GIFT続きです
ここに書いていることは完全に私個人の感じ方と受けとめ方なので、それを前提に読んでね^^*
『いつか終わる夢』の演技後、暗くて無音の閉ざされた狭い部屋のようなところで、目に力のないゆづがこちらに向けて話し出す
独りのはずなのに、真っ暗なはずなのに、終わったはずなのに、なんでこんなにも明るい光に照らされるのだろう?
眩しすぎて、直接見ることなんてできない
僕に見る権利なんてない
まさに今回のGIFTで演じられた『いつか終わる夢』のゆづの姿だよね
愛蔵版でも明かされていたけれど、絶望の中、届く応援の光や想いが眩しすぎて(演技にも両目を押さえて見られない、見たくないような仕草が入っている)悶えている
それでも、星たちがキラキラと輝いて、照らしてくれた
「頑張れ、大丈夫だよ」
この時にドームの天井が光るんだよね
「頑張れ、大丈夫だよ」
この時にドームの天井が光るんだよね
ゆづの心の中に届いた光を表しているのかなと思いました
北京五輪後、世界中から届けられ続けたゆづへの想い…
それはゆづにとって眩しすぎる光でもあったけれど、心の中を灯す何かにはなっていたのかな…
太陽の光を浴びた月も光っていた
太陽の光を浴びた月も光っていた
その凛とした光は、とてもかっこよかった
僕の行く道を、光で導いてくれた
「ちゃんと光を、受け取れるよ」
私はこれを聞いた時に、ご両親の存在かなと思ったの
ゆづは昨年のシェアプラ時の画報インタビューで「僕にとって、家族、特に両親は導いてくれる存在です。ーーここまで家族みんなで道を切り開いてきました。家族で一緒に戦ってきたからこそ、今がある、ここがある、と心から思っています。」と話していた
ゆづにとってご両親は導いてくれる存在
私は個人的に、ゆづのプロ転向に関してもかなりご両親の導きはあったと思っていて(あるインタビューから強くそれを感じたの。書かないけどね)、あの頃のゆづのゆく道を照らしてくれたのかなと
その道には、花が咲いていた
まっすぐ生きている姿があった
「私たちがいるよ」
GIFT前半で、『大きくなったら花を咲かせる』と言っていた草
私はこれは、ゆづのまわりにいる仲間たち、ライバル、共に切磋琢磨してきた存在かなと思ったの
ゆづの進む道には、草から花へと成長した存在たちが目に入ったのかなと思いました
それと同時に、ファンの想いの言葉にも受けとれるから…様々な意味を含んだ言葉なのかなと思います
少しだけ、月の道を進むと、前から風が吹いてくる
少しだけ、月の道を進むと、前から風が吹いてくる
その風は、とても優しく、温かかった
「ずっとあなたは、向かってきた」
「そんなあなたを、私たちは知ってるよ」
平昌五輪前までゆづが対話していた風の存在
再び登場したのがこのシーンだった
きっと…平昌以降は苦しすぎて、その存在をもう感じられなくなっていたんだよね
なんとなくこの『少しだけ月の道を進むと…』というのは、プロローグ公演かなと思ったの
プロとして初めての公演、初めての道の刻み…そこで受けた反応が『風』なのかなとも
横浜でのあの光を目にした時のゆづの涙…八戸での感情が溢れる様子…それがこのシーンでは思い起こされました
いつの間にか感じなくなっていたみんなが、そこにはいた
そのことに、気がつけなかった
でも…僕は…独りだ
どうしても独りだ
終わってしまった大切なもの
消えてしまった大切なもの
どこにもない…大切なもの
君がいれば何だってできる気がしていた
毎日、苦しいことがあって、楽しいことがあって、笑って、怒って、泣いて、寂しいことも、悲しいこともあって
でもずっと、当たり前のようにあった
ずっとそばにいてくれた
大切なもの
このあたりからゆづの背景に次第に温かみのあるゴールドの光が差してくるんだよね
それはまるで、『いつか終わる夢』のマッピングで表された樹木のようで…最後のゆづが氷に伏せるシーン…氷上に世界樹のようなものが息づいていて
それとリンクしました
おそらく…ゆづの感情が溢れる場面…ゆづの本質があらわになる重要なシーンなんだろうと思います
様々な意味を含んだ『夢』への想いだよね
再び命が宿る瞬間というか、息を吹き返すということを伝えてくれているように感じます
なんだって頑張ってきた
ずっと独りだった?
