みなさま ごきげんよう。
めずらしく前回更新から日をおかずのアップになった奇跡のアザラシ♡ゴマちゃんでございます。
さてさて、先日、書店をフラフラしていて目に留まった本を読んでいるのですが、これがすごくおもしろい!
『鷹将軍と鶴の味噌汁』著者:菅 豊 (講談社選書メチエ)
内容は、縄文時代より野鳥を食してきた日本人が、やがて鳥にランク付けをするようになったり、武家社会の儀礼・政治に組み込まれていく的な鳥食関連のお話です。
知らないことばかりでおもしろかったのですが、中でも「信長が嫉妬した光秀の饗応」のくだりは目からウロコでした。
光秀=去年の大河ですが、長谷川博己といえば、「八重の桜」の尚之助さまのイメージが強すぎて、鉄砲を見て驚愕するシーンは違和感ありまくりで、「いや、アンタ、改造だってできるのに、なにをしらじらしい」だの、道三に命じられて堺に鉄砲を買いに行く話で、「なかなか売ってもらえな~い。どーしよー」な展開に、「尚さん、自分で作りなはれ!」と、叫んでしまったほどであります。
閑話休題
で、この本によりますと、問題の謀反の引き金になったかもな出来事は、天正10年(1582)5月、安土を表敬訪問してきた家康に対する饗応だったそうな。
なんでも、このとき饗応役に任ぜられた光秀は、信長長年の盟友・家康に対し、最大の配慮をし、山海珍味を取り寄せた豪華な料理の数々でもてなしたとか。
ところが、この接待がとんでもなく完璧すぎて、『嫉妬偏執の深き御本性(性格)』だった信長の癇にさわり、理不尽な叱責を受ける結果になってしまったのではないかというのです。
その根拠として、当日のメニューは「鶴汁」「ヒシクイ」「鳬雁の汁」「はくてう」「あを鷺汁」「しきの羽盛」など、多くの鳥料理が出され、中でも鳥ランク1位のハクチョウ、ツル、それに次ぐヒシクイ、ガンなど、まさに室町将軍をもてなすレベルの格式高い膳の数々を光秀はそろえたことが逆にアダになったのでは?というのです。
とくに、旧暦5月の饗応にもかかわらず、冬の渡り鳥ガン・カモなど、季節はずれの食材まで準備し、それらの料理を効果的に見せる調度類などにもこだわった最高級のもてなしが、信長の逆鱗に触れた可能性が……。
「家康ごときに散財しやがって、だと? じゃあ、どうすりゃよかったんだ!? 手、抜いたら抜いたで、絶対キレるくせにー! あー、もー、やってられっかーっ!」
……たしかに、謀反を起こしたくなる気持ちもわからなくはありません
でも、今まで信長には都合よくコキ使われてきたのに、たいして感謝もされなかった家康にしてみれば、最高の敬意を可視化したオモテナシに、「光秀さん、マジ感激っす」な想いでいっぱいになったことでしょう。
そうすると、徳川世子の乳母に明智の功臣・齋藤利三の娘・福を抜擢した裏には、あの饗応で光秀に抱いた謝意があったからなのかな?、なんて妄想してしまいます。
そのほかにも、いろいろ「へー!」なエピソードがてんこ盛りで、秋の夜長に、オススメの一冊でございます
めずらしく前回更新から日をおかずのアップになった奇跡のアザラシ♡ゴマちゃんでございます。
さてさて、先日、書店をフラフラしていて目に留まった本を読んでいるのですが、これがすごくおもしろい!
『鷹将軍と鶴の味噌汁』著者:菅 豊 (講談社選書メチエ)
内容は、縄文時代より野鳥を食してきた日本人が、やがて鳥にランク付けをするようになったり、武家社会の儀礼・政治に組み込まれていく的な鳥食関連のお話です。
知らないことばかりでおもしろかったのですが、中でも「信長が嫉妬した光秀の饗応」のくだりは目からウロコでした。
光秀=去年の大河ですが、長谷川博己といえば、「八重の桜」の尚之助さまのイメージが強すぎて、鉄砲を見て驚愕するシーンは違和感ありまくりで、「いや、アンタ、改造だってできるのに、なにをしらじらしい」だの、道三に命じられて堺に鉄砲を買いに行く話で、「なかなか売ってもらえな~い。どーしよー」な展開に、「尚さん、自分で作りなはれ!」と、叫んでしまったほどであります。
閑話休題
で、この本によりますと、問題の謀反の引き金になったかもな出来事は、天正10年(1582)5月、安土を表敬訪問してきた家康に対する饗応だったそうな。
なんでも、このとき饗応役に任ぜられた光秀は、信長長年の盟友・家康に対し、最大の配慮をし、山海珍味を取り寄せた豪華な料理の数々でもてなしたとか。
ところが、この接待がとんでもなく完璧すぎて、『嫉妬偏執の深き御本性(性格)』だった信長の癇にさわり、理不尽な叱責を受ける結果になってしまったのではないかというのです。
その根拠として、当日のメニューは「鶴汁」「ヒシクイ」「鳬雁の汁」「はくてう」「あを鷺汁」「しきの羽盛」など、多くの鳥料理が出され、中でも鳥ランク1位のハクチョウ、ツル、それに次ぐヒシクイ、ガンなど、まさに室町将軍をもてなすレベルの格式高い膳の数々を光秀はそろえたことが逆にアダになったのでは?というのです。
とくに、旧暦5月の饗応にもかかわらず、冬の渡り鳥ガン・カモなど、季節はずれの食材まで準備し、それらの料理を効果的に見せる調度類などにもこだわった最高級のもてなしが、信長の逆鱗に触れた可能性が……。
「家康ごときに散財しやがって、だと? じゃあ、どうすりゃよかったんだ!? 手、抜いたら抜いたで、絶対キレるくせにー! あー、もー、やってられっかーっ!」
……たしかに、謀反を起こしたくなる気持ちもわからなくはありません
でも、今まで信長には都合よくコキ使われてきたのに、たいして感謝もされなかった家康にしてみれば、最高の敬意を可視化したオモテナシに、「光秀さん、マジ感激っす」な想いでいっぱいになったことでしょう。
そうすると、徳川世子の乳母に明智の功臣・齋藤利三の娘・福を抜擢した裏には、あの饗応で光秀に抱いた謝意があったからなのかな?、なんて妄想してしまいます。
そのほかにも、いろいろ「へー!」なエピソードがてんこ盛りで、秋の夜長に、オススメの一冊でございます