何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

ゆく年(2021年)におくる30冊

 昨年に「おくる本」を書き終えて(当該記事)まだ半年くらいであるが、時期が巡ってきたので2021年におくる本たちについて書くことにする。例に漏れず、てんやわんやのうちに過ぎゆく1年に捧げたい本のリストである。
 話題や売れ行きにはそれほど拘らず、折に触れ気になった本、人に薦められた本、実際に触れて印象的だった本などを時系列で挙げる。

 体感的には訃報が多く、また報道はコロナ禍や皇室関連の動静についてのものが優先されがちで、どうにも晴れ晴れとはいかない年だったが、そこからでも未来に向かうものは見出せるのではないかという気持ちでセレクトした。それでは、1月から挙げていこう。

1月(1冊)

 12日、ノンフィクション作家の半藤一利氏が90歳で死去された。昭和史の研究が主たる仕事であり、『日本のいちばん長い日』が最も知られた著書ではないだろうか。
 同作は過去に2度映画化されており、2015年版の方は私も視聴した。終戦の8月15日も遠くなった感はあるものの、やはり押さえておきたい原作だろう。

2月(3冊)

 17日、新型コロナワクチンの国内接種が始まった。その後、9月13日時点でワクチンの2回目接種を終えた人が全人口の50%を超えている。一方、この新型ワクチンは人類が初めて経験する原理に基づいたものであり、安全性に疑問符を付ける人もある。実際、接種後に心筋炎等を発症する例も少なからず報告されているようである。
 ワクチンへの危惧、あるいはその安全性を訴える本は幾つも出ているが、上掲の1冊は、血管疾患や循環器を主に研究してきた医師によるワクチン懐疑論である。
 いずれにせよ、ワクチンの安全性(危険性)は時間が経つことでしか確かめることができない。経過した年月ごとに適切に報告されるとよいのだが。

 27日、「ポケットモンスター」シリーズが誕生から25周年を迎えた。私としてはポケモンと縁遠く、数年前にリリースされたスマートフォン向けゲーム『ポケモンGO』を少しばかり(トレーナーレベル35くらいまで)遊んだに過ぎないが、本シリーズの知名度が抜群なのは肌感覚として知っている。
 このシリーズへの考察を中沢新一氏が試みたのが、上掲書である。もともとはシリーズが始まった直後といえる1997年に書かれたものの再版らしいが、タイトルになかなか惹かれるものがある。

 28日、みずほ銀行のシステムトラブルが発生、4,318台のATMが一時停止し、通帳やキャッシュカードを取り込むという事態となった。その後もシステムトラブルが繰り返され、12月30日にも起こったものを含めると、全9回となった。
 根本的な原因としては、システムに対する経営陣の理解不足(と、それに端を発した予算削減)が囁かれているが、真相は明らかでない。上に挙げたのは、そのトラブルにかなり突っ込んだと言われる『東洋経済』誌の特集号である。メインではないものの、私もみずほ銀行に口座を持っている。世間への影響が大きいメガバンクには違いないので、来年こそは円滑なシステム運営を実現していただきたい。

3月(2冊)

 8日、アニメーション映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版:‖』が公開された。シリーズ最終作となる。四半世紀もの年月を経ての完結編に、多くの人が様々な感想を抱いたことは想像に難くない。
 この最終作は担ったものが大き過ぎ、現状ではどのような本を差し出しても不足な気がする。そこで、まったく切り口を変えて上掲書を捧げたい。テレビ放送版から連なる「人類補完計画が発動しなかった世界の3年後」、全くのパラレルワールドを描いた外伝的小説である。既に完結しているが、かなり荒唐無稽なようで手が出なかった。本編が無事に完結したため、手が伸びるという人もあると思う。

 11日、東日本大震災および福島第一原子力発電所事故の発生から10年が経過した。まだ都心の会社で編集者として働いていた(そして、それゆえ徒歩で数時間を費やして帰宅した)10年前を思い出す。
 上掲は、この10年間を取材してきた著者による、いまも復興が訪れぬ当地の声を集めたルポルタージュである。今年4月13日には福一の処理水を海洋放出する決定が下されたが、そのことについて当事者たちから同意が得られていない一事だけを取り出しても、「10年ひと昔」という言葉で済ませられないことが分かる。

4月(2冊)

 3日、「仮面ライダー」シリーズが誕生してから50周年となった。同シリーズからは、私も影響を受けておかしくない世代なのだが、不思議と素通りしてしまった。とはいえ50年という年月には敬意を表したい。
 関連書籍も多数あるが、上に挙げたのは、初代ライダーを演じた藤岡弘、氏を始め、シリーズに関わった人物49人のインタビューを集成したもの。これとは別に平成ライダーについての同様の書籍も存在する。いま現在の私としては、物語としてよりも、こうした制作側の声の方に興味をそそられる。

