何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

新潮文庫『Mystery Seller』の感想


(2019年10月読了)

 8人の作家による短~中編ミステリ8本を集めたアンソロジーである。本書が出たのは2012年のことで、確か刊行後ほどなく入手した。収録されている、有栖川有栖氏の〈学生アリス〉シリーズの1篇「四分間では短すぎる」が目当てだったと記憶する。その頃まで、この短編は読むことが難しく(『小説新潮』 に掲載されたのみで、これを収めた短編集『江神二郎の洞察』の刊行も半年以上先のことだった)、本書で読めると知って手に入れたのだった。その後、「四分間……」だけ読了し、ずっとそのままになっていたのを掘り出して読み終えた。
 『Mystery Seller』というタイトルだが、姉妹企画として『Story Seller』『Fantasy Seller』なども存在する。シリーズ展開を睨んで編まれたものと思われるが、複数刊行されたのは『Story Seller』のみのようである。

 以下、例によって各作品の概要を示すのだが、本書に収められた短編が、その後それぞれの著者の本に再収録された例もかなりあるようである。「四分間……」もそうだが、本書収録の作品がシリーズものの一部である場合があり、その追跡に便利だと思うので、そうした本が存在する場合は併せて示すこととする(複数ある場合は、なるべく入手が容易なものを優先)。

概要

進々堂世界一周 戻り橋と悲願花(島田荘司

 9月の日曜日、勉強に疲れた受験生の「ぼく」(サトル)は、勉強を教えてもらっている京大の医学生・御手洗を誘って、一条戻り橋まで散歩した。サトルは御手洗に橋の逸話を語り、欄干のたもとに挿されていた彼岸花を見つけた御手洗は、この花に関する諸々を語る。やがて御手洗の話は、ロスアンゼルスで出会った韓国人男性チャン・ビョンホンの辿った半生に及ぶ。それは、彼岸花と太平洋戦争にまつわる数奇な物語だった。

 戦争中、日本統治下にある朝鮮のクァンジュで暮らしていたビョンホンは、姉ソニョンに同行することを許され日本に渡る。優秀な姉は、日本で女学校に通え家計の助けにもなると女子挺身隊の募集に応じたのだった。
 しかし日本で姉弟を待っていたのは劣悪な環境下での労働だった。ササゲら日本軍人の指導官から厳しい叱責が飛ぶ中、挺身隊は気球作りに追われる。富号作戦――風船爆弾によるアメリカ攻撃のためのものだった。
 失意と暴力に苛まれ、姉弟のササゲへの怨恨がつのる。そんな折、ビョンホンは、母の従姉妹である張村仁美ら夫婦が暮らす高麗川村での養生を許される。ビョンホンを出迎えた仁美は、高句麗人が植えたという朝鮮由来の花・曼殊沙華を誇らしげに紹介した。
 高麗での暮らしは楽しく、権という友人もできたが、ほどなくビョンホンが労働に戻る日が来た。帰還直後、決定的な場面を目撃したビョンホンは、曼殊沙華の球根を使ってササゲに復讐しようと決意するが、それは不可解な失敗に終わった。

 突然、労働は終わりをつげ、姉弟は祖国に帰ったが、日本の協力者とみなされた一家にあったのは困窮と孤立の日々だった。姉のお荷物になりたくないビョンホンは単身で高麗川村に移るが、運命は定住を許さなかった。アメリカ西海岸に渡った権に招かれ、今度はビョンホンはロスアンゼルスを訪れる。
 ロスに場違いさを感じて去ろうとするビョンホンを、権はある場所に案内する。そこには、目を疑うものがあった。積もった怨恨と陰鬱な作戦に幾つもの偶然が加わり、悲願の花を天から降らせた。仏典にあるように。
(再集録:『進々堂世界一周 追憶のカシュガル』/『御手洗潔進々堂珈琲』〔文庫化時改題〕)

