以下、例によって各作品の概要を示すのだが、本書に収められた短編が、その後それぞれの著者の本に再収録された例もかなりあるようである。「四分間……」もそうだが、本書収録の作品がシリーズものの一部である場合があり、その追跡に便利だと思うので、そうした本が存在する場合は併せて示すこととする(複数ある場合は、なるべく入手が容易なものを優先)。
9月の日曜日、勉強に疲れた受験生の「ぼく」(サトル)は、勉強を教えてもらっている京大の医学生・御手洗を誘って、一条戻り橋まで散歩した。サトルは御手洗に橋の逸話を語り、欄干のたもとに挿されていた彼岸花を見つけた御手洗は、この花に関する諸々を語る。やがて御手洗の話は、ロスアンゼルスで出会った韓国人男性チャン・ビョンホンの辿った半生に及ぶ。それは、彼岸花と太平洋戦争にまつわる数奇な物語だった。
戦争中、日本統治下にある朝鮮のクァンジュで暮らしていたビョンホンは、姉ソニョンに同行することを許され日本に渡る。優秀な姉は、日本で女学校に通え家計の助けにもなると女子挺身隊の募集に応じたのだった。
しかし日本で姉弟を待っていたのは劣悪な環境下での労働だった。ササゲら日本軍人の指導官から厳しい叱責が飛ぶ中、挺身隊は気球作りに追われる。富号作戦――風船爆弾によるアメリカ攻撃のためのものだった。
失意と暴力に苛まれ、姉弟のササゲへの怨恨がつのる。そんな折、ビョンホンは、母の従姉妹である張村仁美ら夫婦が暮らす高麗川村での養生を許される。ビョンホンを出迎えた仁美は、高句麗人が植えたという朝鮮由来の花・曼殊沙華を誇らしげに紹介した。
高麗での暮らしは楽しく、権という友人もできたが、ほどなくビョンホンが労働に戻る日が来た。帰還直後、決定的な場面を目撃したビョンホンは、曼殊沙華の球根を使ってササゲに復讐しようと決意するが、それは不可解な失敗に終わった。
突然、労働は終わりをつげ、姉弟は祖国に帰ったが、日本の協力者とみなされた一家にあったのは困窮と孤立の日々だった。姉のお荷物になりたくないビョンホンは単身で高麗川村に移るが、運命は定住を許さなかった。アメリカ西海岸に渡った権に招かれ、今度はビョンホンはロスアンゼルスを訪れる。
ロスに場違いさを感じて去ろうとするビョンホンを、権はある場所に案内する。そこには、目を疑うものがあった。積もった怨恨と陰鬱な作戦に幾つもの偶然が加わり、悲願の花を天から降らせた。仏典にあるように。
(再集録:『進々堂世界一周 追憶のカシュガル』/『御手洗潔と進々堂珈琲』〔文庫化時改題〕)
四分間では短すぎる(有栖川有栖)
10月になっても、夏に味わった矢吹山での経験を引き摺っている有栖川有栖。後輩を元気づけようと、英都大学推理小説研究会(EMC)の先輩らは「無為に過ごすため」の会を企画する。開催場所は、EMCの長老こと江神二郎の下宿である。
開催当日、家庭教師の約束があったことを思い出し、京都駅の公衆電話から急遽キャンセルの連絡を入れたアリスは、隣で話す男の会話に興味を惹かれる。
「四分間しかないので急いで。靴も忘れずに。……いや……Aから先です」――いったい何のことなのか。
その夜、“無為の会”の最中に話題提供を求められたアリスは、京都駅の電話での一件を語り、その意味を問う。一同は乗り気となり、かくして『九マイルは遠すぎる』ゲームが始まった。
松本清張『点と線』の問題点に触れ、4分間と靴の意味を考察し、チョコレート煎餅をつまみ、時刻表を当たって、推論は徐々に形を成していく。それは根拠の乏しいものには違いなかったが、瓢箪から駒という言葉もある。アリスは、改めて先輩たちに感服し、感謝した。ゆっくりと秋の夜は更けていく。
(再集録:『江神二郎の洞察』)
「私」は、後方支援担当の警察官。女子小学生が誘拐された事件のために、関係者の家族の家を訪れた。付近の公園で小学生の女子児童が中年男性に連れ去られる姿が目撃された。目撃者によるとお宅の夏紀さんのようだ。母親は錯乱状態となり、仕事中の父親を呼び戻す。件の中年男性には、この近辺で相次いで起きている女子児童の誘拐、悪戯、殺害の容疑がかかっている。被害者の身に危険が迫っていた。
数時間前、38歳の誘拐犯は、公園で1人の少女に声をかけ、言葉巧み車へと乗せた。車は、人気のない山奥へと向かう。
父親が慌てて帰宅し、事情を知ると大いに狼狽した。が、ほどなく「私」にあることを語り出し始めた。
山中で、誘拐犯は本性をあらわし少女を苛む。しかし、間一髪で警察が間に合い、犯人は確保。少女は無事に保護された。
父親の証言通りだった。我が子についての心当たりから、この山の場所を教えたのだった。
「私」は考える。我が子のことを思うと、夏紀の母親には同情を禁じ得ない。表面上は良い子ではある。しかし、今度の事件のようなことを起こさないとも限らない。そう考えると「私」は眠れない。
親に似ず美しく育った皆川さおりは、大学のゼミで出会った佐原成海と婚約する。不思議な魅力で異性を惹きつける鳴海との結婚に、母は賛成し父は反対するが、さおりの妊娠により否応なく話はまとまった。