違うよ
一人は選んできた
でも、ずっとずっと一緒にいたんだ
大切にしてきたんだ
幼い頃から夢を叶えるために、たくさんのことを削ぎ落として、ひたすら努力を続けて…その中でどんどん一人になっていった
それは、ゆづ自身が選んできた道でもあった
寂しさや孤独を感じることはあったけれど、夢達成のため、大きな目標実現のためにそれでいいと思えていたんだよね
『夢』だけは、そばにいてくれたから
でもいつの間にか、大切にしなくなった
できない自分も、君のせいにして
悲しみだけをぶつけて、傷つけて
苦しいのは、僕じゃなかった
苦しいのは、僕だけじゃなかった
苦しいのは、独りになってしまうこと
共に歩めなくなってしまうこと
いつも共にいたかった
これからも共にいたかった
僕は、独りだ
平昌五輪以降の数年間が重なるな
あまりに4Aへの壁が巨大で…しかもたった一人で挑まなくてはならない環境で
試行錯誤で加圧バンドを使用し、肉体改造にも取り組んでいたよね
4A習得の道中では、他のジャンプが跳べなくなって、スケートが下手くそになって、3Aすら跳べなくなって
それを4Aのせいにしていた時期もあったのかな
4Aなんて夢があるから、他のジャンプが崩れるんだよって、4Aなんて夢があるから、こんなにも競技フィギュアスケートが苦しくて仕方ないんだよって
こんな夢抱かなきゃ、叶わないお前さえいなければ、俺はこんなにも苦しまずに済んだ
さっさと辞めて、競技フィギュアスケートに失望することもなかった、こんな辛さや葛藤を抱くこともなかった
4Aのせいで勝てない、4Aのせいでこんなにも苦しい
4Aなんてなけりゃよかったのに
夢なんて抱くんじゃなかった
言うんじゃなかった
掴み取ろうとするんじゃなかった
なんてことも思ったのかな
(私の勝手な想像が走りすぎてますがw)
そんなふうに夢を大切にできなくなったことも事実で…
でも、去られてしまうとその大きさにも気づかされる
プロ転向を決めてその道を進んだからには、もう公式に記録としては刻まれることはなくなってしまい…ゆづが明確に目指していたところなので、喪失感や虚無感は計り知れないよね
そして、個人的な解釈だけれど、GIFT内のこの箇所でゆづが言う『夢』とは、公式に認められる4A成功だけではなくて、まわりの期待やファンの想い、願い、祈り、そういうのがすべて入ってまとまったものでもあるので、
『悲しみだけをぶつけて、傷つけて』
『苦しいのは、僕だけじゃなかった』というのは、ファンへの思いでもあるのかなと感じました
ファンも同じように苦しんでいた、それぞれの想いを抱きながら何が正解かわからなくなるほどの平昌五輪以降の数年間であって…ゆづの姿や言葉が痛くて、胸が抉られることもあった
そういうのをあらためてゆづは感じたのかなと想像させられる言葉でもありました
GIFT前の朝日のインタビューで、ゆづは自らを振り返って「自分ってどんだけ自分勝手な人間なんだろうと思っています」と言っていたよね
なんだかその言葉が思い出されるシーンでもありました
そして、思ったんだけれど…ゆづは北京五輪後のFaOIや決意表明会見、シェアプラ、その後もずっと4Aへの挑戦はやめないと言い続けてきた
でもこのGIFTを見ると、『夢』の存在が不確かで不安定なのかなと感じるの
もしかしたらこれはプロ転向を決めるまでのことを表しているのかもしれないけれど、私はプロ転向後の心境も入っていると思っているんだよね
やっぱり、口では毅然として4Aへの挑戦は続けるとは言いつつも、内心は複雑で、叶わなかった、もう自分が数年間思い描いてきた形で今後達成されることはないという思いは拭いきれなかったんじゃないかと想像する