 30日、立花隆氏が死去された。80歳だった。氏については、著作よりは「知の巨人」という異名や、そのニックネームを冠するに相応しい蔵書量などの方が私にとっては身近だった。しかし、やはり「巨人」が鬼籍に入ったことは書き留めておかなければなるまい。
 上掲書は、氏の比較的若い頃の著書。実際に宇宙に行き、そして帰ってきた12人の元宇宙飛行士たちへのインタビューをまとめたものである。もちろんただのインタビューではなく、そのやり取りには氏の深い知識が横溢している。とはいえ、この本を挙げる理由の半ば以上は、私の父の愛読書だったことによる。

5月(3冊)

 6日、漫画家の三浦健太郎氏が死去された。54歳だった。急性大動脈解離による。7月18日には同じく漫画家の和田洋人氏が46歳で脳出血などにより死去されている。もちろん個々に事情があるとは思うが、三浦氏にしろ和田氏にしろ、生活習慣による発症の可能性は拭いきれない。漫画に取り組む作家の健康管理に、版元はもう少し気を配らなければならないのではないだろうか。
 氏の代表作で、世界的にもファンの多い『ベルセルク』は、12月24日に41巻が刊行された。しっかりと確認はしていないが、結果的に最終話となったところまで収録しているようである。

 19日、気象庁が使用する平年値が10年ぶりに更新され、それまでの1981年から2010年の30年の観測値による平年値から、1991年から2020年までの30年間対象になり、この日から使用が開始された。
 直接の関連性は明らかにされていないが、近年の気候変動を受けてのものと思われる。10月に地球科学者の真鍋淑郎氏が、気候変動(温暖化)予測についての研究でノーベル物理学賞を受賞したことからも、気候変動の影響は世界的にも注視されていると言えるだろう。一説としては、個々の公衆衛生的な政策に注力するよりも、気候変動への対策を打つ方が重要であるという話すら聞く。
 昨年のマイクロプラスチックの件と同様、まずは上掲書のような分かりやすいものから、周囲の子どもと一緒に読んでいきたい。

 20日、日本語版Wikipediaが発足から20周年を迎えた。Wikipediaの記述をそのまま論文や出版物に転用するのはもちろん論外ではあるが、下調べの第一歩に用いるツールとしては手軽だというのは多くの人が賛同するところではないだろうか。とはいえ、“編集合戦”など、課題があることもまた否定できない。
 上掲書は2009年刊行とかなり古い本だが、Wikipediaが成立した経緯を知るには差支えないと思われる。これからのWeb百科事典サービスを展望する本があれば、興味深いところである。

6月(1冊)

 4日、厚生労働省は2020年(令和2年)の人口動態統計月報年計の概数を発表した。出生数は前年(2019年)より2万4,407人少ない84万832人で、1899年の調査開始以来、過去最少の数字となった。
 もはや「ショッキング」という言葉も出尽くした感はある。上掲書の説に全て同意することはできないが、ともあれ“人口は減っていく”ということは認めた上で議論を始めなければ話にならないのではないか。その意味で、出発点となる1冊だと思う。

7月(2冊)

 3日、静岡県の熱海で、記録的な大雨とともに土石流が発生し、128棟が損壊し、死者・行方不明者27人に及んだ。いまのところ主たる原因として挙げられているのは、斜面に作られた盛り土のようである。気候変動に加え、建設に伴う土砂の扱いに注意が向けられることとなるだろう。
 この災害について、今のところしっかりとした本は出ていないようである。上に挙げたのは、『住民と自治』誌による特集号。本件の真相と、もし制度上の瑕疵があったのならば、その対応が望まれる。

 23日、第32回夏季五輪東京大会が開幕した。(8月8日閉幕)。日本は史上最多の58メダルを獲得し、8月24日からのパラリンピック(9月5日閉幕)でも51メダルを獲得した。
 そんなメダルラッシュではあったが、世間としては新型コロナウイルスの感染者も増えてきており、私としてはあまり熱心に五輪を観ようとは思えなかった。大会の内容としては良かったかもしれないが、その背景にあった色々な課題を「良かった」で流してしまってはいけないだろうと思う。
 上掲書は、いささか言葉が行き過ぎな感はあるものの、今回のオリンピックの諸々を広く考察していると言えそうである。札幌に冬季五輪を誘致する話も出ていることもあるし、反省すべき点は反省する必要があろう。

