◆する損と、獲得する得を比較する
いま、こういうことを確認しました。
当該抗がん剤治療を受けると、苦しい思いをする期間6ヶ月(寿命6ヶ月の延長のこと)が手に入るという「ニガイ得」を獲得することができる。
が、その引き換えとして、当該治療開始後すぐ、もしくはしばらくしてから、「治療を受けたことで、かえって苦しくな」り、日々「損をし」つづけることになる(最悪の場合、当初宣告されていた寿命尽きる日まで6ヶ月間つづく)、って。
どうですか、そんな「ニガイ得」を獲得することのために、そうした損を日々重ねることは、割に合いますか?
する損と、獲得できる得とを、差し引きすると、どちらが大きくなりますか?
くだんの老人70歳は、損のほうが大きくなると判断したのではありませんか。
老人は、手元にある、しばらくのあいだはつづきそうな、そんなには「苦しまないで居られている」日々を 短いかもしれませんが そのありがたみをヒシヒシと感じながら、大事にしたいという気持ちだったのではないでしょうか。そうしたありがたい日々を、当該抗がん剤によって、早々のうちに捨ててしまうことの代わりに得られるのが、苦しい思いをする期間6ヶ月(寿命6ヶ月の延長のこと)だけであって、一旦捨ててしまった、そんなには「苦しまないで居られている」ありがたい日々はもう二度と戻ってこない(すなわち、治らない)というのでは、割に合わないと感じていたのではないでしょうか。
この老人の計算が隅々まで正解かどうかはもちろん俺なんかにはわかりません。でも、浅慮であるとか、考慮に入れるべき何か大きなものを可哀想にも見落としているとかいうことは、これといって特に無かったのではありませんか?
むしろ、大事なものを見落としているのは、また見落としてきたのは、こうした老人の内心が理解できない医学のほうではありませんか。
*今回の最初の記事(1/8)はこちら。