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先だってはこのあたり災害でたいへんでしたね、お悔やみいたします。
伊豆山神社 そうとう前に行きました。
※以下、HPより。
父、源義朝は平治の乱で敗死し、初陣の源頼朝は京都に護送されましたが、平清盛の継母にあたる池禅尼の涙ながらの歎願により一命を取りとめられ、その後は伊豆で流人として暮らしておりました。
伊豆の豪族であった北条時政の娘として生まれた政子は、最初は山木兼隆・平家の豪族に嫁ぐ予定でした。
しかし政子と流人であったこの源頼朝とを恋に落ち、夜の大雨のなか、政子は山木のもとを逃れ頼朝公の居所へ走りました。
※大河とちょっと違うね。
「平家にあらずんば人にあらず」の世に、よりによって逆族の頼朝と
しかし北条時政は頼朝を支援すると腹をくくり二人の仲を許し、北条の後ろ盾を得た頼朝は立ち上がる。
まず平家一門として威勢を振っていた伊豆国目代の山木兼隆(一説には、政子が嫁にいく予定だった。※今回、小栗旬&北条時政が辱めを受けた。)を討ち、石橋山の合戦に臨みましたが、多勢に無勢で大敗し山中の洞窟にひそむところを、敵将、梶原景時の計らいで救われ安房国へのがれました。
房総に着いた頼朝は、千葉常胤の「房総はさしたる要害の地にあらず。また義朝ゆかりの跡でもない。すみやかに相模国に出ずべし。」の言葉にさとされ、多くの武将とともに父祖以来源氏ゆかりの地である鎌倉へ入りました。
この梶原景時がなぜこの時、敵である頼朝を支援したのか不明です。 この平氏内部において不満を持っていたのでしょう。
伊豆山神社にて二人は逢瀬を重ね、そしてこの岩に一緒に腰をかけて、愛をはぐくんだとのことです。
ロマンチックですねぇ
しかし、頼朝としては純粋な愛恋のみでなく、豪族の娘である政子とうまくいけば後ろ盾を得られる目論見が多分にあったのでしょう。
まぁ、自分にとって、政子は都合良いかなと。
嫁遅れの政子としても草深い東国でこのあたりにはいないタイプの都の公達・都会的・垢抜けた頼朝にぽーっとなった。
昔も今もよくある打算の結婚です。
東国の慣習と違い、その当時の都の習慣としては、男は何人かの女性の家にいききし、その中の身分の高い女性と添う、通い婚でした。
その慣習のまま、頼朝は何人も女性をつくり、都度、政子はやきもき。
以仁王のクーデター失敗、次は、木曾義仲&巴? 義経はまだ?
では