プロローグ愛蔵版
届いた!(*^^*)
文章は集中してしっかり読みたいので、時間がある時に…と思ってまだなんだけど
でもちょっとだけ…と思ってパラパラと捲ってみたのw
したらば!
びっくりしたのがリハーサルのUA!
あれってめっちゃ好きなやつヽ(;▽;)ノ
めちゃくちゃ好きなデザインのやつヽ(;▽;)ノ
一番好きなやつヽ(;▽;)ノ
(長年の読者さまはご存知と思って勝手に話すww)
あれね、もう見られないと思ってたの
いつが最後だったかなぁ?
もう思い出せない…
もしかしたら北京五輪が最後に見たゆづだったかもしれない…
プロ転向して、
もう見られないのかな…と思って、シェアプラで…
うん、やはりシェアプラでも着用してなかったので、競技生活とプロ生活、区切りだったんだなぁと勝手に思ってたんだよね
もう見られないと思ってた(;_;)←
だから、愛蔵版の中であの馴染みのUAを着ているゆづがいることに…ウルウルしてしまって(;_;)
めちゃくちゃ勝手に胸が熱くなってたの(;_;)
(ごめんねこんな厄介なやつでww)
そして、インタビューとか気になりつつも、パラパラと捲って…
そしたら、最後の最後のページの写真に目がとまって、見入ってしまった
一瞬、心も思考も停止する感覚
そこから、いろんな想いが一気に込み上げてきて、涙が溢れてしまった
最後の最後の締めにこの写真…
このシーン…(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)
なんでこんなにも心が揺さぶられるんだろうと
どうしようもないほどに、自分の中から感情が溢れて溢れてしまうのだろうと…思ったの
思えば、私の中で“彼の9歳の頃の自分”と初めて出会ったのが、平昌五輪で連覇を果たした時の会見だった
自分の応援期間を振り返ると、平昌五輪までが一つの流れで、そこからこれまでがもう一つの流れだったのかな…とも思うんだよね
私は、彼の中にいる“幼き日の自分”という概念に心底驚いた
私の人生に、ものすごく衝撃を与えたの
私には、そういう感覚がなかったからね
想像もつかない世界だった
だからと言ってね、自分が不幸だとは私は人生で一度も自分に対して思ったことはなくて
むしろ幸せだったと思っているんだよ
たくさんの想いに包まれて、幸せだったと思えているんだよ
客観的に自分を振り返っても、容姿端麗であり(自分でゆーなし!wwでも、目を引くほどに可愛い子と言われていたし、当時のまわりの言葉を振り返ってもそうなのかなと)、運動がズバ抜けてできたので、何をしても一番になる(努力はしっかりしてたけどね)、賢かったし、勉強も困ったことはなくて…小学1年生から高校3年生の12年間、投票で学級委員長に選ばれ続けた(転校で小学校は3つ行ったけど、学校が変わってもなぜか投票でダントツなんだよね)
性格は、今と全然変わってないと思うんだよねw
幼い頃から本質は変わってないと自覚している
すごく客観的に自分の子ども時代を振り返っても…これ以上ないくらいの子だったんじゃないかと思う
他者から見れば、パーフェクト…羨ましがられる子だったかもしれない
それは、表の顔
表の顔なんだよね
過去記事に書いてある通り、あの頃の私の内面は、毎日毎日壊れそうだった
自分ではどうしようもなくて…でもどうにかしなくちゃならなくて、自分をそこに合わせて生きていかなきゃいけなくて…
必死だった
心が悲鳴を上げていることも、薄々自分では気づいているのに、どうしようもないんだよね
どうにかする術を知らないから
あまりに幼すぎた
今思うと、当時のお母さんやお父さんの心境も理解できるんだよね
我が子の命が明日はないかもしれない、今日が最期かもしれない、今この瞬間が最期になるかもしれないという精神状態で日々の基盤を過ごすこと
お父さんはお父さんで、心では泣きながら、外では強力な仮面を付けて仕事をしていたとも想像する
みんなが必死だった…と思う
自分でもハッキリ覚えているけれど、小学4年生の頃…9歳とかそのくらいかな…
自分の中に得体の知れない真っ黒なものが広がっていく感覚があったの
自分はそれに飲み込まれそうで…いつか支配されるんじゃないかと恐怖だった
怖かったの
