梨泰院雑踏事故、156人圧死と日本のマスコミの責任、社会道徳の必要性/「不祥事続々」維新の今後 | 高澤 一成 「真の哲学者とは」

高澤 一成 「真の哲学者とは」

■哲学・社会学・社会思想に基づく「社会衰退の克服論」
■成人道徳教育(啓蒙)の必要性と、道徳と自由の両立

 

11月3日 梨泰院雑踏事故、156人圧死と日本のマスコミの責任、社会道徳の必要性/「不祥事続々」維新の今後

 

    

  

 

 これから日本の若者を日本の大マスコミから道徳の側に取り戻す戦いを始めていきたい―。

 

 

 

■梨泰院(イテウォン)雑踏事故、156人圧死は「無秩序」による大惨事

 

 

「自由なんだか、無秩序なんだかよくわからない。」
 

 2014年のセウォル号沈没に続き、韓国でまた非常に多くの若者が犠牲になる痛ましい事故が起きた。


 今度は「ハロウィン」という、今までの日本や韓国にはなかったアメリカでポピュラーな年中行事の模倣による社会現象での大惨事だ。
 

 一貫して道徳を完全に全否定して、「自由を礼賛していれば、なんでもあり」という風潮が日本のマスコミでは圧倒的に大勢(たいせい)であり絶対だが、田原総一朗氏や橋下徹氏を始めとする日本のインフルエンサーは、この大惨事が、「道徳が破壊された無秩序によるもの」であると自覚して一刻も早く自らの過ちを認めて懺悔していってほしい。

 橋下徹氏はTBSの「ゴゴスマ」で、法規制の必要性や法律論ではなく、「参加する我々も意識を持つべき」、「事故が起きない形で行われるように参加する人の意識も(重要)」などとコメントした。

 

「意識を持つべき」というコメントは極めてあいまいであるが、あえて良く捉えるなら、道徳家の私に近い道徳的なことである。

 つまり法律のみを絶対視し、自分を最も卑劣な手段で攻撃していた朝日新聞と結託して、橋下が「ゴゴスマ」で言ったような個々人の意識や、西部邁(にしべ すすむ)がよく言われていた規律といったような道徳を全否定していたのは当の橋下徹本人なのである(かつて同氏の番組内では、やくみつるさんが非常に重要な道徳の必要性について訴えていたが、道徳をタブー視するテレ朝の橋下の番組内ではスルーされていた)。

 

 そりゃ、そうだ。

 中国や北朝鮮、ロシアのような軍事独裁国家でもない限り、罪刑法定主義を無視して、公道での民間人の移動の自由をいきなり制限できるわけない。まして警察は前例主義で動いているため、何ら被害が生じていなかったり、そうした事例が全くない段階で、公権力を行使して、非常に多くの犠牲者が出ることを予測して通行規制を敷くことなどできない。

 

 つまり、法律だけではどうすることもできない、道徳や公共性、公共の福祉に頼らなければならないケースは五万とある。

 事故当時は、非常に多くの人たちが目と鼻の先で無残に死んでいるのに、オーストラリア人を始めとする多くの外国人が気持ちの悪いバカげた扮装をして、有象無象に公道にひしめき合って、救急隊の救助の障害になっていて、全く目的がないのに、生活のために我慢して乗っている日本の満員電車のように無意味に押し合いへし合い大挙して、酔っ払って、浮かれて、踊って騒いでいる様はまさに完全に道徳のない地獄絵図であり、セウォル号沈没以上の虐殺現場であり、韓国の下請けである日本の大マスコミは、統一教会の次は今度は自分たちの罪を棚に上げて、韓国の警察だけを目の仇にしているが、アメリカのハロウィンという年中行事の表面的な部分だけを日本に持ち込んだ人たちや、「仮装して渋谷に集まる」というだけの歪曲したものとして、それを面白おかしく拡散した日本の大マスコミの罪は非常に重い

 

 

 

 

 

■11月7日 追記  梨泰院(イテウォン)雑踏事故で誤解されてはいけないこと

 

(2022年11月2日 朝日新聞)

 TBSのテレビで、突じょとして自分が攻撃してきたはずの「道徳」の必要性を言い出した橋下氏を除けば、私と同じような見方をしている人が全くいないため、誤解を招かないために、補足したい。

 私も韓国警察や韓国政府の対応のずさんさが全くないとは言わない。

 だが事故当時、「押せ、押せ」と叫ぶ男性がいて、実際に坂の上の不特定の道徳のない何者かが押し始めたことによって、この事故が起きてしまった可能性が高く、かつ、その特定自体もほぼ不可能であり、また、2日の朝日新聞の記事にもあるように、「今回の事故は(コンサート会場の事故とは違い)『主催者がいない自発的行事』」であり、「法曹界では、安全管理義務などの法的責任を問うのは極めて難しい」と言われていて、橋下氏がテレビでワケのわからない表現で変節に走ったように、法律だけではどうしようもなかったのだから、道徳の必要性を認めざるをえないのである。

