「あ、合格してる。入学したらまた会えるかな」

短大の入試。休憩時間に少しだけ話をした、受験番号が1つ後ろだった子。
当時はインターネットなんてまだ普及していなかったから、合格発表は郵便書留だった。
私は、自分の受験番号を確認したと同時に1つ後ろの番号も見つけていた。

地方出身者だった私は、大学の寮に入ることになった。
入学式のすこし前に引っ越し、入寮説明会で寮のホールに集まったときに、その子が入ってきた。

「ああ! あの入試の時の! 合格したの知ってたけど、すごいね! また会えたね!」

そんな運命的な出会いを経て、私たちは友達になった。
たった2年の短大生活だったのに、いろんな話をして、とても濃い時間を過ごして、いまとなってはお互いの恋人や配偶者にはとてもいえないような「墓場まで持っていく案件」もいろいろ知っている。

卒業後、彼女は若くして結婚し子供を産んだので、しばらくは子育てに忙しく、会うこともなくなっていった。私も仕事が一番忙しい時期だったので、その後は年賀状のやり取りぐらいになっていた。それでも私たちはお互いをとても好きだったし、特別だったし、いつもこころのどこかで気にかけていた。

それから約20年。

彼女も含め、20代の前半で結婚した同級生たちの子育てが落ち着き、独身の私とも遊ぶ時間ができるようになってきた。

彼女とも久しぶりに約束をして、食事に行った時のことだ。
長く会っていなかった間の話をいろいろした。あんなことやこんなこと。学生時代の友人は不思議なもので、何歳になっても一瞬であの時に戻ることができる。人の本質なんてそうそう変わらないから、お互いの立ち位置とか、笑ってしまうぐらいに同じだ。

それでも、長い月日が経ったんだなぁ、と思う。

自分たちは変わらなくても、環境は変わっていく。彼女は一人っ子なので、家族の問題が色々あると話していた。少し疲れているように見えたけど、話すといつもの明るい彼女だった。

それから数日たって、彼女からLINEがきた。
そこではじめて、彼女が思いのほか悩んでいることを知った。自分の家族のこと、そして旦那の家族。そして子供たちのこと。考えてしまうと苦しくなってあまりよく眠れないと言っていた。責任感の強い彼女のことだから、いつの間にか、いろんなものを背負っていたのかもしれない。
私は、一緒に食事をしたときそこまで悩んでいるとは思っていなかったから、気が付いてあげられなかった自分のことが情けなくて、そして、悔しく感じた。

ここ1~2年、私は周りの人とお別れする機会がとても多かった。

亡くなった人もいた。意識的に会うことをやめたり、自然に離れる時期が訪れたりした人もいた。
背景や理由はいろいろなのだけれど。そうやってたくさんの喪失感があって、私は2つのことを決めた。

1つ目は、自分の心に従って自分の人生を生きること。
2つ目は、会いたいと思った人とは先延ばしせず、すぐに約束をして会うこと。
自分も含めてどんな人でも、当たり前に明日が来るとは限らない。実は刹那の積み重ねが人生であって、それはいつ、ぷっつりと途切れてもおかしくはないから。

みんな大人になって、本心を上手に隠すことができるようになったり、言わずにその場をやり過ごすことが増えていく。だけど、そうしているうち、いつの間にか自分の本当の気持ちがどんどんわからなくなっていく。誰かに合わせた生き方。自分の人生は自分のものであるはずなのに、知らず知らずのうちに、自分以外の人生を生きてしまう。

私は彼女にはそうなってほしくなかった。彼女に対する気持ちがほかの友達とは少し違う、ということもあるかもしれないけれど、彼女には深刻に思い悩んで自分をすり減らして欲しくなかった。やっぱり彼女らしく、のびのびと、幸せでいて欲しかった。

私たちの友情は、ボジョレー・ヌーヴォーからはじまった。

酸味があって、でも、みずみずしい、生きている味。そんな若いワインのような関係。でも時が過ぎ、静かに寝かされていた時間を経て、今では、味も色も濃くなり、香りまでも楽しめるような深みのある赤ワイン。 そんな関係性に変化した。

私は、今の彼女を自分の陳腐な言葉で元気づけることなんてできないと思った。押しつけがましいのも嫌いだ。だから、今の彼女の心境に寄り添うような、静かにメッセージが伝わるような、有名な作家とエッセイストが書いた文章のURLを2つほど送った。

届け、と祈りをこめて。


「不思議と自分が行き詰っている時に、ふと誰かから答えをもらえることあるよね。ありがと」

これが、彼女からの返信だ。


もうすぐ2018年のボジョレー・ヌーヴォーが解禁になる。
入試当日に出会った私たちを思い出しながら、今年は久しぶりにあの若い味を飲んでみようかと思っている。