と同時に、本当にこれからも4Aをやっていくのかとか、ケガが付き物の4Aと共にプロの道を歩めるのかとか、不安も踏ん切りがつかない気持ちもあったと思う
だって、それだけの凄まじい数年間だったもの…
人間として自然な心の流れじゃないかと思います
でもだからこそ、
夢を抱ききれない、これまでのように明確で強靭な揺るぎない夢を抱き続けることが難しいというところにも至って、
「僕は、独りだ」になるんだよね
「独りじゃない」
君の声が聞こえたような気がした
君とは夢だけれど、この時会場のシンクロライトが点灯したよね
やはりゆづにとって夢とは、自分だけが作り上げるものではなく、ファンの想いや声でもあるんだと明確になるシーン
おそらくそれは、ゆづが言ったようにソチ五輪までは自分のために滑っていたと、そして競技人生においても最終的には結果は自分のためだったと言ったものが、ファンや応援してくれる人の想いや気持ち、心がゆづにとって主要なものになってきたということを表しているのかなと感じました
ここは夢視点での言葉
独りになんかさせない
ずっとずっと忘れないで
寂しい気持ちに蓋をしないで
君の中の寂しいをちゃんと見てあげて
僕は知ってるよ
君はいつも強い
けど今はいいんだよ
辛くて泣きそうになっていいんだよ
夢からゆづへの言葉だけれど、なんとなく現地で聞いていて、ゆづから私たちへの呼びかけにも聞こえたんだよね
心の中の寂しいを認めてあげてって、見つめてあげてって
辛い時は泣いていいんだよって
でもずっとずっと忘れないでって、僕のプログラムたちやこのストーリーは、君たちの味方だからねって、そばで寄り添っているからねって
そんなふうにも聞こえたの
独りになって気がつけたんだ
独りになんかさせてくれやしない
みんないる
こんなにいっぱいいる
星たちの光が一段と輝きながら一つになった
僕は知っている
独りになんかさせてくれやしない
みんないる
こんなにいっぱいいる
星たちの光が一段と輝きながら一つになった
僕は知っている
ちゃんと受け取ろう
独りじゃない
「ただいま」
シンクロライトが一斉に点灯した
ファンの想いや願いがゆづにとって大切なものである、夢の一部である、そうなったということを象徴している、表しているんだよね
おかえりなさい
おかえりなさい
僕の夢
みんなからのGIFT
ゆづの心に新たな光が灯った瞬間なのかな
そんな締めくくりだったよね
ゆづはスケートを始めた4歳から間もなくして、夢を抱いた
その夢は大きくて、そのために努力を重ねて重ねて…できないことをできるようにしてきた
友だちと遊べなくても、大好きな野球ができなくても、あらゆることを削ぎ落として一人になっていっても、そこには常に夢があったから頑張れたんだよね
友だちと遊ぶことよりも練習を選んできた
野球よりもスケートを選んできた
幸せを捨てて五輪連覇を果たした
2択の連続は、すべて夢への道だった
GIFT製作過程中の12月頭、菊池寛賞受賞式でのコメントにもその気持ちが表れている
かなりGIFTに反映されているゆづの気持ちだと思っています
「私の人生は28年弱になりますが、そのほとんどが夢への道でした」
「夢が叶ったと思われている人も、きっとその夢のために、諦めて捨ててきたことばかりだと思います」
「私の人生は、たくさん選択の連続でした。その選択が全て正解だったかどうか、わかりません」
「その2択の積み重ねで選ばれてきた今が正解なのか、不正解なのか、わかりません」
ゆづはずっと、大切なものを選択してきたんだよね
でも4Aに関しては、正解だったかどうかが自分でもわからないんだと、このコメントを聞いた時に思いました