 そして、韓国は群衆管理の研究が未発達で、つまり国家として成熟していないことを尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領が認めている。

 また、韓国で非常に多くの犠牲者が出たのに対し、日本のハロウィンが無事に終わったことで優越感を感じる日本人もいるかもしれない。
 まして、「なんで韓国の事故なのに、日本のマスコミが悪いのか?」と私の方が反日と思う人すらいるかもしれない。
 

 だがNHKが韓国系の電通に屈した2005年以降、一貫してジェンダー洗脳、道徳排除と共に反日という左のイデオロギーを貫いたのは、日本のテレビである。
 そして日本のテレビが韓国メディアと一心同体であることは言うまでもない。

「水島  この変化の転機は、2003年からの『韓流ブーム』でした。電通の成田豊代表取締役社長
が主導して、NHKからテレビ東京まですべてのメディアが揃って、国民の意識を洗脳したのです。
…電通の成田さんはソウル生まれ、中学まで朝鮮半島で育った方です。2009年に韓国政府から
勲章(修交勲章光化章)を…受賞しました。テレビ局は電通を通して…韓国とのつながりを深めて
おり、…事実上、…韓国の広報・宣伝の出先機関になりつつあると見てよいでしょう。」
(三橋貴明著 「大マスコミ 疑惑の報道」 飛鳥新社)


 この本が出版されたのは、11年も前の2011年だから、今はもう「韓国の出先機関になりつつある」というよりも、「韓国メディアの支局である」と言っても過言ではない。
 

 たとえば安倍首相が銃撃された直後は、すべてのテレビ局が韓国に気をつかって、「統一教会」の団体名を伏せていたが(普通、公共放送の報道番組で「イスラム国」の名前を伏せるなんてありえないが)、本国(韓国)から「GOサイン」が出たら、一切に団体名を出してメディアスクラムをかけたことが、なによりの証左である。

 そして私が言いたいのは、元々は、韓国メディアが日本のテレビを下請けにして仕掛けた「梨泰院(イテウォン)ブーム」が原因であり、韓国メディアは自国の激しい韓国世論を敵に回したくはないから、下請けの日本のテレビに韓国の警察や政府のあらを探させて、攻撃させ、本丸である韓国メディアの責任を回避させているようにしか見えないのである。

 だから、私は多少の誤解を受けようとも、韓国の犠牲者と遺族のために、日本のマスコミを批判しているのである。

 また、「所詮、韓国で起きた事故であり、日本はDJポリスもいて無事だったから、日本のマスコミどうこう言う必要すらないのではないか?」と思われる方々もいるかもしれないが、日本の若い女性も二人亡くなられているのである。

 

 そのため、日本とは全く無関係ではなく、韓国の下請けの日本の大マスコミが、有吉などを使って、ステマ的に韓流ばかりを、今回の犠牲者である2人の女性を始めとする日本の若者に洗脳し続けて、さらには同じく反日の日本のマスコミが定着させた、無秩序な「渋谷ハロウィン」の輸出で、日本人女性を殺してしまったことは疑いようがないのである。



「日本の若者の皆さんへ。
 皆さんがもし「日本が好き」というなら、今の状況は完全に真逆の方向へ向かっています。

 

 本当に危機的状況にありますので、私のブログを読んで拡散して下さい。」


 

 

■梨泰院圧死事故は、理論的に言って「道徳」でしか防げない

 

 

(2022年10月31日 朝日新聞)

 

 まず誰もが知らなければならないのは、法に則って警察が動けるのは、あくまで「事後的」だ。

 中国やロシアでもない限り、殺人が起きていないのに、人を殺人罪で起訴できないし、万引きをしていない人を万引きで捕まえることなどできない。

 事故の前の日も、その前の日も、同じような混雑が起きていたにも関わらず、現実的な被害が出ていなかったため、警察が動けなかったのは、ある意味仕方ない。

 そして、日本のマスコミは卑怯にも、「一方通行にすべき」とする専門家の声を放送していたが、完全に結果論であり、事前にそんなことできるわけない。

 つまり、梨泰院駅から一番近い道でメインストリートに向かう人たちと、メインストリートから一番近い道で梨泰院駅に向かうというそれぞれの人たちの移動の自由を、何の被害もない段階で、公権力を行使して、ストップさせることなどできないのだ。

 まして感情的な韓国の国民性、長期に渡るコロナ対策の規制がなくなった開放感もあり、事故がない段階では、ドラマの名所である駅からの道が通れなくなることに、多くの人が抗議するだろう。