四分間では短すぎる(有栖川有栖

 10月になっても、夏に味わった矢吹山での経験を引き摺っている有栖川有栖。後輩を元気づけようと、英都大学推理小説研究会(EMC)の先輩らは「無為に過ごすため」の会を企画する。開催場所は、EMCの長老こと江神二郎の下宿である。
 開催当日、家庭教師の約束があったことを思い出し、京都駅の公衆電話から急遽キャンセルの連絡を入れたアリスは、隣で話す男の会話に興味を惹かれる。
 「四分間しかないので急いで。靴も忘れずに。……いや……Aから先です」――いったい何のことなのか。

 その夜、“無為の会”の最中に話題提供を求められたアリスは、京都駅の電話での一件を語り、その意味を問う。一同は乗り気となり、かくして『九マイルは遠すぎる』ゲームが始まった。
 松本清張『点と線』の問題点に触れ、4分間と靴の意味を考察し、チョコレート煎餅をつまみ、時刻表を当たって、推論は徐々に形を成していく。それは根拠の乏しいものには違いなかったが、瓢箪から駒という言葉もある。アリスは、改めて先輩たちに感服し、感謝した。ゆっくりと秋の夜は更けていく。
(再集録:『江神二郎の洞察』)

夏に消えた少女(我孫子武丸

 「私」は、後方支援担当の警察官。女子小学生が誘拐された事件のために、関係者の家族の家を訪れた。付近の公園で小学生の女子児童が中年男性に連れ去られる姿が目撃された。目撃者によるとお宅の夏紀さんのようだ。母親は錯乱状態となり、仕事中の父親を呼び戻す。件の中年男性には、この近辺で相次いで起きている女子児童の誘拐、悪戯、殺害の容疑がかかっている。被害者の身に危険が迫っていた。
 数時間前、38歳の誘拐犯は、公園で1人の少女に声をかけ、言葉巧み車へと乗せた。車は、人気のない山奥へと向かう。
 父親が慌てて帰宅し、事情を知ると大いに狼狽した。が、ほどなく「私」にあることを語り出し始めた。

 山中で、誘拐犯は本性をあらわし少女を苛む。しかし、間一髪で警察が間に合い、犯人は確保。少女は無事に保護された。
 父親の証言通りだった。我が子についての心当たりから、この山の場所を教えたのだった。
 「私」は考える。我が子のことを思うと、夏紀の母親には同情を禁じ得ない。表面上は良い子ではある。しかし、今度の事件のようなことを起こさないとも限らない。そう考えると「私」は眠れない。

柘榴(米澤穂信

 親に似ず美しく育った皆川さおりは、大学のゼミで出会った佐原成海と婚約する。不思議な魅力で異性を惹きつける鳴海との結婚に、母は賛成し父は反対するが、さおりの妊娠により否応なく話はまとまった。

 さおりは2人の娘――夕子と月子の姉妹を産んだ。自分に似て美しい2人を、さおりは愛した。一方、成海は家庭に居つかなかった。夕子の高校受験を控え、さおりは離婚を決意する。成海は同意したが、親権は主張し裁判となった。娘たちと暮らしてきたさおりは、裁判の勝利を疑わなかった。もつれた審判の結果が言い渡される。

 鬼子母神の言い伝えにある柘榴を、夕子は父とともに密かに食べていた。母の情念と多産を象徴し、ペルセポネが冥界にさらわれることとなった柘榴の実を。そしてまた、その冥界の女王さながらに、彼女の嫉妬は深かった。
(再集録:『満願』)

恐い映像(竹本健治

 ある日「僕」は、テレビを観ていて突然とてつもない恐怖感に襲われる。どうやらそれは、あるCMの赤い花が咲き乱れる映像によるものらしかった。たまらず医者にかかると、精神科医の天野は恐怖の根本的な原因を取り除くべきと助言する。