8月(2冊)

 17日、芥川賞作家の高橋三千綱氏が死去された。73歳という享年は早過ぎるということはないだろうが、またも未読の作家が亡くなったことに、個人的な悔いがある。
 挙げたのは、芥川賞受賞作を含む3連作を収めた1冊。70年代の高校生の成長物語は、さすがに古さを感じるだろうが、その古さを求めて手に取りたい。

 29日、廃藩置県から150年が経った。歴史の授業などでは軽く説明されただけで終わってしまう廃藩置県だが、その実情がどのようなものだったか、考えてみれば気になる。
 上掲書は、そうした疑問に答える1冊といえるが、やはり簡単には行かなかったようである。廃藩置県後150年ということは、現在に連なる政府が、明治維新によって成立してからほぼ同じ年月が過ぎたことを指すだろう。その意味でも、廃藩置県のあらましを確認することは有益と思われる。

9月(4冊)

 3日、菅義偉首相が党総裁選に出馬せずに退陣する意向を表明した。1日にデジタル庁が設立され、それを横目で見ているうちに明らかになったと記憶している。
 上掲書は、菅氏の担当記者だった著者による、綿密な取材に基づいたルポである。菅氏の内面まで切り込んだ書きぶりで評価が高い。
 以前も書いたかもしれないが、総理としての菅氏への私の評価は現在も高くない。ではあるものの、それで終わりにしてしまうのも何か不足な気がしている。同じように思う人には格好な1冊かもしれない。

 11日、アメリカ同時多発テロ事件から20年が経った。20年前、私は友人の部屋で第一報に触れたが、その友人とももう数年会っておらず(コロナのせいもあるが)、隔世の感がある。
 上掲書は2020年に刊行された、同事件で息子を亡くされた父親が短歌や俳句にその思いを込めた1冊である。事件をアメリカから、または実行犯側から検証する本も多数出ているが、多くの人が亡くなったことは忘れずにいたい。

 24日、漫画家のさいとう・たかを氏が死去された。84歳だった。『ベルセルク』の三浦氏とは年齢も物語の性質も異なるが、偉大な漫画家が没したという点は同じである。
 上掲は、12月6日に刊行された最新刊である。物語は続くようだが、1つの節目となったことは間違いない。

 30日、すぎやまこういち氏が90歳で死去された。先述のオリンピック開会式もそうだったが、今年は氏作曲による楽曲が演奏される場面が殊更めだったように思う。
 政治的な態度には必ずしも賛成できない部分はあったが、『ドラクエ』の「序曲」をはじめ、氏の楽曲については現代日本を代表するものだと私も思う。
 上掲書は、氏が自身の作曲法についてざっくばらんに書かれたとされる1冊である。「される」と断り書きをするのは、かなりのプレミアが付いており、中身を容易に確認できないため。今後も現れるであろう氏の曲を慕う人々のため、再版や文庫化などが検討されるべきではないかと思う。

10月(1冊)

 26日、秋篠宮家の長女である眞子さま、小室圭氏が結婚された。11月に渡米し、新生活を開始している、とのこと。5月19日に報じられた星野源氏と新垣結衣氏の結婚と並んで、今年「結婚」といえば、この2人を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
 上掲は、“東の太宰(治)”との双璧と目された“西の織田作”こと織田作之助による短編集。表題作の「夫婦善哉」は、昭和初期の大阪を舞台にしたダメ亭主とその妻の日々を描いた名篇として知られる。2人の結婚について、この悲喜こもごもの作品をおくるのに特に他意はない。ただ連想したのである。

11月(1冊)

 9日、瀬戸内寂聴氏が死去された。99歳だった。例によって氏の著作をそれほど読み込んでいない私だが、映像などでよく氏の姿を見ていたことから喪失感は大きい。その半生と出家の経緯から、氏には底知れぬものを感じていた次第である。
 挙げた本は、氏が77歳ほどの頃の作である。他にいくらも著書があるが、本書がふっと浮かんだのは、氏に対する私のイメージが、本書に出てくる女性たちに重なるからだろうか。齢を重ねて、いよよ華やぐ女たちの姿を描いた長編である。

12月(3冊)

 3日、作家の新井満氏が死去された。「千の風になって」の作曲者として知られる氏は、電通出身であり、芥川賞を受けた作家でもあった。
 上に挙げた氏の小説は、休符や余韻を味わう音楽というべきエリック・サティの曲から題名を貰ったものである。珍しく既に読んでいる本だが、氏の冥福を祈りつつ、再読するのもいいかもしれない。