 

 つまり明確に、「人が殺到して混雑しているから、この裏道を通ってはいけない」とする法律はこの段階ではないのである。

 事実、事故があった日も、突発的な大雨があったり、夕立があって、時間が経つにつれて屋外に人がいなくなれば、何も起きなかったケースも想定されたのである。

 

 これに対して、道徳とは「事前的」である

 

 道徳とは国家の法権力が及ばない「自由」であり、かつ「自由の制限」(ヘーゲル)なのであって、「3日前から人が殺到している」、「SNSで梨泰院駅に向かう人にこの状況を拡散しよう」、「混雑している」、「三方向から人が動いている」、「声を上げよう」、「押されている人を助けよう」、「道を譲ろう」、「この道から行くのはやめよう」…。

 

 一人一人の道徳が積み重なって、社会は大きな問題を解決していくのである。

 

 しかし、好奇心旺盛な若者はともかく、不良外人や良からぬ人たちもたむろする開放的でオシャレな街では道徳は期待できそうにもなく、まして不気味な扮装をしている若者や、言葉の通じない外国人でごった返していたこともあり、完全に「無秩序」が支配していたのである(現に日本の南青山でも、「オシャレではなくなるから児童相談所を置くことに反対する」という全く道徳のない、他の地方の人たちに対する優越感の塊だけのような人たちもたくさんいて、そういう「オシャレな一等地」には、我々も考えつかないような全く道徳のない、自己本位的な人たちが多い)。  

 

 そして「ハロウィンに梨泰院を歩きたい」という多くの人たちの感情や欲望だけが殺到してしまったのである。  

 日本のマスコミによって計画的に流行らされた渋谷のハロウィンのイメージに囚われた、野次馬的な好奇心が。  

 

 そしてこの「日本版ハロウィン」という社会現象を流行らせたのがまぎれもなく日本のテレビ、マスコミなのである。

 そして、こんな理不尽な大事故にも関わらず、亡くなられた156人の若者の遺族は、訴訟を起こすべき明確な対象もいないのである。
 私が遺族なら、間違いなく社会の道徳を全否定して、こうした無秩序を推進した田原総一朗氏や橋下徹氏のようなバカだけをテレビに出し続けた大マスコミを訴えようとするだろう。

 なぜここまで私は言うべきなのか?
 

 それは亡くなられた150人以上の若者が、ただの自由な民間人、群衆であって、文字通り「行き当たりばったり」だからである。
 理論的に言って、哲学や道徳を全く何も知らない大マスコミや田原総一朗氏、橋下徹氏が重視するような法律や心理学だけではどうすることもできない。

 たとえば、似たような事故として挙げられる花火大会やインドネシアのサッカー、神社の参拝なら、犠牲になった人たちの目的も明確であり、責任の所在もまた、花火大会やサッカークラブなどの主催者、運営サイドと明確である。
 

 だが、今回の事故は主体者がなく、犠牲者同士のつながりもないのである。
 ただ、一つ罪かあるとしたら、漠然とした、渋谷や梨泰院(イテウォン)に人を殺到させるというだけの「日本版ハロウィン」という独り歩きした概念、社会現象だけ。
 

 何の目的もなく、ただ仮装をするなどして「渋谷に集まろう」という流行である。


 無論、それは新宿や原宿、かつての竹の子族のように、ある程度は自由であるべきだ。

 

 しかし現にその原宿の竹下通りでも、今回と似た事故が過去に起きているし、社会学の代表格であるデュルケムによれば、いかなる社会の構成員も、日本の大マスコミのような、社会に対する影響力が極めて大きい存在からの影響を被(こうむ)らざるを得ず、そうした存在が道徳を全否定したことによる「無秩序」には際限がない。 

 

 そして、それによって自殺者数も減らないというのである。

 

 だが、社会学の代表格であるデュルケムによれば、いかなる社会の構成員も、日本の大マスコミのような、社会に対する影響力が極めて大きい存在からの影響を被(こうむ)らざるを得ず、そうした存在が道徳を全否定したことによる「無秩序」には際限がない
 そして、それによって自殺者数も減らないというのである。

 

「個人は、社会的環境からあまりにも自由になりすぎるこの瞬間ですら、なおこのように社会的環境の影響のもとにある。
…情念に限界を画することのできるものは個人のなかにはないから、個人の外部にあるなんらかの力が必然的にこれを限界づけなければならない。
…なぜなら、社会は個人に優越した唯一の道徳的な権威であり、個人はその優越性を認めているからである。
…欲望は、方向を見失った世論によってはもはや規制されないので、とどまるべき限界のどこにあるかを知らない。
…あらゆる豊かさの増大から生じる道徳的な危険は、たとえそれを救うすべがあるとしても、見のがされてよいものではない。