やるかやらないか、続けるかやめるのか、今なのか先なのか、その時々で悩んで葛藤して選択してきた道の先に、結果、夢は叶わなかったという現実があったから…
だからこそ、あの時の選択が正解だったかどうかわからないんだなと、選択の先にある今が正解だったかわからないんだなと…思いました
すごく率直な気持ちだと思うし、私は個人的に胸を打たれました
ゆづのようにね、本当に幼い頃から夢達成のために人生も何もかも懸けて生きている人にとって、『夢』はアイデンティティの一つかもしれないなと感じているの
それこそ自己形成の一つ、存在証明でもあるのかなと
これは、もう凡人や常人にはわからない感覚だとも思っていて、やはり凄まじい努力と苦しさの日々を経験して、たくさんのことも引き換えにして、幼少期から自分の力で夢を叶えようと長きにわたって血を吐く思いで日々を築き上げてきた人にしかわからない境地だとも思っています
そんな日々の先にね、夢が叶わなかったという事実があるのは…ある種の自己崩壊にも感じるほどの辛さが生まれるんじゃないかと想像します
努力の果てに夢を掴みとってきた結果があればあるほど、その思いは強くなると思っている
今でも鮮明に覚えている
北京五輪でのゆづの言葉…本当に聞いていて辛くて…(;_;)胸が抉られて息ができなくなりそうだった
「(オリンピックは)平昌までは、頑張れば報われる場所だったんですけど、幸せになれる場所って思っていました」
「今まで僕は、信じてきた道を突き進んできた先は、信じてたものが常にあって、今回、今まで進んできた道を超えるぐらいの努力をひたすらしてきて。そしたら、信じたものはそこに存在しなかった」
「正直苦しいなって思うんですよ」
この言葉ってね、『The Final Time Traveler』の歌詞の世界とそのまんま重なるじゃんね
私は、GIFTのキービジュアルがなぜトラベラーなのかと思ったの
実際演じられなかったし、1.17の震災はゆづにとっても大きな意味を持つことは理解はできるけれど…明確な答えってわからなくて
でも、GIFTを深掘りしていくとわかった
北京五輪でゆづが感じていたことと、The Final Time Travelerの歌詞の世界はドンピシャに重なったんだなと思いました
だからトラベラーなんだなと
たとえこの世界が偽りだとして、すべてが一瞬で消えてしまっても、私は暗闇の中で待ち続ける
暗闇の中で大切なものが見つかるまで待っている
だから私はこの偽りを守るの
忘れない
あの日の記憶を追いかける
未来の地図を失ってしまったとしても
そこに生まれるのは夢
要約的にはこんな歌詞の意味かなと思うんだけれど…まさにGIFTで表現されたことだなと思います
自分の限界以上まで追い込んで、信じていた道を突き進んできたけれど、夢は一瞬で吹き飛ばされ、消え、信じていた世界はそこになかった
暗闇の中でゆづは苦しみ…
その中で、自分を応援してくれる人たちの想いという『夢』が生まれたのかな…
そこからまた新たな夢が生まれることをゆづは未来に託して歩んでいくのかな…
自分の道のりを守る…これまでの選択に意味を持たせるために生きていく
そんなを思いました
菊池寛賞のコメントでも最後に言っていたよね
「私は、その全ての選択に意味を持たせたいと思っています。たとえその選択によって失敗したとしても、ケガをしたとしても、何かを得ては失うばかりの日々に、意味を持たせようと思ってきました。その時には意味がないように思えたとしても、いつか振り返った時に、意味があったんだと思えるように生きていきたいと思っています。」
「この選択があったから、未来もあるんだと思えるように、今を選び続けます。」