 映像の撮影場所を突き止めた「僕」は、その撮影場所――静岡県二見市にある天宝神社の脇の山道を登った先の廃墟――に赴く。現地に着き、廃墟へ向かう途中、「僕」は地元民らしい女性ナオと打ち解け、2人で廃墟に向かうこととなる。そこで彼らは、「僕」と同じように廃墟にやって来たらしい女の姿を目撃するのだった。
 帰り道、かつて数か月ほどこの町の小学校に通ったことを思い出した「僕」に、ナオは、そのころ例の廃墟で起きた殺人事件のことを語る。殺されたのは、「僕」の友人だった少女、秋元由紀。犯人として逮捕されたのは奥田惣一という壮年の男だったという。
 泊まった宿で「僕」は廃墟で見かけた女、坂口沙羅と再会する。近隣出身の彼女は、例のCMで秋元由紀の事件を思い出し、やって来たのだと語る。逮捕後ほどなく病死した奥田は冤罪であり、真犯人を探しているという彼女の話が、事件現場にあったという奥田の持ち物――花の種の入った小瓶――に及んだ時、ふたたび「僕」を恐怖が襲った。不確かな記憶に「僕」は苛まれる。

 自宅に戻った「僕」は憔悴する。再び受診した「僕」を天野は巧みに回復させ、「僕」の二見での経験を解きほぐした。「僕」の得た情報を元に、天野は真相を指摘する。それは、事件に所縁ある者らの協働と分岐と言えた。
 重いものを背負ったものの、恐怖の正体を知った「僕」の心は安らぐ。同時に、16年前に失われた者を思い、涙がこぼれた。
(再集録:『かくも水深き不在』)

確かなつながり(北川歩実

 専門学校生の安川美空が誘拐された。作家になりたいという夢を利用されたものらしい。美空の友人・瀬戸葵を介して依頼を受けた中島英香は、彼女の捜索を開始する。
 犯人として浮かび上がったのは原山保。美空の実父である産婦人科医・井波敏夫の古い友人だという。同級生だった井波と原山、そして高村春奈。3人をめぐって起きた出来事を井波は語る。
 原山の父が雇った調査員・南雲は、原山が実家の金を持ち逃げし姿をくらましていると告げ、井波に接触してきた原山の協力者・平良は原山の目的を“失ったものを取り戻す”ことだと言う。

 英香と井波は、美空が監禁されている場所に潜入を試み、原山と対峙する。真相が明かされるが、つながりを求めた者の愛は報われず、今また一つのつながりが断ち切られた。打ちひしがれる被害者の背中を押し、英香はその場を後にした。

杜の囚人(永江俊和)

 美知瑠は、兄だと紹介しながら孝雄をビデオカメラに収める。2人の別荘暮らしは穏やかに始まったものの、庭で見つけた石や裏山の古井戸、別荘をめぐる新興宗教結社の噂話が不穏な影を落とす。未知瑠の思惑と孝雄の思惑が絡み合う。誰が「越智修平」なのか。その様を、ビデオカメラはとらえ続けていた。

 結末が訪れると、彼は安堵した。全ては“人類の再生と未来の代償”であった。
(再集録:『掲載禁止』)

失くした御守(麻耶雄嵩

 文字通り霧の多い霧ヶ町で幼馴染の美雲真紀と日常をやり過ごす、寺の息子の「俺」――優斗。ある日「俺」は、うさぎ神社に初詣に行った時に買った兎のマスコット御守を失くしたことに気付く。真紀とペアで買ったもので、紛失したことを真紀に知られるのはまずい。
 そこに、悪友の武嶋陽介が事件の報をもたらす。町の旧家である鴻嘉家の令嬢、恭子が駆け落ちしたのだという。しかし、駆け落ちの相手である国語教師の與五康介とともに、恭子は遺体となって見つかった。

 2人が“心中”した現場である山城公園を陽介とともに訪れたり、真紀の追及をかわしたりしつつ、「俺」の御守探しは続く。並行して、恭子たちの心中について続報がもたらされていく。積雪に囲まれた現場の四阿(あずまや)、軟禁同然だった鴻嘉の家の自室から煙のように消えた恭子。異なる2人の死因――。寺の離れで“なんでも屋”みたいなことを営んでいる「俺」の叔父は、仕事として恭子の見張りについていたと語る。