…もし道徳的環境が腐敗していれば、教師自身もそのなかに生きているのであるから、かれらにもそれが浸透しないわけにはいかない。」(デュルケイム著 宮島喬 訳「自殺論」 中央公論新社)

 

 今で言えば、児童虐待やわいせつ教員、介護職員による殺人などがそれに当たる。  

 

 事実、何の事件も起きていないのに、いきなり韓国警察が出てきて、梨泰院で徹底した通行規制をして、最後まで「世界グルメ通り」に入れなかった人たちも出るなどして、ハロウィンが盛り下がって、結果的に何も起こらなかったら、それはそれで抗議が起きるだろう。 「コロナが収まって、ようやくハロウィンのお祭りで若者たちが開放感を味わえるはずだったのに」と。 

 

 日本の左派マスコミは、全く事件も起きておらず、被害もなく、法律もないのに、いきなり警察が梨泰院という、ヒット曲やドラマのタイトルにもなっている韓国一オシャレな場所に出てきて、狭い歩道にまで入り込んで民間人の移動の自由を制限することは、「コロナ規制後の若者の自由な文化に対する弾圧」と、それはそれで批判的になるに違いない。  

 

 そうではなく、韓国の繁華街にこのように完全に常軌を逸した混雑と、無秩序を招いたのは、(日本でも、人気芸人を使って大マスコミが意図的に宣伝した)「韓流ドラマに対する熱狂」と、日本の大マスコミが長年に渡って日本国内で意図的に広めた「渋谷のハロウィン」なのだから。

 

 


 

 

■梨泰院圧死事故は、韓国政府よりも、日本の大マスコミが第一の元凶であり、責任がある

 

 まず私は、韓国政府や韓国警察が、因果律として事故の原因であるとは考えない。

 なぜなら、今回の大事故の原因となった「ハロウィンで梨泰院に若者が集まる」という日本の渋谷に似た現象は、韓国政府ではなく、日本のマスコミのメディア戦略によるところが大きい。

 

 日本のマスコミは、日本とは縁遠い「ハロウィン」というアメリカのイベントを取り上げ続けて、この10年ほどで日本に定着させ、さらにはコロナ前のインバウンドや、政府の移民推進、小池都政の「ダイバーシティー」で都心に外国人が増えて、「ダイバーシティー = ハロウィンに渋谷だけに集まって騒ぐ」という現象が固定化し、また、ここ数年に渡り「めざましテレビ」など、日本の情報番組が、頻繁に渋谷で盛り上がるハロウィンを報道し続けて、全国の若者に拡散し、関東圏の若者に定着させてしまった。

 

 そして、それと並行して韓国では日本で言う渋谷や原宿、南青山のようなドラマの撮影に使われるオシャレな町、梨泰院の「梨泰院フリーダム」という曲が発売され、また、NetFlixで「梨泰院クラス」というドラマが作られ、そして韓国系の電通の支配下にある日本のテレビが、これを意図的に2020年に日本国内で、ツイッターのフォロワーが740万人もいる有吉弘行が、『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』などで、全く日本とは関係のない韓国のネットドラマの「梨泰院クラス」を自身のツイッターや番組で絶賛するなどして、「流行らせ」ており、つまり、電通の支配下にある大マスコミが、テレビの人気芸人を利用した、ステマのようなマーケティング戦略を日本で展開した経緯がある。

 

 無論、今回の事故と、日本で2年前に韓流の「梨泰院クラス」が流行ったことは関係ないかもしれないが、「ドラマの撮影で使われるようなオシャレな街だけに若者を殺到させる」という日本版ハロウィンが、韓国でも流行ってしまったことは大いに関係が「ある」。

 そして、「梨泰院クラス」とテレビ朝日の「六本木クラス」とをコラボさせて、日韓の相乗効果を狙いつつ、反日や韓流、LGBTの洗脳を加速させて、日本の社会秩序をさらに破壊して、韓国をテコに外から日本の若者をさらに洗脳しようとしていたふしが日本のテレビにはあるのである。

 

 つまり、事故の原因としては、元々の日本の反日左派マスコミの計画された商業的なマーケティング戦略や、戦後一貫して日本の道徳を排除したことによる「無秩序」に原因があるのであって(韓国人も、渋谷に殺到して暴れる無秩序な日本のハロウィンを真似た)、船長が逃げて救助が遅れたり、過積載などの不備があったセウォル号沈没とは全く違い、韓国政府や韓国警察に事の原因があるのでは全くなく、糾弾の矛先を向けるのは間違っている。

 