 17日、 大阪市北新地の雑居ビル4階の心療内科クリニックで火災が発生し、25人が死亡した。放火した容疑者自身も、この30日に亡くなっている。8月6日の小田急小田原線や、10月31日の京王線での刺傷事件など、一括りにはできないが、市井の人々を無差別に殺傷せんとする事件が今年は印象に残った。昨年以前を振り返ってみれば、今年だけではないということにも気が付かれるだろう。
 もちろん、個々の事件によって事情は異なるだろうが、根本的には社会的孤立というものがあるように思われる。そのような、いわゆる「無敵の人」による凶行を直線的に批判する声もあるが、責める自分もまた、いつか同じ立場になる可能性があることは考慮しなければならないだろう。
 上掲書は、現象学の研究をしている人による看護の本である。現象学というと二の足を踏む人も多いと思う(私もである)が、云わんとしているのは人を人として尊重するということではないかと思う。そうしたケアを土台にして、法や制度を整える方が私は好きである。

 18日、国土交通省国の基幹統計である「建設工事受注動態統計」を書き換えていた事実が明らかとなった。これにより、国内総生産GDP)が正しく産出されていない可能性が指摘されている。
 同様の問題は既に2018年に厚生労働省の「毎月勤労統計」でも起きており、同じ轍を踏んだと言わざるを得ない。上掲は2019年の本で、著者は長らくこの問題を追っている。本書の記述が事実であれば(恐らくはそうなのだと思うが)、国が粉飾決算をしているようなもので、極端にいえば国の言うことは何も信用できないということになる。

興味と関心から(5冊)

 ここまでは月毎の出来事にそう形で本を挙げてきたが、以下は特にそうしたことに縛られず、自由に選んだ本たちである。まさに個人的事情による。

 パオロ・バチガルピという名前を知ったのは今年初めのことだった。リモートでの打ち合わせの最中、ふと相手が口に出したのだった。SF作家だという。
 どこの国の人だろうと打ち合わせの後で調べたら、アメリカの人だった。「バチガルピ」という魅惑的この上ない響きの姓を持つ著名人を、今のところ他に知らない。
 上掲『第六ポンプ』は短編集だが、デビュー作である"Pocketful of Dharma" 「ポケットのなかの法(ダルマ)」を含んで氏の作品世界への恰好なゲイトウェイであろう。また“読みたい人リスト”が拡充されてしまった。

 リモートで仕事をするのが当たり前になって、困ったのは運動不足である。何が困るかといえば、体のコリが辛いのだ。そこで見つけてきたのが上の1冊である。
 写真による図解が入った本を思い浮かべるが、そういう本ではない。気功の理念を平易な言葉で表したものである。キーワードは「自然」であろう。読むだけで安らいだ気持ちになる、稀有な本だと思う。

 アフリカの歴史といえば、19世紀以降の列強各国による分割具合を覚えるのが、少なくとも私が受けてきた教育だった。もちろん古代エジプトエチオピアなどの例外もあったが、それらは微々たるものと言わざるを得ない。
 もちろん実態としては、古代から人々のやり取りがあったはずだが、アフリカには文字による記録がなかったために歴史として記述されることがなかったようである。そんなアフリカの歴史をどうにか探りだし、新書にまとめたのが上の本である。分厚いが、少しずつでも読みたい。

 この記事自体もブックリストだが、他人が選んだ本のセレクションには興味を引かれる。そこにその人自身の性向が反映されているからだろう。
 挙げたのは、今年見つけた、硬派この上ないその一例である。完全に従うつもりはないし、その必要もないのだが、読書リストの極北として踏まえたい。

 我が家にも1匹いるが、猫というのはなかなか難儀な生き物だと思う。自分は水が嫌いなのに魚を好み、寒さが苦手なのに日本で炬燵に入って冬を過ごす。そして、腎臓を悪くすることを半ば運命付けられている。
 上掲書はその猫の腎臓病を克服する研究についての1冊。その出版に前後してネットニュース等で取り上げられると、著者の研究には瞬く間に多額の寄付が集まったという。猫の健康を切望する人が多い証左だろう。本書を読むとともに、猫飼いの1人として研究の完遂を願うばかりである。

 以上、過ぎ行く年におくる本を挙げた。とりあえず今回は、それほど時期を失することなく公開できそうで安心している。
 今年もまた忙しなく読書が滞りがちだったが、少しは仕事も落ち着きそうなので、以後の活性化を自ら祈念しておく。

 それでは、よいお年を。来年もよろしくお願いいたします。

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