は〜い!

 

皆様こんにちは!

 

鈴木教禅で〜す!

 

 

  資本主義と共産主義

 

今日は、資本主義と共産主義であります。

 

皆さんは、どちらの主義が良いと感じますか?

 

資本主義とは、国政によってよりも営利目的の個人的所有者たちによって貿易と産業が制御(コントロール)されている、経済的・政治的システムと一般的には言われています、簡単に教禅流に言えば、人と競争する事で良い物を作り出す。

 

共産主義とは、財産を私有ではなく共同体による所有(社会的所有)とすることで貧富の差をなくすことをめざす思想・運動・体制である、簡単に言えば、競争が無く皆んなで財産を共有する。

 

ここで、ちょっと両主義の悪い所を見ていきましょう!

 

資本主義の悪い所、競争する事で良いものは出来ますが、より能力がある人や上手く世の中を生きれる人にとっては、良い物が手に入りますが、能力が無い人や真っ正直な人にとっては、一生懸命仕事をしても良い物が手に入らないどころか生活も出来なくなる。

 

共産主義の悪い所、人々が皆んな平等で衣食住が満足出来るが、その衣食住を満足させる為の技術や能力の発展が無く、欲をかく人がいれば奪い合いになります、要は一所懸命働いても怠けている人がいても同じ物しか手に入らないという事になるからである。

 

最近下記の銀ちゃんの話が面白くて見ています。

 

動画をご覧頂ければ分かりやすいのですが、20代の時に会社をいくつか経営をしていて、お金が大量に稼げ車も何台も持っていたのに、幸せどころか自ら他界する事も決心したそうです。

 

 

その後、臨死体験を経験して現在では村作りを世界でしているという人です。

 

とにかく面白い事楽しい事を優先的に人生やることが幸せと感じると言うことです。

 

私も、現在進行形ですが自分が楽しい事やりたい事をやって、なんの悔いもない生き方をしていますが、それなりに、苦しみは伴っています。

 

銀ちゃんの様に村づくりをして、楽しく暮らすのもいいな〜とふと感じる事があります。

 

しかし、歴史を見てみますとマサイ族の話も銀ちゃんがしていますが、彼らは本当に自然の中で生きています、人間なんだから自然に生きるのが最高だ〜!と見れますが、昔はなんらかの理由でマサイ族の様な部族がお互い争っていた事があります。

 

実際に部族闘争で多くの命が亡くなっています、その地域で作った物をお互いの部族が交換したりして仲良く暮らせば良いのですが、それを奪おうとする人がいるからなのです。

 

その後、貨幣という概念を作りお互いが物の価値を共有して、大きな産業に発展してきました。

 

大きな産業に発展する中、もっと良い技術があったのにも関わらず、ある資本家が自分の作ったものが売れなくなるという事で、良い技術を消したという話もあります。

 

資本主義というのは、より良い物を生み出す為にお互いが切磋琢磨するのが本当ですが、良い物が作られたら自分の物が売れなくなるから潰してしまえというのであれば、本当の資本主義ではありません。

 

 

その上にGDB(国内総生産)「居住者たる生産者による国内生産活動の結果、生み出された付加価値の総額の価値」よりももっと多くのお金を作ってしまっている現状なのです。

 

要は、悪い物を生産してその出来た物の価値を何百倍にも上げてしまっているという事です。

 

逆に良い物を一生懸命作り出しても何の価値も付けずにいて、価値が付かないものだから作った人は経済的な恩恵は受ける事が出来ないのです。

 

そんなんだったら、銀ちゃんの様に自分で良いものを作り、自分で消費していけばお金の感覚も要らなくなります、しかし、銀ちゃんの様に村づくりが出来るのも資本主義が発達したかでもあります、なぜかと言えば、外国で村づくりをするのに歩いて行くのでしょうか?当然飛行機で行きますね。

 

私は、会社も経営していますが、本当の資本主義になるべきだと見ています、今の技術はとても進んでいます、神様との会話でも今は心を正す時代だと聞いています、皆様がお互い信じ合い協力して行くことで、いくらでも楽に暮らせる技術はあるのです。

 

大きなドーム型を作れば、夏も冬も関係なく一定の温度で暮らす事も出来ます、無論、地底説もありますので地底に住む事が出来れば快適な暮らしが出来るのでしょう!

 

共産主義に対しても今は、すべての人が物を共有して暮らせるシステムを作っているそうです。

 

そこでよく見てみますと、すべての人が物を共有して食物も自給され、好きな時に働き好きな時に遊ぶと言う夢の様な社会ですが、そのシステムを開発したり環境を作るには高度な技術や能力が必要です。

 

その高度な技術や能力を身につけるには、切磋琢磨して向上しなければなりません、その為にはスポーツの様なルールに基づき競争するのも必要かも知れません。

 

そして、そのルールと言うのが自然界のルールである事が必要だと言う事です。

 

では、その自然界のルールと言うのが神仏が教えてくれていると私は感じています。

 

ルールを守らせる為に法律や刑罰などをするのではなく、私が提唱している「不のエネルギー」を取る事、要らない意識を消す事であるのではないかと見ています。

 

人は集団しか生きて行けません、人は潜在的にお互いが助け合う事を知っています、しかし、余計な意識が歪めてしまっているのです。

 

本当の資本主義と本当の共産主義が共有する事で、皆様が幸せと感じられる社会が来るのとの同時に、「神の世」が訪れ本当の人間が誕生する。