 このような日本のテレビの、道徳を破壊して韓流だけを日本人に押し付けようとして悲劇を招いた例としてはフジテレビのネット番組が、木村花さんに対する過剰な演出によって、ツイッターで道徳のない若者による誹謗中傷が始まってしまい、木村花さんが自殺してしまったケースがある。

 フジテレビはスウェーデン左翼の片棒を担いで、テレビで日本に体罰禁止の法律を押し付けて、日本の社会秩序を破壊した急先鋒である。

 そしてテレビ朝日の「六本木クラス」も、出演していた香川照之が高級クラブで性加害をはたらいて批判が相次ぎ、活動中止に追い込まれて、最初からケチが付いていて、すでに道徳のない反日テレビの呪われた流れが始まっていたのである―。

 

 

■遺族の怒りの矛先を韓国政府や韓国警察に向けさせる卑劣極まりない日本のマスコミ

 

 日本のメディアスクラムの矛先が統一教会や国葬から一気に韓国政府や韓国警察に移行しつつある。

 

 日本の保守層にとっては「統一教会や韓国政府が叩かれるのは結構なこと」と考えるかもしれないが、日本のマスコミは最初、安倍元首相が銃撃された直後は「外国の宗教団体」として、韓国に配慮して、統一教会を守っていたのであり、その後、不可解な形で全マスコミが一斉に手の平返しをしたが、その理由としては、日本のオール反日の左派マスコミが、過激なジェンダーを日本に持ち込んで、自らのイデオロギーを実現させるために、道徳を重視する宗教そのものをつぶしたいだけなのであって、そのためには、完全な「カルト」である統一教会が「宗教=悪」として、槍玉に挙げやすいということがあり、日本人の最大の敵は、西部邁(にしべ すすむ)も「国民の道徳」で指摘しているように、日本の第一権力である反日マスコミであり、メディア権力である

 

 無論、従軍慰安婦や徴用工の問題で、韓国の経済成長に尽くしてきた日本政府が、韓国政府からいわれなき要求を突き付けられることが今まであったことは、韓国が国家として成熟しておらず、日本は毅然と対応していかなければならない。

 しかし、従軍慰安婦も元は日本の朝日新聞が捏造したものであり、北朝鮮のミサイルや核の脅威にある日本人も韓国人も、互いに不毛に相争って、憎しみ合うのではなく、そろそろどこの誰に大事故や関係悪化の原因があるのかをはっきりさせなければならない。かつて朝日新聞の尾崎秀実(ほつみ)は、共産主義のソ連を守るために、日本と中国を戦争させたこともある。

 

 警察の対応の遅れを細かく報道したり、若者の抗議の様子を撮影して報道するなどして、日本のマスコミがアシストする形で、韓国の遺族が一気に韓国政府や韓国警察に個人糾弾の矛先を向け始めたが、セクハラで福田次官がマスコミから一斉に叩かれた現象によく似ている。だが、その実態としては、その原因はどちらのケースも、日本の大マスコミ、国家公務員法違反を犯そうと意図的に特定の女性記者を特定の財務次官に長期間に渡って密着させたテレビ朝日が下手人であり、あるいは日本版ハロウィンを国内で定着させ、韓国にもたらした元凶なのであって、福田次官も韓国の警察庁長官も、直接的な原因があったわけではない。

 

 これまで道徳のない日本の左翼は、多くの同志を殺害した日本赤軍、また、塩村文夏に対するヤジ問題で、先輩の身代わりになって名乗り出て、すでに謝っている鈴木章浩都議を長期間に渡って個人糾弾した朝日新聞や津田大介、あるいはナイナイ岡村さんに対する望月衣塑子、経済学者の高橋洋一さんに対する石垣のり子など、理性がなく、ヒステリックな個人糾弾、つまり「いじめ」を身上としている。

  

 

 

 

 

 

 

 

■ハロウィンのバカ騒ぎに韓国という国に対する敬意はあったのか?

 

 韓国版ハロウィンという、大惨事を引き起こしてしまったこのバカげた騒ぎ、どんなによく言っても一過性の流行ごときで、梨泰院(イテウォン)に殺到した浮かれた若者たち、特に外国人には、韓国の土地や韓国の死者に対する敬意はあっただろうか?