 恭子の葬儀が営まれた日、御守を探し回って万策尽きた「俺」は、最後の望みをかけて叔父の離れを訪れた。ふとしたことを切っ掛けに、叔父の口は“心中”の真相を紡ぎ出す。全てが解決し、「俺」は晴れやかな気持ちで離れを後にした。
(再集録:『あぶない叔父さん』)

感想

 楽しめる作品ぞろいのように思った。最初の2編の季節が9月、10月だからなのか、どうも晩夏から晩秋に似つかわしい短編集という感じがする。とはいえ、それ以外の季節のものもあるし、偶然そうなっただけなのだろう。最初に「楽しめる」と書いたが、それは謎やどんでん返しというよりも、抒情性を味わうという意味の方が私には大きかったようである。
 以下、掲載順に細かいことを書いていきたい。

 「進々堂世界一周 戻り橋と悲願花」は、島田荘司氏による作品。このシリーズを私は詳しく知らないのだが、『占星術殺人事件』(当該記事)の探偵役である御手洗潔が大学生の頃のエピソードと目される。
 タイトルにある「進々堂」とは京都の老舗パン屋(喫茶やレストラン事業もやっている)であるが、その進々堂に入り浸る受験生サトルと御手洗の対話が、物語の土台にあるという構造である。「世界一周」と付いていることから、本作以外にも色々な国についてのミステリを御手洗が語る形でエピソードが書かれているのだろう。
 本作の本題は朝鮮(韓国)人ビョンホンの半生とそこにまつわる小さな謎ではあるものの、その話が始まるまでに、戻り橋や彼岸花、戦争について結構ながながと蘊蓄を語られるのは、「そんなの知ってるよ」という読者には幾分退屈かもしれない。
 ビョンホンのエピソードの全体(太平洋戦争と挺身隊、富号作戦)についても、新奇さはそれほどではないし、提示された謎の真相も驚くことはなかった。
 ただ、それらを貫いて示される曼殊沙華――彼岸花のイメージは鮮烈である。この花が仏典に登場し、蓮以外に極楽に咲く唯一の花であることは、本作で知った。作中でも語られる高麗の巾着田は実際に彼岸花の名所として知られており、私も誘われて見に行ったことがある(このブログにしては珍しく、その時の写真を以下に掲載する)。

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巾着田彼岸花(2018年9月撮影)

 辞書的には、彼岸花を見る者は「おのずから悪業を離れる」とされているようだが、復讐や戦争の遂行を悪と看做すならば、少なくとも本作において、この花の謂れは本当であった。反戦という言葉に触れると身構える向きもあるかもしれないが、争いを避けたいというのは古今東西を通じて多くの人の素朴な願いではないかと思う。
 ちなみに進々堂については、私は店名のみ知っており、実際に足を運んだことはない。新型コロナ禍が予断を許さない状況ではあるものの、いつかまた京都を訪れた際は足を向けたいところである。

 「四分間では短すぎる」は、先述の通り有栖川有栖氏の〈学生アリス〉シリーズの1作である。時間軸としては『月光ゲーム』(当該記事)の数か月後に当たり、『月光ゲーム』の際に受けたショックを引き摺るアリス、これを元気付けようとする先輩たちという構図が背景にある。
 〈古典部〉シリーズの短編「心あたりのある者は」(『遠まわりする雛』収録。当該記事)と同様、ふと聞こえてきた誰かの奇妙な言い回しについて、解釈と推論を積み上げていくというタイプのミステリである。こうした系統の代表作が、作中でも推理ゲームの名前になっているハリイ・ケメルマンの『九マイルは遠すぎる』ということになるようだ(未読)。

