アイスショーの世界における「リサイタル(独奏会)」と「コンサート」という発想。 | ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

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清冽な雪解けの水のようにほとばしる命の煌めき・・・
至高のアスリートにしてアーティスト、
羽生結弦選手を応援しています。

11月と12月に開催される結弦くんの単独アイスショー「プロローグ」。

 

「単独」。この発想は全世界のアイスショーを見ても例のない画期的なものですよね。

 

既存のアイスショーのイメージというものは、”最初と最後に群舞があって、その中間で一人ひとりスケーターが演技をし、大トリのスケーターが締めくくる”というパターンで固まってしまっていたことに改めて気づきました。これは、アマチュアの試合の後に行われるエキシビションの構成と変わりません。

 

結弦くんが「プロ」に転向したということは、こういうことかと改めて考えました。アイスショーも既存のスタイルに囚われることなく、自由な発想で、ロゴから構成から照明から音楽からグッズから、すべてに自分がプロデューサーとしてかかわる単独アイスショー。

 

フィギュアスケートという分野だけを凝視するのではなく、「芸術」という分野に視野を広げてみれば、たとえば、クラシック音楽の世界には、古くから「リサイタル」と「コンサート」という演奏会の形があります。

 

「コンサート」といえば、複数の楽器を組み合わせた指揮者のいるオーケストラのような演奏会を指し、「リサイタル」や「ソロコンサート」といえば、ピアニストが一人で演奏する独奏会をたいていは意味します。演劇の世界にも、「一人芝居」という形式で催される芝居がありますよね。

 

音楽家はたった一人で独奏会や独唱会を催すこともあれば、複数のアーティストの皆さんと共演することもある。考えてみれば、フィギュアスケートの世界には今まで「リサイタル(独奏会)」という形が存在しなかった訳です。

 

結弦くんがショパンのバラード第一番を2シーズン以上演じたことを「前例がない」みたいなことで批判する声も当初はありましたが、ピアニストにとっては時間をおいて、自分の技術や理解を深め、何度だって同じ曲を演奏するのは当たり前のことであるにもかかわらず、フィギュアスケート界ではそんな見方をされることもあった・・・でも、結弦くんは証明してみせました。

 

本格的な一人の「アーティスト」として、フィギュアスケーターの結弦くんも、音楽家のように時には独奏の「リサイタル」をやったり、複数スケーターたちと「コンサート」をやったり、いろいろな形で演技を披露してくれる・・・。

 

新しいもの、画期的なものに触れることは、いつの時代も観客の喜びですし、「フィギュアスケートのアイスショー」という固定概念が、アスリートであり、アーティストであり、プロデューサーでもある結弦くんの手によって、これから新しいものにどんどん発展していく、その幕開けとなるショーなのだろうな、と私は受け止めました。

 

ピアニストが独奏会を開いたら、それは「ピアノの未来につながらない」とは誰も言いません。

 

「一人の芸術家」ならば、リサイタルこそが誰の力も借りずに自分の今の実力や努力の成果を目の当たりにできるチャンスでもあるのです。それは怖いことでもあり、でもそこに挑んでこそ一人前でもある・・・。

 

結弦くんが今、一人で挑もうとしていることは、一人のアーティストとしての自分の立ち位置やこれからの活動をどのように進めていくかという指針を得るために、貴重な機会となるのではないでしょうか。

 

他の芸術の分野では当たり前であることを、フィギュアスケートの世界でも挑戦しようとしている。結弦くんは本当に目の離せないアーティストであり、プロデューサーですね。

 

 

単独のリサイタルという形でも、コンサートという形でも、結弦くんならきっと、素晴らしいものを作ってくれると思います。「ショー」というと、娯楽性がイメージとして強く感じられるような気がしますが、結弦くんならきっと、その概念を超えていく何かをこれから築き上げて、新しい時代の幕を開けてくれるのだろうと思います。

 

今回も本当にたくさんの企業、たくさんの方々が、結弦くんを支えてくださって、それがあってこそ、結弦くんも全力を注いで準備ができているのでしょうね。これまでの結弦くんが築き上げてきたものが、多くの人々を動かし、今の結弦くんを支えてくださっているのだろうと思います。結弦くんを支えてくださるすべてのスタッフの方々に、一ファンとして心から感謝したいと思います。

 

 

 

結弦くん、とても楽しみにしています。身体に気をつけて頑張ってください。

 

 

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