 

 少なくとも私には、エジプトのピラミッドや平将門の首塚に立ち入って、それらに対する敬意のない多くの外国人がバタバタと不審死をしたケースを想起させる。
 無論、韓国だけではなく、西浦和也氏によれば、板橋、品川、六本木、池袋などなど、東京23区は、韓国とは比べ物にならないほど忌(い)み地だらけであるという。

 無論、島田秀平氏によれば、東京23区は有名な神社のようなパワースポットも多くあるが、美輪明宏さんが永田町のことを「魑魅魍魎(ちみ もうりょう)」と呼ぶように、都心の神社にある巨大な力は、日本を衰退させた大物政治家のためにしかなっていないという。

 

 道徳倫理ゼロの日本の大マスコミに毒された若い人たちには何を言ってもわからないかもしれないが、我々はただ我々だけで生きているのではない。
 我々は皆まごうことなく、多くの祖先や祖国の地、また、戦争の犠牲の上に成り立って、生かさせてもらっているのである。

 戦後以降、日本のマスコミ、西部 邁(にしべ すすむ)が警鐘を鳴らしたこの国の第一権力であるメディア権力は、朝日新聞と田原総一朗を始めとするテレビの顔の左派ジャーナリスト、それに久米宏の登場以降、社会に大きな影響力を持つようになったテレビ朝日と、TBSなどの民放キー局で、道徳を一切登場させず、排除して、自殺、いじめ、児童虐待、わいせつ教員など、今日の成熟日本社会の未曽有の社会衰退にあるが、橋下氏本人もまた、朝日新聞と和解した後、テレビ朝日で公然と道徳を否定することで、道徳が必要とされる様々な社会問題が深刻化していって、それによって法規制を強められていって、パワハラ防止法や体罰禁止の法律などで、自由や裁量が著しく制限された、子どものしつけすらできない社会になっているのだから、自らが「小銭稼ぎ」と蔑(さげす)んだテレビコメンテイターに堕した橋下氏の言うことは完全に矛盾している。

 そもそも日本版の似非(えせ)ハロウィンなんて、渋谷区民も迷惑がっているし、私自身そんなことで自己実現したいなんて思わないし、そもそもハロウィンなんて日本には関係ないし、日本にはお盆があるからいらないし、少なくとも「ハロウィン=渋谷(梨泰院)に集まること」と考えることは無意味という、冷静な判断が必要だ。ただ、そうした判断ができない未熟な若い人たちが、ハロウィンの主体者でもなんでもないのに、「みんなが集まるから自分も集まる」という、メディアに乗せられた野次馬的なノリで文字通り「殺到」してしまった。
 

 確かに人生の最大の目的は「思い出作り」である。
 

 しかし、何も目的がないのに、「ただ渋谷に集まること=ハロウィン」というのは、あまりにも短絡的でバカげていて、渋谷の人たちにも迷惑である。
 だって、バカマスコミが毎年毎年テレビの情報番組でハロウィンを大々的に取り上げることによって、明日仕事や学校があるのに、自分の家の前まで変な仮装をした若者や外国人が何の目的もないのに大声を出して大挙して、明け方までどんちゃん騒ぎをされたら嫌だろう?

 ハロウィンだからって許されんのか?

 しかし、若者の刹那主義的な考え方が、そうしたわかりやすい流行に飛びついてしまうのかもしれない。
 

 私が何が言いたいか?
 

 パワハラ防止法や体罰禁止の法律のように、バカマスコミに煽られたバカ政治家が、法権力で国民の自由を制限するのではなく、こうした道徳的なことを一人一人の若者に考えてもらいたいである。

 

 高澤の話なんて聞かない。

 それも大いに結構である。

 私も若い頃は完全に道徳なんてなかったし、若者がいつ、どこに集まろうと完全に自由だ、自由だ、自由だ。
 

 ただ、少しだけバカマスコミから離れれば、私みたいに「1+1=2」の理性的なことを言っている人がいることを知ってもらいたいのである。

 少なくともハロウィンに興じる今の日本の若者が、ハロウィンの本来の目的である日本の先祖の魂に思いを馳せることは全くない。

 大マスコミからちやほやされて、スポイルされて(甘やかされて)、何も知らないバカのまま、行き当たりばったりで死ぬために無秩序に生きることに何のあなたがたの価値も見出せないということを。

 そんなに自分自身のことをナメないでほしい。
 人には人それぞれ道がある。
 日本のバカマスコミにたぶらかされて、人に迷惑をかけたり、圧死するためだけに10月下旬に渋谷に殺到せず、本来の自分の道を歩んで行ってほしい。
 
 また、今の時期は周知のようにウクライナで、東西冷戦の延長上にある米ロの代理戦争が起きていて、さらには戦争状態にあるロシアとウクライナは民族的に近いため、これと似た構図の戦争とも言える朝鮮戦争で143万人もの民間人の犠牲者を出した韓国が、かつての自分たちと同じ状況にあるウクライナで多くの民間人が亡くなられている中で、こうしたムードに浸っているのは、大変申し訳ないが、弛緩(しかん。気が緩むの意)しているといわざるを得ない。

