写真で綴る気ままなすぎさん

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我孫子天神坂 嘉納治五郎別荘跡・三樹荘

2021年01月25日 06時40分00秒 | 我孫子・手賀沼・あけぼの山公園

嘉納治五郎 講道館柔道を世界に広めた教育者 嘉納治五郎。1940年の「幻の東京オリンピック」招致を成功に導いた日本人初のIOC委員

我孫子駅から公園坂通りを下って手賀沼公園の手前左に曲がってすぐ嘉納治五郎別荘跡など道しるべ沿って天神坂の階段を登ると嘉納治五郎別荘跡と三樹荘があります。天神坂はかって我孫子が、北の鎌倉と言われた大正時代、文人達の集った三樹荘と椎の実の降る天神坂は、文人がこよなく愛した坂です。

「三樹荘に 夢をつむぎし文人の 足跡しるす 天神の坂」

天神坂を登りきった所に左に三樹荘、右は天神山緑地・嘉納治五郎別荘跡です。
三樹荘は柳宗悦・兼子夫妻の住居跡があり、3本のスダジイの巨木がある事から、叔父の嘉納治五郎が三樹荘と命名しました。

三樹荘 柳宗悦邸跡 明治29年常磐線が開通し、我孫子が鉄道によって東京と1時間あまりで結ばれるようになると、静かな手賀沼を望む丘の上は別荘地として注目されるようになった。柔道の創始者であり、教育者として著名な嘉納治五郎が我孫子市天神山(三樹荘東側隣地)に別荘を設けたのは1911(明治44)年のことであった。翌年には嘉納の姪である柳直枝子(やなぎすえこ)がこの地に別荘を構えたが、敷地内には「智・財・寿」の木として村人の尊崇を集めていた3本の椎の木がそびえることから嘉納が「三樹荘(さんじゅそう)」と命名した。その後、直枝子が谷口尚真海軍大佐(東郷平八郎副官、後の海軍大将)と結婚したため空き家になったが、1914(大正3)年、直枝子の弟である柳宗悦(宗教哲学者、民芸運動提唱者)と兼子(旧姓中島、声楽家)がここで新婚家庭を営んだ。1921(大正10)年に東京に転居するまでの約6年間に手賀沼とその周辺に息づく自然と文物を観察し、のちの民芸運動につながる思索を深めた。また柳を慕って白樺派同人である志賀直哉、武者小路実篤が相次いで我孫子に移住したほか、イギリス人陶芸家バーナード・リーチが三樹荘で窯を築いて作陶に打ち込むなど、三樹荘は文芸発信の拠点となった。柳は我孫子を離れるにあたってこう語っている。「思想の暗示やその發展に、自分はどれだけ此我孫子の自然や生活に負ふた事であらう。(略)余は住みなれたその室に別れるのをつらく思ふ。」(「我孫子から」)柳が去った後、三樹荘には田中耕太郎(最高裁判所長官)、河村蜻山(かわむらせいざん、陶芸家)が居住し、1953(昭和28)年、村山正八氏(歌人)の所有となった。柳が居住した建物は残っていないが、名前の由来となった三本の椎の木は今も手賀沼を見下ろしている。

3本の巨木 スダジイ 三樹荘と名付けられた。

天神山緑地・嘉納治五郎別荘跡

嘉納治五郎別荘跡の看板には・・・

嘉納治五郎は1860(万延元)年、摂津国御影村(神戸市灘区御影)に生まれた。東京大学文学部政治学科および理財学科を卒業し、学習院教授、第五高等学校(後の熊本大学)校長、東京高等師範学校(後の東京教育大学、筑波大学)校長を務めるなど、教育者として知られている。また天神真揚流・起倒流柔術を学び、心身の力を効果的に使用して(精力善用)、人間と社会の進歩に貢献すること(自他共栄)を説いて「柔道」と称し、1882(明治15)年、講道館を開いた。また、嘉納は早くから柔道を海外に普及し、柔道が世界各国で行われる基礎を築いた。国際柔道連盟規約第一条には、「国際柔道連盟は嘉納治五郎によって創設された肉体と精神の教育体系を柔道と認める」と定められている。嘉納は1911(明治44)年、当地に別荘と農園(嘉納後楽農園=我孫子市白山)を設ける。1914(大正3)年には西側隣地(三樹荘と命名)に甥で民藝運動提唱者で宗教哲学者の柳宗悦・兼子夫妻を呼んだ。柳は友人の志賀直哉・武者小路実篤を我孫子に誘い、白樺派の文人たちが集った。また、第五高等学校時代の教え子で東京帝大教授村川堅固が別荘を建設(寿2丁目、旧村川別荘)したのも嘉納との師弟関係を意識したためと言われる。嘉納は国際オリンピック委員を務め、1940(昭和15)年開催予定だった東京オリンピックと札幌での冬季オリンピックの招致に成功した後(日中戦争により中止)、残念ながら1938(昭和13)年、帰国途上氷川丸船上にて逝去した(79歳)
・・・現在、別荘跡には嘉納が住んでいたころの建物などは残っていないが、文人たちが憩う別荘地としての我孫子を作った原点は嘉納と言えることから、ここを購入し、保全している・・・

嘉納治五郎像
嘉納治五郎、生誕160年にあたる令和 2(2020)年に嘉納治五郎別荘跡地に銅像を建てる為、市民団体が寄附を集め、同年4月に現地に「嘉納治五郎先生之像」が建立されました。

我孫子に残された嘉納書額
「力必達(つとむればかならずたっす)」
「鏡為人以(ひとをもってかがみとなす)」

嘉納治五郎

嘉納治五郎別荘跡からの手賀沼



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