久しぶりの投稿です

1年ほど義母(102歳)の介護をしていましたが

令和四年 1月 7日 午後3時 静かに息をひきとりました

 

 

こちらは介護記録 最後のページです

食事の量、血圧、脈拍、尿、排便、薬の量等を記していますが

亡くなる2日前まで流動食を食べてくれていました

亡くなる前日は。。。

喉の渇きを訴え

「冷たい井戸水をガブガブ飲みたい」と言ってきましたので

私は「難しいけど、試してみようか?」と言って

水道水でしたが少しだけトロミをつけて スプーンで飲ませました

 

実際には嚥下障害が出ていましたので

トロミは何時もこれくらい👇糊のような流動食になります

ですが、

認知症で3日3晩しゃべり続けて、激しいのどの痛みもありましたので

水に近いトロミの方が喉も痛くないはず

そして、おそらく。。。

延命治療はないので

これが私がしてあげられる最後の食事かも。。。

そんな思いで、休み休み何度も何度も

夫と交代しながら水を義母の口に運びました

最初は恐々試していましたが、

義母自身も喉の通りが良いように顎を上げて飲んでくれましたので

全部で440㏄程(ノートに記録) ペットボトル1本弱ですが

喉の渇きは無くなったのか?翌朝は飲めなくなっていました

主治医に診て頂くと今日が山だと告げられ

午後3時に死亡を確認して頂きました。

 

最後、義母は認知症を患ってはいましたが、

私との意思疎通はしっかり出来て、

オムツを変えるにも、何をするにも私に手を合わせてくれる義母でした

「ありがとうございましたお母さん。 貴女の息子の嫁でよかったです。」

感謝感謝で義母を送ってあげる事が出来て今は幸せです

このように導いて下さったのは主治医の先生や看護師さんのおかげでした

 

主治医の先生からは

夫に「これで、あなた達に会えなくなるのは残念だが

お嫁さんがここまでされるのは見た事ないですよ」と言ってくださり

私には、「是非、この体験をどこかで話して欲しい」と言って行かれました

 

大事な部分の介護記録が抜けているので、

後ほど、もう少しだけ書いておこうと思います

 

 

ここからは葬儀で紹介した義母の写真の一部です

大正8年3月5日に産声を上げます

こちらは👇高等女学校卒業アルバムの写真です

美人さんでしょう

21歳で結婚し、東京で新婚生活が始まります

27歳で終戦、義父の故郷の👇こちらの家で90歳まで暮します

90歳を迎えた頃、悪性リンパ腫を発症 奇跡的に回復

写真は👇最初の遺影の写真に使いました

100歳を迎えます

市長の訪問もありました

100歳違いの孫を抱っこして喜んでいます

コロナ禍に突入して2年間会えませんでしたが

リモートで皆に励まされながら頑張ってくれました

 

こちらの写真は👇一昨年

紅葉した自作の盆栽を愛でている元気な義母の最後の写真となりました

 

皆様には、応援やご心配のコメントありがとうございました

これからも頑張りますのでよろしくお願い致します