 さらには、非常に多くの左派系の韓国人が大量虐殺された保導連盟事件も含めて(日本の左派マスコミは知らないだろうが)、韓国には無念の思いをされて亡くなられた方が韓国の中心部に多くおり、また、ハロウィンが本来は日本のお盆に近い風習であることから、朝鮮戦争と保導連盟事件で殺された非常に多くの韓国の民間人の無念な思いをされた魂が、弛緩(しかん)した外国人連中も含めた、慰霊する心のない若者たちの、快楽主義の延長にあるとは言え、本来は死者の魂が戻ってくるというお祭りであるハロウィンに舞い戻って、つまりは悲しい事件や戦争のあった場所に肝試しに行って祟られたり、墓場でお墓にしょんべんをかけるなどの悪さをしたような霊障とは言わないまでも、この前代未聞の犠牲者の多さは、なんらかの因縁や、ハロウィンというケルト民族の祭りに便乗した、恥知らずの乱痴気騒ぎに対する亡くなられた韓国の皆さま方の無念の魂の怒りの現れであると感じざるを得ない。

 

 ヘーゲル哲学では、死者とは無ではない。

 

「感覚的で個別的な現実を脱却した共同存在としてかれら(家族)をとらえ、そうした個々人を対象ともし、内容ともする行動は、…死者を相手とする行動でなれけばならない。

 なぜなら、死者は…完結した一形態におさまり、…単一で安定した一般的なすがたをとるに至っているのだから。
 …個人そのものが最後に到達する共同のありかたが、『死』という純粋な存在である。」
(ヘーゲル著 長谷川宏 訳 「精神現象学」作品社)

 

 韓国では、ソウルでは、ハロウィンや商業的なドラマなどクソどうでもよく、朝鮮戦争と保導連盟事件で、韓国の中心部で殺された非常に多くの韓国の人たちのことを考えて歩くことにすべての重要さがあるのである。

 

 しかし、踏みにじられた前途ある美しい若者たちの魂は二度とは返ってこないのである。

 

 

 日本の大マスコミに死を!

 

 そして日本の大マスコミが信奉する狂ったイデオロギーであり、日本の全共闘世代が信奉する共産主義、唯物主義もまたヘーゲル哲学を曲解したマルクスやフォイエルバッハを始めとする頭が悪くて、出来損ないの、頭のおかしい、イカれたヘーゲル左派なのである。

 

 

 尚、ハロウィンに対しては、私自身は大学1年の時の1992年10月17日に、アメリカに留学していた高校2年生の服部剛丈(よしひろ)さんがハロウィンパーティーのために扮装して訪れた家で、「フリーズ(動くな)」と言われて、まだその言葉の意味が理解できず、射殺された事件が連日報道されており、当時は日本のメディアも、NHKが健在で、テレビが電通に支配されておらず、反日ではなかったので、今とは全く違い、まともな報道が行われていて、若者心(ごころ)に「ハロウィン=日本の若者が理不尽に射殺される」というイメージしかなく、正直、全くいいイメージがなくて、ハロウィンには興味がないし、忌まわしいものとしか思っていないし、今も「全く」関心がない(ミニストリーの歌は好きだけど)。

 

 

 

 

 

 

■「道徳攻撃」でタッグを組む朝日新聞と橋下徹の危険な「カンケイ」

 

(2022年9月25日 朝日新聞 広告)

 

 未だに朝日新聞と橋下徹は蜜月のようである。

 道徳のない朝日新聞出版の広告が朝日新聞の紙面に踊る。

「相手を斬れ!」とはまた山口二郎のように物騒なうたい文句だ。

 

「相手」とはかつての盟友、百田尚樹さんのことなのか? 

 

 過激なジェンダーを推し進めたい大マスコミは徹底的に統一教会を叩きたいのに、橋下氏はあえて逆張りで統一教会を擁護する立場で議論を展開しようとして、紀藤弁護士に論破されるという様も、くだらない日本のテレビの「言論プロレス」の風物詩と私は見る。

 法規制ではなく、リベラルを装う風を見せてはいるが、実際はテレビで橋下が道徳を否定することで、日本社会はパワハラ防止法や体罰禁止の法律と、法権力が著しく拡大して、しつけや指導の裁量の自由がなくなっている

 

 「修羅場を勝ち抜く」とあるが、我那覇真子さんからも藤井聡さんからも逃げ回っているし、誰がどう見ても百田さんや北村弁護士にも「完全に負けている」と見る。

 

 ただ、朝日新聞を始めとする反日マスコミを味方に付け、竹中平蔵が立ち上げた国政政党のために、連日テレビに出、Abemaにも出、知名度を利用して、国民を洗脳して優位に立っているというだけで、私には彼一人の力だけで「修羅場を勝ち抜いている」ようには到底見えない。