ゆづのように幼い頃から人生のほぼすべてを夢へと捧げ、道を歩んでいると…それが叶わなかった時や失われてしまった時には、『じゃあ、自分は存在している意味はないのか?』って思うと思うんだよね
存在理由がわからなくなるというか…
自分って何なんだろう?って思うと思うの
それが完全に投影されていたのがレゾンだったと思うし、幼い頃の夢を叶えてあげたいと言った純白の心と、闇の心とのせめぎ合いで悶えて苦しんでいた
時期的にも、あの頃のゆづの心が表れていたと思っています
私はゲームのことはまったくわからないけれど、ゆづが『いつか終わる夢』で表現したファイナルファンタジー10の世界観
主人公ティーダや夢のザナルカンドは、祈り子たちによって召喚された存在なんだよね
つまり、ティーダも夢のザナルカンドも祈り子たちが見ている夢である
なので…消えてしまうんだよね
この中でのティーダとはゆづで、祈り子たちは私たちファンかなとも思っていて
私たちファンが夢見ることをやめたら、想いをゆづに抱くことをやめたら、ゆづの存在理由はなくなるのかも…とも思うんだよね
それをゆづ自身が感じているんじゃないかと
もちろん現実的にはそんなことはあり得ないし、ゲームの世界の話だけれど…でも、ゆづがその世界観に自分をあてがって表現しようとしたのは事実
だからこその、notte stellata最後のスピーチ「応援してください」だとも思うの
ゆづはね、怖いとも思うの
不安もあると思う
未知の未来を前に、心がすくんでいるのは事実
だって人間だからね
GIFT公演後に
「こうやって話しながらも、心の中でくすぶっている羽生結弦もいる」と言っていた
notte stellata後には
「本当に色々な気持ちが巡っていて、自分の中でも整理がつかない部分もまだまだたくさんある」と言っていた
決意表明スピーチやあんなに想いが込められた公演をした後でも、この気持ちがあるのは正直なところだろうと思います
けれども、プロローグ愛蔵版では、今までの人生を振り返って、やり残したことはないと、今までの人生と過去があるから、「今、幸せを選ぶことができるんだと思っています」と話していた
GIFTの朝日単独インタビューでも「決意表明会見でも言いましたけど、羽生結弦って重たい存在だと一人の人間としては思いますけどね。でも、僕がそうなりたいと思っちゃってる。みんなには裏切ったと言われないかもしれないけれど、僕は裏切りたくない。みなさんの想いに応え続けたい。みなさんが見たいと言ってくださる期待を超えるだけのスケートをしていきたい。そっちの方が僕は幸せなんで」と言っていた
notte stellata公演後には、「人生の分岐点」だと言った
ゆづの中では選択したんだなとあらためて実感しました
いろいろ思うことはあったけれど、何を幸せと感じるかも、その概念も感覚も価値観も人それぞれで、千差万別だからね
ゆづの人生はゆづが決めること
ゆづが選択した道、ゆづが幸せだと思える今、過去のすべての選択と道のりに意味を持たせることができるようにと生きていこうとしているゆづを精一杯応援したいなと思うのでした
「絶望から始まるプログラム『いつか終わる夢』ですが、絶対にいつも、最後は幸せだって思えるんです」
夢には届かなかったけれど、それでも自分を見てくださったり、求めてくださったり、「こんなにもたくさんいて、本当に幸せなんです」
ゆづの想いたちを受けとめて、自分なりに応援させていただこうと思います
ゆづの幸せの1ミクロンのひとかけら…その断片にでもなれるといいなぁと思います| ᐕ)ヤ-
(最後に何なんww)
今日はここまでです!
ポチッと…押してくださいますか?
↓↓↓
いつもありがとうございます✲*゚