「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。探せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるであろう」
マタイ福音書
個人的な意見として、『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。』は、『ちょうだい』・『はい、あげる』と単純なやり取りではなく、研究者の閃きの様なものである。
アルキメデスの閃き
むかしむかし、アルキメデスという名前の天才数学者がいました。
ある時、シラクサの国王ヒエロンは金細工師に金の固まりを渡すと、それで金の冠をつくるようにと命じました。やがて出来上がった冠はまばゆいばかりに光り輝いており、王さまは大満足です。
ところが金細工師が金に銀の混ぜ物をして、王さまからあずかった金の一部を盗んだといううわさが広まったのです。
そこでヒエロンはアルキメデスに、王冠を壊さずに混ぜ物がしてあるかどうか調べるように命じました。「かしこまりました。おまかせ下さい」と答えたものの、これにはすっかりまいってしまいました。
「はて、どうすればいいのだろう? 冠をつぶして調べればすぐにわかるだろうが、まさか王さまの冠をつぶしてしまうわけにはいかないし」。それからアルキメデスは、ああでもない、こうでもないと、昼も夜も考え込んでしまって、食べ物も喉を通らないほどです。
そんなある日の事、アルキメデスは風呂に入ったところ、お湯が湯船からあふれるのを見て、その瞬間『そうか、分かったぞ』と叫び、お湯の中から飛びあがりました。新しい発見に興奮して、まわりの物には何も目に入りません、服を着るのも忘れて裸で町の中を走っていったという伝説も残っている
後日、アルキメデスは金細工師に渡したのと同じ重量の金塊を用意し、金塊と王冠のそれぞれを、ぎりぎりまで水を張った容器に入れた。すると、王冠を入れると、金塊を入れたときよりも多くの水があふれ、金細工師の不正が明らかになった
考えるとは、神返る(かむがえる)事であり、必死に考えに考えた末のひらめきが、神帰るであり、天国の門が開き神の叡智を手にする事が出来るのである。
イギリスの物理学者・ニュートンが、りんごの実が落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したことは有名な話ですが、彼はただりんごが落ちたから、引力があると言ったのでなく、前提として膨大な時間を全身全霊で事に当たった結果、リンゴの落下が万有引力の発見に繋がった。
自身に問う事の深さが、天国の門をノックしているのか?体当たりしているのか?の違いである。そして、天国の門は、全身全霊で体当たりを何度も繰り返し挑まないと天国の門は開かない。天国の門は、素材を自我で出来ており、その構成要素は、主観と客観の分別した思考である。
叡智を手に入れる体験は、条件としては、高度な心的集中状態が一つの必然的心理過程とされる。そして、聴覚、痛覚、視覚、嗅覚などの外部からの刺激(感覚)を通して契機になって体験にいたる。
明鏡止水の心に叡智を一滴落とし、波紋が広がるがごとく伝わる感覚と感動を体験する事をこいねがう。
つづく
マタイ福音書
個人的な意見として、『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。』は、『ちょうだい』・『はい、あげる』と単純なやり取りではなく、研究者の閃きの様なものである。
アルキメデスの閃き
むかしむかし、アルキメデスという名前の天才数学者がいました。
ある時、シラクサの国王ヒエロンは金細工師に金の固まりを渡すと、それで金の冠をつくるようにと命じました。やがて出来上がった冠はまばゆいばかりに光り輝いており、王さまは大満足です。
ところが金細工師が金に銀の混ぜ物をして、王さまからあずかった金の一部を盗んだといううわさが広まったのです。
そこでヒエロンはアルキメデスに、王冠を壊さずに混ぜ物がしてあるかどうか調べるように命じました。「かしこまりました。おまかせ下さい」と答えたものの、これにはすっかりまいってしまいました。
「はて、どうすればいいのだろう? 冠をつぶして調べればすぐにわかるだろうが、まさか王さまの冠をつぶしてしまうわけにはいかないし」。それからアルキメデスは、ああでもない、こうでもないと、昼も夜も考え込んでしまって、食べ物も喉を通らないほどです。
そんなある日の事、アルキメデスは風呂に入ったところ、お湯が湯船からあふれるのを見て、その瞬間『そうか、分かったぞ』と叫び、お湯の中から飛びあがりました。新しい発見に興奮して、まわりの物には何も目に入りません、服を着るのも忘れて裸で町の中を走っていったという伝説も残っている
後日、アルキメデスは金細工師に渡したのと同じ重量の金塊を用意し、金塊と王冠のそれぞれを、ぎりぎりまで水を張った容器に入れた。すると、王冠を入れると、金塊を入れたときよりも多くの水があふれ、金細工師の不正が明らかになった
考えるとは、神返る(かむがえる)事であり、必死に考えに考えた末のひらめきが、神帰るであり、天国の門が開き神の叡智を手にする事が出来るのである。
イギリスの物理学者・ニュートンが、りんごの実が落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したことは有名な話ですが、彼はただりんごが落ちたから、引力があると言ったのでなく、前提として膨大な時間を全身全霊で事に当たった結果、リンゴの落下が万有引力の発見に繋がった。
自身に問う事の深さが、天国の門をノックしているのか?体当たりしているのか?の違いである。そして、天国の門は、全身全霊で体当たりを何度も繰り返し挑まないと天国の門は開かない。天国の門は、素材を自我で出来ており、その構成要素は、主観と客観の分別した思考である。
叡智を手に入れる体験は、条件としては、高度な心的集中状態が一つの必然的心理過程とされる。そして、聴覚、痛覚、視覚、嗅覚などの外部からの刺激(感覚)を通して契機になって体験にいたる。
明鏡止水の心に叡智を一滴落とし、波紋が広がるがごとく伝わる感覚と感動を体験する事をこいねがう。
つづく