 

 「フェアに考えればあらゆる問題は解決する」とあるが、上海電力や森友問題については全くフェアに語っていないし、全く何も解決していない。

 橋下ら維新にハメられ、元々は協力者だった籠池泰典さんを、私は応援しているが、維新と関わったことによって実刑を受ける可能性が極めて高い。

 

 橋下氏を見ると、彼と似たタイプで道徳のないエリートの故・永田寿康さんを思い出すが(しか思い出せないが)、朝日新聞と共に日本の道徳を破壊する「法匪」という言葉はまさに彼のためにあるのだろう。

 

 

 

 そんなに日本や日本人のことがお嫌いなら、朝日新聞ともども中国に行ってほしい。

 

 それにしても、維新は「橋下氏をヒトラー呼ばわりした」として、菅直人ら民主党や共産党と激しく対立しているのに(無論、彼らの利権と新自由主義を進めるために保守層をだますための見え透いたパフォーマンスだが)、民主党や共産党の支持層が購読者層である朝日新聞は一体どの層に対して本を売ろうとしているのだろう?

 

 つまり橋下氏と朝日新聞とは、ヒトラーとスターリンが共闘している危険な「カンケイ」だ。

 まぁ、ヒトラーと言っても、今の彼は反日テレビとAbemaで粋がる「小チンピラ」だけどね(藤井聡さんは政治家ではないから)。

 ただ「純粋に普通の日本人」というだけで逆差別され、「罪人」の濡れ衣を着せられて、全財産を没収された上で、悪だくみの代名詞である維新のためだけに刑務所に行く可能性が強い、田母神俊雄さんと並ぶ熱き愛国の道徳教育者、籠池泰典さんの無念はいかばかりか。

 

 

 

■「不祥事続々」、維新の今後について(書きかけ) 

 

(2022年10月27日 TBS「ゴゴスマ」)

 

 

 

(2022年7月31日 朝日新聞)

 

 

 

 

 

 

 

(2022年10月26日 朝日新聞)

 

 知名度のある橋下徹氏がテレビに出続けることで、大阪を中心に多くの票を獲得して国会で議席を増やし続けている日本維新の会。

 しかし、橋下氏が梨泰院の圧死事故で、「法律こそが全てであり、道徳は全否定する」という主張を貫いて、テレビ朝日や朝日新聞と共闘してきた自らの存在意義を全否定するような、あいまいで道徳的なコメントをして、完全に論理矛盾、論理破たんした「ワケがわからない男」になったが、当の維新自体も、周知のようにワケのわからない事件や騒動を起こしている。

 

 まず、松井一郎大阪市長と維新の会の国政の中心人物である足立康史議員との対立である。

 かつては維新の利権と言われる森友問題などでは、松井氏と足立氏が連携して、手を取り合って籠池さん夫妻を攻撃するなどしていたが、松井氏が代表を退いた途端、足立議員が松井氏に反旗を翻して噛み付いたのだ

 そして彼らの主戦場は情けないことにツイッターが多い。

 松井市長が一民間人だった水道橋博士を訴えたのもツイッター、橋下氏や足立氏と百田尚樹氏との論争もツイッターだ。

 また、最近起きた自殺ほう助もツイッターによるものだから、「道徳のない人はツイッターを使うべきではない」と声を大にして言いたい。

 

 足立氏が松井氏に物申した理由もいまいちワケがわからないし、今まで完全に一心同体だった「同志」に対して「いちびり」という、非常にバカにした表現をして見下す松井市長もよくわからない。

 

 私自身、松井市長や足立議員に対してそこまで言いたいことはないが、ただ一つだけ言いたいことは、同じ関西圏の人が立ち上げたNHK党に対してもそうだが、「道徳のない人たちが集まったら組織が成り立たない」というのは、ソクラテスの対話法に出てくる有名な、理論的な道徳であり、哲学や道徳の「初歩中の初歩」だ。

 

「(ソクラテス) <不正>は、…人々を互いに憎み合わせ、争わせ、ひいては共同に何かをすることを不可能にさせるのではないだろうか?

 …不正な人々のほうは、共同して行動を起こすことすらできないということが明らかである。

 …もしそういう人々が純粋一途に不正な者ばかりだったとしたら、お互いに手を出し合わずにはいなかっただろうからね。

 …彼らは半分悪人であるから、<不正>に促されて悪事のほうへと向かったわけなのだ。」

 (プラトン著  藤沢令夫 訳「国家」 岩波書店) 

 

 事実、これまでも維新は、上西小百合や丸山穂高とくだらない内輪揉めを起こして、党を去っている。

 無論、彼らの道徳のない言動がそうした騒動の発端だったことは言うまでもない。

 

(執筆中)