 加えて、松本清張の『点と線』を持ち出し、作者お得意の“作中読書案内&作品批評”をしているところが、また楽しい。初読時『点と線』を未読だったため、同作に触れた部分については同作読了後にようやく読み通すことができた。そういった“ネタバレ”関連が気になる人は、本作より先に『点と線』を読む必要があることは留意されたい。

 EMCの部長である江神の下宿はシリーズで幾度か登場するのだが、そこに集まって酒を飲み議論する様子から、私自身の学生時代を思い出した。ひとり暮らしの学生が多い大学だったため、実にしばしば誰かの家に集まり、益体もないことを喋りながら飲食を共にしていたのである。私たちの場合と同様、江神の下宿に集った面々の会話は、多分に趣味的であり、理屈っぽく、そして生産性が無い。それが楽しいのだ。「四分間しかないので」云々についての解釈も見事ではあるが、やはりこの“学生生活の無為さ”を切り取った一編であると評価したい。本作全体の仕掛けからして、ある程度それも妥当ではないかと思う。 

 続く「夏に消えた少女」は本書中で最短の作品(ちなみに最長は最初の「戻り橋と悲願花」で、続く「四分間……」と併せると全体の40%近い紙幅を占めている)。作者は『8の殺人』(感想未執筆)などで知られる我孫子武丸氏である。
 アイディア1本の直球勝負といった趣の作品で、登場人物の掘り下げなどはそこまでではない。いっそ潔いが、やはり読後感としては物足りなさを覚えた。

 次の「柘榴」は、上でも少し言及した〈古典部〉シリーズの米澤穂信氏の作。〈古典部〉ではかなり抑制的だった“淫靡さ”が漂う一編である。それは例えば、以下のような箇所に顕著であろう。

柘榴はまだ熟し切るには早かったけれど、早過ぎはしなかった。わたしと父は一日中、それを存分に貪った。(p.289)

 上に挙げたように、物語の中心として父と娘(夕子)の近親相姦が暗示されているが、そこに柘榴と鬼子母神やペルセポネといった要素が加わり、退廃的・幻想的な味わいが出ていると思う。
 なぜ、この父はそこまで魅力的なのか、このあと娘たちはどのように暮らして行ったか、など気になるが、それを知ることはできないだろう。にもかかわらず、私の読後感としては穏やかだったのが不思議ではある。

 「恐い映像」は竹本健治氏の作品である。氏といえば何といっても『匣の中の失楽』(未読)が知られていると思うが、私は短編集『閉じ箱』(感想未掲載)を読んだのみである。

 本作に話を戻すと、テレビCMから得体の知れない恐怖を感じ、その正体を確かめるべく行動を開始するという導入が、まず新鮮だった。謎を解き明かそうと向かった先で、ナオ、沙羅という2人の女性が絡んでくる展開もテンポが良い。精神科医の天野による謎解き(というよりも情報の整理だろうか)も明快である。
 惜しむらくはラストだろうか。もう少し先まで読んでみたかった気もする。それは贅沢かもしれないが。

 「確かなつながり」は北川歩実氏の作品。先端科学・先進医療を題材とした多重どんでん返しの作品を得意(本書著者紹介より)とする人とのことだが、私は氏の作品を読むのは初めてだった。本作も確かに氏の持ち味が出ていると言えるだろう。産婦人科系の先進医療を誘拐事件の動機に織り込んだ手腕は巧みである。
 ただ、多重どんでん返しの方はちょっと置いてきぼりを食った気がした。最後の15ページほどで目まぐるしく状況が変わっていくのだが、台詞ひとつで事情が変わる、その早さに何だか軽々しいものを感じたのである。伏線などが張られていれば、もっと納得できただろうか。ともあれ、本作の被害者はかなりかわいそうである。それも通常の被害者とはまた違った意味で。

