*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.50
以上、今回見たことを最後にまとめます。
科学は事のはじめに「絵の存在否定」「存在の客観化」というふたつの作業を為し、存在を改悪すると最初に言いました。いまそのふたつの作業のうちの残りひとつである「存在の客観化」を、電柱を例に見ているところです。科学はその「存在の客観化」によって、電柱を、一瞬一瞬答えるものから、答えることのないものにすり替えるということでしたね。「他のものたちと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、ね?
すなわち、電柱を「ただただ無応答でそこに在るもの(客観的なもの)」であることにするんだ、って。
で、その「ただただ無応答でそこに在るもの」とは何かと突きつめてみると、それは、「どの位置を占めているか」ということしか問題にならない何か(延長)である、ということでした。
次回は、この「存在の客観化」のつづきをさらに見ていきます。関係のすり替え、を目の当たりにすることになります。
関係が科学によってどのようにすり替えられてきたかを確認したとき、心の外に実在しているものとして、科学がどのようなものを想定してきたかが明らかになります。
*今回の最初の記事(1/10)はこちら。
*前回の短編(短編NO.49)はこちら。
*これのpart.1はこちら(今回はpart.4)。
*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。