「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

祈りの場便り

 仏具を取り揃えたインターネット上の某ショップには、「祈りの場便り」というコーナーが設けられている。そのコーナーには、ショップで仏具などを購入した人が、旅立ったペットへの思いを投稿していて、そこには、ペットの元気な頃の写真や供養している写真が添えられている。私は、それらを見て思った。自分だけじゃないんだ。みんな悲しかったんだ。みんなペットのことが大好きだったんだ。そう思うと、ほんの少し元気を貰えたような気がした。そうだ!いつか自分もここに投稿しよう。ここに、掲載すれば、ぺいが最後の最後まで頑張った事を、他の人にも知ってもらえる。そうすれば、きっと、ぺいだって喜んでくれる。もう、旅立ったぺいには餌はあげられないから、ぺいに喜んでもらえることは限られている。だから、ぺいが喜んでくれそうな事、そんなことを見つけられた事が、なおさら嬉しかった。それで、投稿のタイミングを考える事にした。

 

 それから、月日は流れ、数か月が経ったある日、一周忌の様子を写真に撮って投稿しようと思った。そして、その時には、ぺいとの闘病の記憶を本にしようと思って執筆を進めていたので、そのことについても、投稿の際には、折角なので触れようと思った。そうして、再び月日は流れて、無事、一周忌を終えた。あの日、投稿することを決めてから、どんな文章を投稿しようか少し考えながら、日々を過ごしてきた。例えば、ぺいに癌が見つかってから、一周忌までの間に感じてきた事や、ぺいとの闘病の記憶を本として残す事が出来たら、「ぺい、ありがとう」という言葉を添えて神棚に供えたいと思っていたので、そういった内容を文章にした。ちなみに、一周忌を終えた時点では、まだブログも立ち上げていなかったし、投稿はぺいという猫が存在していた事を世間に初めて紹介するものになるので、文章の作成は、慎重に五日程の期間を掛けて作成した。それと、文章に添える事の出来る写真の枚数は、掲載スペースの関係で二枚程のようなので、元々、一枚は、一周忌の時の写真にしようと決めていたけど、もう一枚は、生前の元気だった頃の写真か、闘病中の写真にするべきか少し悩んだ。だけど、やっぱり、元気だった頃の写真の方にした。それは、元気だった頃の方が圧倒的に長かったという事もあるし、そもそも、悲しい時の写真だけというのは、生涯の一部分しか切り取っていないと思ったからだ。そうして、色々と考えて完成した文章と二枚の写真を掲載受付先のメールアドレスに送った。

 

 そうして、翌日、仕事を終えて帰宅後に、受信メールを確認してみると、早速、ショップからの返信を見つけた。そして、その返信を読み始めた途端に凄く嬉しくなった。なぜなら、私は、てっきり、事務的に受付けましたという返事が返ってくるものだと思っていたのに、短い文章ではあるものの、私の心情を本当に良く察してくれているように思えたからだ。もちろん、メールには、送信した文章と写真の掲載予定日も記載されている。掲載は、明日の日中と書かれていた。

 

 翌日は、もちろん、朝から、凄くワクワクしていた。これで、また、一つ、ぺいに喜んでもらえる。そう思うだけで嬉しかった。そして、昼の休憩時間になったので、スマートフォンから掲載状況について確認してみると、メールで送っていた文章と写真が本当に掲載されている。感無量。そんな感覚だ。感無量なんて本当に大げさだと思うかもしれない。でも、本当に嬉しくて、私は、心の中で直ぐにぺいに報告した。「ぺい、これで、みんなに知ってもらえるからな」「これで、お前が一生懸命、頑張ったことを知ってもらえるからな」私は、これで、ぺいの苦しみが少しは報われる。きっと、ぺいは喜んでくれている。そんな事を思いながら、暫し至福に満ちた時間を過ごした。

 

 その後、今度は帰宅して、あらためて自宅のパソコンから掲載を確認してみた。やっぱり、パソコンで見た方が見やすいし、あらためて嬉しさが込み上げてくる。早速、掲載されている箇所を印刷してみた。それは、母に見せようと思ったからだ。正直、母に文章を見せるのは、かなり小っ恥ずかしい。でも、ぺいから見れば、母は間違いなく恩人のような存在であるはずだ。だから、母に公の場に掲載したことを知らせておくことは、ぺいの意思でもあり、願いのようにも思えた。それで、私は、その感覚の方を大切にする事にした。