長谷川です。
明日、大東亜戦争開戦の日となりますが
今一度、日本がなぜアメリカと戦わざると
得なかったのか、
戦端を開いた諸原因を
紐解いていきます。
○ハワイを支配しているのはアメリカ
1840年、独自の憲法まで作った独立王国、ハワイ。
その土地に移民を増やし、白人優位の銃剣憲法を作り
王女を幽閉し、支配したのはアメリカ合衆国です。
例え、1941年時点で、ハワイがアメリカの一部だとしても
その歴史をしっかり思い出していただきたいと思います。
ハワイの歴史について詳しくはこちらから→
○人種平等のための戦い
1919年、パリ講和会議の際
国際連盟の規約に「人種差別撤廃」を盛り込もうとした日本。
採決を行い、賛成多数だったにも関わらず
アメリカ大統領、ウィルソンの一存で却下されました。
大日本帝国は、その後も人種平等のために戦い続けました。
なぜ「人種平等」が盛り込めなかったのか、その詳細はこちら→
○日本が解放した満州、パラオでは和の社会を構築した・・・
満州では五族協和を国是とし、他の民族を差別することなく
発展していきました。
パラオも同様に原住民に教育を行い
各種インフラストラクチャーを築いていきました。
かつての白人の植民地ではなしえなかったことです。
満州国の詳細はこちらから→満州 ~どのように一大産業国家を建設したのか?
パラオの詳細はこちら→大日本帝国 ~何をパラオに築き上げたのか?
○着々と戦争準備を始めていたアメリカ
義勇軍と称し、中国国民党蒋介石とパイプを作り
1941年春頃より、航空部隊「フライングタイガースを養成し
シナ大陸へ送り込んでいたアメリカ。
そして、石油の輸出をとめ
「明治時代以降の外地をすべて手放さなければ、輸出は開始しない」
と迫り、日本の息の根を止めたのです
フライングタイガースの詳細はこちら→
○アメリカの対日封鎖とABCD包囲網
アメリカによる対日封鎖と経済制裁を記載していくとこうなります。
「ABCD」とは、制限を行っていた
アメリカ(America)、イギリス(Britain)、オランダ(Dutch)と、中華民国(China)の頭文字を並べたものです。
1937年(昭和12年)10月5日 ルーズベルトによる「隔離演説」
1939年(昭和14年)7月 日米通商航海条約破棄を通告
1939年(昭和14年)12月 モラル・エンバーゴ(道義的輸出禁止)として航空機ガソリン製造設備、製造技術の関する権利の輸出を停止するよう通知。
1940年(昭和15年)1月 日米通商航海条約失効
1940年(昭和15年)6月 特殊工作機械等の対日輸出の許可制
1940年(昭和15年)7月 国防強化促進法成立(大統領の輸出品目選定権限)
1940年(昭和15年)7月26日 鉄と日本鉄鋼輸出切削油輸出管理法成立
1940年(昭和15年)8月 石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制
1940年(昭和15年)同8月 航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸
1940年(昭和15年)9月 屑鉄の全面禁輸
1940年(昭和15年)12月 航空機潤滑油製造装置ほか15品目の輸出許可制
1941年(昭和16年)6月 石油の輸出許可制
1941年(昭和16年)7月 日本の在米資産凍結令
1941年(昭和16年)8月 石油の対日全面禁輸
そして
1941年、11月26日に最後通牒「ハルノート」を日本に突きつけるのです。
ハルノートの詳細はこちら→なぜ開戦に?ハルノートに隠された驚愕の真実
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さて
日本は1941年、12月8日に
侵略戦争を行ったのでしょうか?
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