さおりは2人の娘――夕子と月子の姉妹を産んだ。自分に似て美しい2人を、さおりは愛した。一方、成海は家庭に居つかなかった。夕子の高校受験を控え、さおりは離婚を決意する。成海は同意したが、親権は主張し裁判となった。娘たちと暮らしてきたさおりは、裁判の勝利を疑わなかった。もつれた審判の結果が言い渡される。
鬼子母神の言い伝えにある柘榴を、夕子は父とともに密かに食べていた。母の情念と多産を象徴し、ペルセポネが冥界にさらわれることとなった柘榴の実を。そしてまた、その冥界の女王さながらに、彼女の嫉妬は深かった。
(再集録:『満願』)
ある日「僕」は、テレビを観ていて突然とてつもない恐怖感に襲われる。どうやらそれは、あるCMの赤い花が咲き乱れる映像によるものらしかった。たまらず医者にかかると、精神科医の天野は恐怖の根本的な原因を取り除くべきと助言する。
映像の撮影場所を突き止めた「僕」は、その撮影場所――静岡県二見市にある天宝神社の脇の山道を登った先の廃墟――に赴く。現地に着き、廃墟へ向かう途中、「僕」は地元民らしい女性ナオと打ち解け、2人で廃墟に向かうこととなる。そこで彼らは、「僕」と同じように廃墟にやって来たらしい女の姿を目撃するのだった。
帰り道、かつて数か月ほどこの町の小学校に通ったことを思い出した「僕」に、ナオは、そのころ例の廃墟で起きた殺人事件のことを語る。殺されたのは、「僕」の友人だった少女、秋元由紀。犯人として逮捕されたのは奥田惣一という壮年の男だったという。
泊まった宿で「僕」は廃墟で見かけた女、坂口沙羅と再会する。近隣出身の彼女は、例のCMで秋元由紀の事件を思い出し、やって来たのだと語る。逮捕後ほどなく病死した奥田は冤罪であり、真犯人を探しているという彼女の話が、事件現場にあったという奥田の持ち物――花の種の入った小瓶――に及んだ時、ふたたび「僕」を恐怖が襲った。不確かな記憶に「僕」は苛まれる。
自宅に戻った「僕」は憔悴する。再び受診した「僕」を天野は巧みに回復させ、「僕」の二見での経験を解きほぐした。「僕」の得た情報を元に、天野は真相を指摘する。それは、事件に所縁ある者らの協働と分岐と言えた。
重いものを背負ったものの、恐怖の正体を知った「僕」の心は安らぐ。同時に、16年前に失われた者を思い、涙がこぼれた。
(再集録:『かくも水深き不在』)
確かなつながり(北川歩実)
専門学校生の安川美空が誘拐された。作家になりたいという夢を利用されたものらしい。美空の友人・瀬戸葵を介して依頼を受けた中島英香は、彼女の捜索を開始する。
犯人として浮かび上がったのは原山保。美空の実父である産婦人科医・井波敏夫の古い友人だという。同級生だった井波と原山、そして高村春奈。3人をめぐって起きた出来事を井波は語る。
原山の父が雇った調査員・南雲は、原山が実家の金を持ち逃げし姿をくらましていると告げ、井波に接触してきた原山の協力者・平良は原山の目的を“失ったものを取り戻す”ことだと言う。
英香と井波は、美空が監禁されている場所に潜入を試み、原山と対峙する。真相が明かされるが、つながりを求めた者の愛は報われず、今また一つのつながりが断ち切られた。打ちひしがれる被害者の背中を押し、英香はその場を後にした。
杜の囚人(永江俊和)
美知瑠は、兄だと紹介しながら孝雄をビデオカメラに収める。2人の別荘暮らしは穏やかに始まったものの、庭で見つけた石や裏山の古井戸、別荘をめぐる新興宗教結社の噂話が不穏な影を落とす。未知瑠の思惑と孝雄の思惑が絡み合う。誰が「越智修平」なのか。その様を、ビデオカメラはとらえ続けていた。
結末が訪れると、彼は安堵した。全ては“人類の再生と未来の代償”であった。
(再集録:『掲載禁止』)
文字通り霧の多い霧ヶ町で幼馴染の美雲真紀と日常をやり過ごす、寺の息子の「俺」――優斗。ある日「俺」は、うさぎ神社に初詣に行った時に買った兎のマスコット御守を失くしたことに気付く。真紀とペアで買ったもので、紛失したことを真紀に知られるのはまずい。
そこに、悪友の武嶋陽介が事件の報をもたらす。町の旧家である鴻嘉家の令嬢、恭子が駆け落ちしたのだという。しかし、駆け落ちの相手である国語教師の與五康介とともに、恭子は遺体となって見つかった。
2人が“心中”した現場である山城公園を陽介とともに訪れたり、真紀の追及をかわしたりしつつ、「俺」の御守探しは続く。並行して、恭子たちの心中について続報がもたらされていく。積雪に囲まれた現場の四阿(あずまや)、軟禁同然だった鴻嘉の家の自室から煙のように消えた恭子。異なる2人の死因――。寺の離れで“なんでも屋”みたいなことを営んでいる「俺」の叔父は、仕事として恭子の見張りについていたと語る。
恭子の葬儀が営まれた日、御守を探し回って万策尽きた「俺」は、最後の望みをかけて叔父の離れを訪れた。ふとしたことを切っ掛けに、叔父の口は“心中”の真相を紡ぎ出す。全てが解決し、「俺」は晴れやかな気持ちで離れを後にした。
(再集録:『あぶない叔父さん』)