人間世界には上下関係というものがある。
動物世界にもある。
その世界に順応できない動物が単独行動をとるのではないかと思う。

人間世界では、
生まれた時から『親子関係』
学生時代は『先輩後輩』
社会に出れば『上司部下』『年功序列』

上司部下の関係は、会社に入らず経営者になれば関わらなくてもいいものだけど
それ以外の3つは自分が嫌だと言っても、日本で生活していると必ず付いてくるもの。

全てが悪いものではなく、先に生まれて先に経験しているものがいるということは、自分がゼロから学ばなくとも教えて貰える、世話を焼いてくれる、アドバイスをくれるという有難いこともある。


厄介なものだなーと思うのが
「〇〇しなさい」という命令系のものだなと。

これは
親が子に
組織のトップが部下に
先生が生徒に
年寄りが若者に

よく使われる。

言われる方も慣れるとなんとも思わなくなる。

でもね、
「〇〇しなさい」は楽なのである。

考えなくていいから。

圧力と恐怖と窮屈さを感じることも多々あるけど
楽なのである。

「〇〇しなさい」と言われると
「〇〇しなければならない」という考えがほぼ必ずセットになっている。

「~ねばならない」なんてことはひとつもない。

そこには「したい」「したくない」という自分の感情がない。

でも先述の関係では
「したくない」が言えない状況が多い。
それを言う時は環境を変えないといけなくなるから「~せねばならない」と我慢せざるを得なくなるんだと思う。

歳をとって、昔自分が人生の先輩といっていた年齢になった今だから思うけど、
親も上司も人生の先輩も、自分より経験の少ない後に生まれた人を育てようと思うなら、「〇〇しなさい」ではなく「〇〇したほうがいいと思うけど、どう思う?」と自分で考えるように声をかけるべきだと思う。

とは言え、みんながみんなそう思ってそうする訳では無いし、できる訳では無いし、する必要があると思っているとは限らない。

だから
後に生まれた者も自分で「なぜ?」と考えるクセをつける必要があると思う。

昔、「会社に言われることに疑問を持ちなさい」という社長の元で働いていた。
だがしかし、「〇〇しなさい」「〇〇しないとダメでしょ」という人だった。
まあ、大きな会社になればなるほど、一つ一つの意見を聞いてたらキリがないんだろうけど。

今思えば矛盾してるなーなんて。

でも私もそうだったなーって思う。
今の考えがあったら、もっとスタッフが楽しく働ける環境を作ってあげれたかもなー。いや、一緒に作れたかもなー。


「なぜそう思うのか」
「なぜそうしたいのか」
「なぜ」
「なぜ」
「なぜ」

死ぬまでその疑問を持っていたら
毎日が同じと感じる退屈な日はなく
毎日が気づきと学びのある楽しい日になるんではなかろうか
と思う。



なぜそんなことを私は書くのか。


自分の今の価値観を自分で客観的に認識するため。
書くことで思考を整理するため。
自分が意識するため。
書くことが好きなため。
それぞれの年齢に必要なことはいくつになっても必要なことだから。

私は私に言っているのである。

「なぜ?」と考えよう。

〇〇しなさい怪獣がどれだけ身近に居るか観察してみよう。