封印された歴史 ~アメリカは戦争準備を始めていた… | 日本と中国の真実に迫る!

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長谷川です。

 

国民党の蒋介石に
軍事顧問がいたのをご存知でしょうか?

 

 

盧溝橋事件の2か月前、1937年5月、蒋介石は、
アメリカの陸軍大尉のシェンノートという人物
雇いました。

 


 

この方…シナ大陸を視察したあと
ルーズベルト大統領の後ろ盾を得て
航空機など空軍部隊を編成し、
シナ大陸で、中華民国軍として編入
されるのです。

 


1991年の読売新聞の記事をご紹介します。

 


大戦中の義勇軍「フライングタイガーズ」 
正規の空軍部隊だった 米紙が報道

 

 

【ロサンゼルス七日=桝井成夫】第二次大戦で蒋介石総統の中国国民党軍に協力、
中国南部とビルマ戦線で日本軍機を大量撃墜したことで知られる
「フライングタイガーズ」は、日米開戦半年前の一九四一年春、
米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット二百五十九人による
正規の“エリート空軍部隊”
だった、

 

と六日付のロサンゼルス・タイムズ紙が報じた。

同部隊はこれまで、民間義勇軍とされ、
国防総省自体、陸軍省や大統領とのつながりをいっさい否定してきたが、
約百人の生存者が国防総省に史実を認めるよう請願、このほど退役軍人として認められたという。




同紙によると、「フライングタイガーズ」のパイロットは、
蒋介石の軍事顧問クレア・シェンノート氏によって、
当時の新米パイロットの五倍相当に当たる月給六百ドルと
日本軍機一機撃墜ごとに五百ドルという破格の報酬で、
全米各基地から集められた。

全員は農民や伝道師、エンジニアなどを装ってビルマに集結。蒋介石政権が
米国に借金する形で資金を負担、弱体の中国航空部隊を裏で支えた。

 

現地で飛行訓練を積んだ後、
十二月の真珠湾攻撃直後から国民党軍のマークが入ったP40戦闘機に搭乗、
中国南部とラングーン周辺で日本軍機と交戦し、
日本陸軍航空隊の戦闘機など日本軍機二百九十六機を撃墜したとされている。

 

 


 

 

同紙は「フライングタイガーズ」研究家デービッド・フォード氏の証言として、
当時のモーゲンソー米財務長官が取り決めた国民党への一億ドルの融資が役に立ち、
ルーズベルト米大統領経済顧問のロークリン・カーリン氏が計画全体の調整役を務めたとの見方を示している。
さらに同紙は、「フライングタイガーズは大統領と米軍中枢の承認を受けている」
との米陸軍航空隊ヘンリー・アーノルド将軍のメモ(一九四二年)も見つかったとしている。
真珠湾奇襲の半年前に米側が軍事行動をスタートさせていたことを示すものとして議論を呼びそうだ。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 


驚くなかれ・・・( ̄□ ̄;)

 

真珠湾攻撃が始まる前
すでに、アメリカは戦争準備をしていたということです。

 

 


こちらの記事もぜひお読みいただきたいと思います。

 

 

同じく1991年の読売新聞の記事です。

 

「真珠湾攻撃」の5か月前 米が日本爆撃計画 「大統領も承認」

 

 

【ニューヨーク二十二日=藤本直道】

 

米ABCテレビは二十二日夜の報道番組「20/20」で、
日本軍の真珠湾攻撃の五か月も前にフランクリン・ルーズベルト米大統領は、
中国本土から日本への長距離爆撃計画を承認していたと伝え、
同大統領は日本を意図的に開戦へ追い込んだと論評
した。

 

真珠湾五十周年を前に日本の奇襲を改めて強調する報道が多い中で、
米国の開戦責任を米国側からまじめに論じたものとして異色の番組。

 

 

この爆撃計画そのものは一九七〇年に公開された公文書の中にあったが、
その後歴史家に検証されることなくやみに埋もれていたという。

 

同テレビは当時のパイロットや大統領補佐官などの生々しい証言を伝え、
米政府が日本への石油禁輸を決めた時期と対日爆撃計画承認が
ほぼ同時期であり大統領補佐官の証言からも、
ルーズベルト大統領が日本を開戦に追い込む意図であったと論評している。

 

この計画はJB355と名付けられ、一九四一年七月二十三日に大統領だけでなく
当時の戦争長官、海軍長官なども署名。
ビルマから中国への物資補給路を援護するため中国に雇われた
米人パイロット・グループ、フライング・タイガースを率いる
クレア・シェンノート氏がこのJB355計画にもからんでいた。

 

 

米政府は日本の弾薬工場や重要な産業施設を爆撃するため、
長距離爆撃機六十六機を供与するほか、
数百万ドルにのぼる経費や兵員も負担することを承認していたが、
これは当時の米国の中立法に反するという。

シェンノート氏は、この爆撃により
「日本の紙とマッチの軸で出来たような建物を灰に出来る」と報告していたが、
作戦実施に手間取っているうちに真珠湾攻撃が始まった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

真珠湾攻撃を不意打ちだと散々、喧伝したルーズベルトは
実はその5か月前に、日本攻撃計画を立てていました。

 

 

歴史をひとつひとつ紐解くと
今まで知ることがなかった真実が見えてきます。

 

最後に東京裁判のインドのパール判事の言葉を
ご紹介します。


「国際法の基本原則によれば、
もし一国が、武力紛争の一方の当事国に対して、

武器、軍需品の積み出しを禁止し、
他の当事国に対して、その積み出しを許容するとすれば、
その国は必然的に、この紛争に軍事干渉をすることになるものであり、
宣戦の有無にかかわらず、戦争の当事国となるのである」

 

真珠湾攻撃より以前に
アメリカは、戦争当事国となっていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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