で勝ち進み、南関東大会に千葉代表校として出場を果たしたそうで、

(南関東大会を勝ち抜けば、夢にまでみた甲子園出場だったそうです)

第1回戦は、強豪・熊谷高校と試合をすることになったそうですが、佐倉一高は、千葉県代表になったのも、県外の公式試合も、開校以来初めてのことだったそうで、

急遽、町中の家で、布団の敷布やさらし木綿に、「がんばれ!佐倉一高ナイン!」「甲子園へ!」と、スミで書かれたノボリが作られるほか、町の有志が大挙して押し寄せようと、大急ぎでバスがチャーターされるなど、長嶋さんたち選手は、急に、町の名士的存在になったそうです。

(佐倉一高の甲子園出場の夢をかけた3年計画が3年目を迎える年でもあったそうです)

野球部長の井原善一郎から新しいバットをプレゼントされていた

また、野球部長の井原善一郎さんからは、

長嶋、このバットを使って打ちまくってくれ

と、真新しいバット(握りの太い、いわゆるタイカップ型のバットだったそうです)をプレゼントされ、

思い切って飛ばしてくれよ、思い切って・・・

と、言われたそうで、

井原さんの思いが込められたバットは、まるで吸い付くように長嶋さんの手の平になじんだそうです。

(後に、人づてに聞いた話によると、井原さんは、長嶋さんの古いバットを見て、自分の家からお米を持ち出してつくったお金で、わざわざ東京の運動具店からタイカップ型の新品を取り寄せてくれたのだそうです)

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保護者たちの熱が上がり選手たちも高揚していった

そして、日を追うごとに、選手の保護者たちも、果物の差し入れや、合宿の世話など、熱があがってきたそうで、南関東大会が行われる隣県(埼玉)の県営大宮球場までは、電車で行ってもそれほど遠くなかったにもかかわらず、前の晩から泊りがけで、晴れの一戦を声援しようという保護者が多くなったそうです。

また、チームメイトの保護者は全員、当日のスタンドに陣取ることになっていたため、その打ち合わせなどをしたそうですが、そんな中、長嶋さんたちの興奮もいっそう高まっていったのだそうです。

「長嶋茂雄は高3の時家族が応援に来ないと知りがっかりしていた!」に続く

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