自分はそれに飲み込まれると、自分じゃなくなって、自分を失うなという気配を感じていて…本当に本当に怖かった
私はどうなってしまうのかって、この黒いものは何だろうか…?って…恐ろしかった
今思うとね、精神のバランスを崩しかけてたと思う
それでも、私が人の道を外れずに生きてこられたのは、たくさんの想いに包まれてきたからだと実感している
人の道っていうと大げさに聞こえるかもしれないけれど、本当にそう思ってるんだよね
一歩間違えたら私はまったく違う人生になっていたと思うんだよね
そういう人生の分岐点みたいなものがいくつかあるの
…長くなったけど^^;
だから、そんな私にとっての幼少期というのは、ある種傷でもあるんだよね
やっぱり痛くって…
もちろん幸せなこともたくさんあったし、実際とても愛されて育ったと思っているし、表の顔としてはこれ以上ない子ども時代だったと思う
それでも内面は…
いまだにあの頃の自分を思い出すと、『大丈夫だよ』って、『頑張ったね』って、『辛かったね』って、『痛いね』って、『痛かったの知ってるよ』って、言ってあげたくなる
抱きしめてあげたくなる
そんな私にとって、
ゆづの幼い頃の自分に対する心は…衝撃だった
と同時に、とてもとても温かいものに触れたような…奇跡を見ているような…光に触れたような感覚になった
涙が出てくるんだもん
ゆづのその心…なんて尊いんだろうって(;_;)(;_;)(;_;)
平昌五輪時の会見で、幼き日のゆづ…その存在に初めて触れてから、私の中では彼の存在が大きくなっていった
いつしか私の中でも、とても大切な子…大切な存在になっていたんだよね
だからね、2019年…
『憧れの地』『ここで演技できることの喜び』と言っていた思い入れのある地…
すごく愛しくて…
胸がきゅーーーーーっとなって…
ゆづの限りある競技生活、貴重な試合が、彼にとって痛くて辛くて悲しい記憶として刻まれるのが私は耐えられなくて…
同時に、彼の中にいる幼き日のあの子…あの子がこの現実に傷つくんじゃないかと心が抉られるようで…(;_;)
どうか傷つかないでって、お願いだから傷つかないでって、どうか辛くならないでって、涙を流して痛んでいたらどうしようと思って…
それが私は辛くて…
ゆづの心と、幼き日のあの子の心を守りたいって必死に記事を書いてたな
結果ね、無力なもので、自分の応援なんて何の意味もなくて…
むしろ、この年の自分の応援はトラウマとして自分の中に刻まれて…私はいまだに自責の念があるんだよね
こんなところで書いていてもゆづには直接届かないから心配ないんだけれど、自分がやったことに対する自責の念があって…
ゆづに申しわけない気持ちでいっぱいで…
応援がゆづを苦しめている
苦しめたなと思って、ゆづに謝罪の気持ちを抱いています
ごめんなさいって
苦しめてごめんなさいって、いまだに思ってるんだよね
自分が消えたくなる
だから多分、この年を最後に誕生日の記事が書けなくなってしまって
自責の念が強いので、言葉が出てこなくなって、思い出して、書いちゃダメだなって思ってるんだよね
まあ、それはいいとして、
ほんとにね、彼の心はどうなっているんだろうか…と思うほどに純粋なものを感じて…
私にはなかった概念の存在だから、尚更奇跡を目にしているようでね
こんなにも幼き日の自分と共に在れるなんて…
ほんとに冗談じゃなく、こんな人いないんじゃないかと思って
この日々は奇跡なんじゃないかと思って…
私には、琴線に触れる一枚なんだよね
ゆづの演技はこういうのもすべて込められていて、そこに道のりが入っているから、心の深いところまで届ききるのかなと思いました
とはいえね、ゆづが9歳の頃の自分や幼き日の自分にとらわれすぎるのも、重くなっちゃダメだなと思うので、ファンとしてはあまり言い過ぎちゃいけないなとも思ってるんだよね
その子を心に抱くのも、抱かないのも、ゆづの自由であってほしいし、ゆづの心のままにいてほしいのでね^^*
それでも、私は彼の演技や道のりから、人生にとても大きなものをいただいていると思っています
なんかすごく長くなったけどΣ(゚д゚;)
いろんな想いが溢れ出た愛蔵版の一コマでした
(本体まだ読めてないとゆーww)
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