保立食堂で昼飯を食べた後、歩いて旧水戸街道にある『まちかど蔵 大徳』へ。
大通りにある老舗の着物屋・大徳の昔の店舗を、観光案内所として利用している施設で、中を見学する事も出来ます。


大徳の創始者は、香取神宮の神官・尾形数馬の四男・尾形徳兵衛で、23歳の時から土浦の豪商・国分勘兵衛の経営する醤油屋の大国屋に奉公していて、天明5年(1785年)45歳の時に暖簾分けされて、大国屋徳兵衛と名乗るようになり、中城町(現在の土浦市中央1丁目)に古着や穀物等を扱う商売を始めました。

店の名前の由来は、大国屋徳兵衛の名字と名前の頭文字を取って『大徳』と名付けられました。

徳兵衛が醤油醸造業者に奉公していたのに、暖簾分けされてから醤油以外の品物を扱ってたのは、奉公先だった国分勘兵衛の店と取引する業務が被らないようにする為だったそう。

大徳は場所を移転して現在も営業しています。

能書きはこれくらいにして、中に入って写真撮影。
大徳のロビー。
写真には写ってませんが、土産物や食べ物等が販売されています。


入り口のほぼ正面にある土浦のゆるキャラ・つちまる君と、キララちゃんの雛人形。


一旦階段を登り2階へ。


たまにイベントがあると、此処で出し物を展示される時があります。


上の写真部屋から金刀比羅神社と不動院を撮影。


更に奥の部屋に進みます。


通路にある飾り物。




2階の奥の部屋に入ると見事な造りになっています。
入り口から見て左側。
戸棚やふすまがあり、その造りに歴史を感じます。


棚の所に人形や吊るし雛が飾られています。



部屋を仕切っている所の上部にある欄間も見事な造りです。


入り口から見て右側。


可愛い人形と吊るし雛。


その隣には狸たち。
しかもでかい物が付いてる。


何ていうのか知りませんが、こちらも見事な飾り物。


二体の日本人形。


2階から裏庭にある蔵を撮影。


一旦1階に降りて、ロビーの奥から中庭に出て蔵を撮影。



ロビーに戻って展示物が飾られている別の部屋へ。


こちらの方は最初に見た2階部屋よりも、色んな展示物が飾られてますね。


こちらは花火玉の模型?


山車のミニチュア模型。


花火玉の模型で後ろの看板には、花火玉説明書きが飾られています。





一番奥に着物が飾られていますが、実はこの着物は2階から垂れ下がっています。



階段の下には高瀬舟の模型。


江戸時代の頃には、この高瀬舟に荷物を載せて霞ヶ浦から太平洋経由で江戸湾に入り、江戸の町に土浦の特産品を運んでたそうで、醤油は当時の土浦の特産品であり、江戸でよく売れたみたいで、常陸国(現在の茨城県の約三分の二)の土浦から納品されるので、醤油の事を『おひたち(お常陸)』と呼ぶ様になったそうです。

2階に向かいます。


大徳の暖簾と作業着?


此方は昔に使われていたレジの機械なんです。

レジスタって言うのかな?
初期の頃のレジの機械で、かなり大型で今とは形状が違ってて、金額や文字の入力方法が全然違うっぽい。


レジスタを後ろから。
背後に桶みたいなのが置かれてます。


下の階にあった着物の上半分。


この場所で営業してた頃の大徳商店。


昔の錦絵みたいなのも飾られています。
額縁に書かれている文字からすると、中村商店や樋口商店から購入したと言うことなのかな?
大徳の経営者の名字が尾形さんというらしいので、尾形呉服店というのは大徳の事で間違いないと思います。



それでは大徳の前にある『まちかど蔵 野村』の写真で、今回の記事を締め括ろうと思います。