 「杜の囚人」は長江俊和氏の作品で、こちらも私は初めて読む著者だった。もとは映像の制作に携わっていた人らしく、本作も小説というよりはシナリオに近い印象を受ける。それだけに映像を思い浮かべながら読むのは容易だった。物語も二転三転し、ミステリとしての面白味もある。シナリオ風ばかりでも困るが、こういう多少毛色の違うものが入っているところがアンソロジーの醍醐味と言えるかもしれない。
 しかし一方、“シナリオ的で映像が思い浮かぶような作品”であることが、作中のある仕掛けの説得力を削ぐ結果になってはいまいかとも思う。より端的に言えば、本作を本当に映像化しようとすると、スタッフは困ってしまうのではないかと思うのだが、どうだろうか。

 最後の収録作である「失くした御守」の作者は、麻耶雄嵩氏である。氏の作品ではデビュー作の『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』(感想未掲載)を読んだことがある。
 『翼ある闇』でも多少そう思ったのだが、この作者の作品には既存の倫理観が通用しないところがある。それは本作においても同様だった。それを魅力と感じる人もいるかもしれないが、〈古典部〉や〈学生アリス〉に親しみを覚える私からすると手放しでは喜べない。ミステリとしてはまずまずながら、それ以前にこの点に引っ掛かってしまった。寺の息子と叔父という珍しい取り合わせによる謎解きのやり取りが面白いだけに残念である。
 一方で、1年中霧に覆われた町だという、その名も霧ヶ町という舞台設定にはなかなか興味を惹かれた。語り手の幼馴染で一応の彼女である真紀や、悪友の陽介といった脇役たちの性格も奥行きがあって良い。山奥かと思いきや、旧家である鴻嘉家が漁業を仕切っているとの記述があるので海沿いの町なのだろう。作者の摩耶氏は三重出身なので、伊勢湾に面したどこかという設定なのかもしれない。調べると、松坂市の南西に霧山城址という城跡がある。この城跡も、山城公園という形で作中に組み込まれたとも思われる。

 感想は概ね以上の通りだが、最後に、本書を手に取る切っ掛けを作ってくれた「四分間では短すぎる」に敬意を表し、同作の謎に私なりの解釈を試みてみたい。以下、問題の文句を再掲し、その解釈を記す。

「四分間しかないので急いで。靴も忘れずに。……いや……Aから先です」

 某予備校の京都校英語科講師○○先生は、その日どうしても外せない用事ができてしまい、担当の「ハイレベル英語」と「スタンダード英語」の2コマ分の代講を依頼していた。依頼したのは、大阪校の若手講師である△△先生である。
 △△先生は、授業は上手いが事務的にはいささか抜けている所があるので、几帳面な○○先生は念のためのリマインダを思い立って京都駅から大阪校に電話した。△△先生本来の担当である大阪校での授業のあと、すぐに電車に飛び乗って京都校に向かってもらう。京都校は駅の目と鼻の先だが、事務に時刻表を調べてもらったら、△△先生が乗るだろう電車が到着するのはギリギリの時間。駅から教室まで実に4分しかない。申し訳ないが急いでもらわなければ。
 ついでに、詰めが甘い△△先生は、服装はきっちりしていても足元がスニーカーということが多々あるらしい。いちおう予備校の規則で講師はダークスーツに革靴と決まっている以上、その点も釘を刺しておくか。
 「ハイレベル英語」と「スタンダード英語」のどちらが先でしたっけ? △△先生が確認する。「ハイレベル英語」はAコースの生徒が対象で18時40分から、「スタンダード英語」はBコース対象で20時からだが、2つのコースの教室は隣接しておらず、少し離れたところにある。授業名で答えて、向かう教室を間違えられてもまずい。少し考えた○○先生はコース名で答えることにした――。

 市外局番の件など、文中でアリスが追加で指摘した条件にも沿えていると思う(ついでに、“本来の仕事のキャンセルに関わる”というアリスと似たシチュエーションを想定してみた)が、どうだろうか。事件性は無くなってしまったが…。
 ともあれ、なかなか読み応えのある1冊だった。

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