沢山の幸せをありがとう。Hula永眠いたしました | 名古屋+愛知・尾張旭フォトレッスン&フォトスタイリングレッスン LeLehuno

 

 

メインカット撮影の後

可愛い可愛いとはしゃぐ私を見ながら笑うHula

 

 

 

私の大切なHulaが虹の橋を渡りました。

2月26日 23時半ごろでした。

 

 

早くご報告をと

頭では分かっていても心が追い付かず初七日を迎えています。

 

 

 

年末に呼吸困難、立っていられなくなり

入院させても

明日どうなっているかわからないからと告げられ

看取る覚悟で連れ帰った日から

2か月も頑張ってくれました。

 

 

 

 

その日々は、

残される私たちへのHulaからの

最後のプレゼントでした。

 

 

秋ごろから疲れやすくなったHula

色々検査しても何も出ず、

もしかしたら脳腫瘍かもしれないというところまで分かった直後のこと。

 

ただ、もう麻酔がかけられなかったので

今後どのようにしていくのか

これからを検討していた矢先、

肺炎を患い、

途端に下半身麻痺になり

一気に悪化したのが年末でした。

 

 

呼吸もままならず、

年末のためレンタル酸素室が

最短でも翌日配送。

 

夕方ぎりぎりまで

病院で預かっていただき酸素投与。

 

帰宅後は一晩中夫と

酸素缶で酸素を送り乗り切りました。

 

ヤマトのドライバーさんにも

無理をお願いして早く届けていただけたことも幸いし

酸素室の中ですやすやと眠る姿を見られた時の安堵は忘れられません。

 

 

酸素室での絶対安静。

腫瘍により半身まひで動けない身体のため

おむつ生活で体位変換も2時間おき。

 

夫と24時間かならずどちらかがそばにいるように

過ごしてきました。

 

 

年が明けてしばらくたち

ようやく体調が安定した時に

期待して再度レントゲンを撮るも肺は真っ白。

すでに転移し広がっていました。

 

 

抱っこすることもかなわず、

日に何度も発作を起こし

快復の見込みがない中、

つらい看病になるはずの日々を

 

Hulaはたくさん食べ、

奇跡的に体重を増やし、

私達に大きな希望も見せてくれました。

 

どれほど彼女の笑顔に救われたでしょう。

 

 

「今日も元気におはようしてくれてありがとう。

ふ~ちゃんは今日もかわいいね

どんな姿でも生きていてくれれば、

お世話できるのがお母さんの幸せだからね」

 

とはじまる朝。

 

日によって食べられるものが違うので

搾りたてのリンゴジュース、

ふわふわのスクランブルエッグ、

ヨーグルト、メロンパン(笑)

 

という女子的メニューの日もあれば

 

ステーキやお刺身でスタートする朝も。

おやつの定番は紅はるかの焼き芋

毎食、何品もサーブし、

お世話ができる喜びを味わわせてくれました。

 

普段一切わがままをいわなかったふーちゃんの

 

これはたべたくな~い 

 

というジェスチャーが愛おしくて愛おしくて

 

夫婦であれこれ食べ物を用意して

冷蔵庫をパンパンにする日々。

 

ほかの子の体調も良くない中で体力的には限界でしたが

Hulaのために過ごす時間はとても幸せで

毎日があっという間に過ぎていきました。

 

 

安定している日は

酸素室にそっと手を入れて

手をつなぎながら一緒にするお昼寝。

 

それは不安な日々の中の穏やかで幸せな時間。

 

いつも私の方が先に寝てしまい、

「ふーちゃん嬉しそうにお前をしばらく見てたよ」と

夫から聞くのも楽しみでした。

 

1月末ごろから食が細くなる日もありましたが

それでもすりすりして~とお顔を上げてくれたり

心配は含みつつも安定した日々が続いていました。

 

Leicaは脳腫瘍があっても

何年もいてくれることもあり

Hulaもこのまま一緒にいられるのでは?と

思うほどでした。

 

 

しかし2/26朝から

いつもと違う様子で本当に苦しそうにし

 

我慢強いHulaが

 

「お母さん苦しいよ、どうしたらいいの」

 

と訴えるのです。

 

少しの朝食は食べ、寝たり起きたりの時間。

その間も発作が続き

苦しそうに何度も何度も私を見るHula

我慢強い子がこんなにも訴えるのは

もう限界なのだと思うと

私にしてあげられることは、

 

「ありがとう、もうお母さんのためだったら頑張らなくていいよ」

 

こう伝えることしか残っていませんでした。

 

最後にすりおろしりんごを少し食べた後は

水分もとれなくなり

どんどん発作の頻度が上がります。

 

薬を追加投与するも

改善はほとんど見られませんでした。

 

夜になりHulaが

 

「おかあさん、ほんとうにいいの?」と

 

確認するかのようにじっと見つめてきたので

 

 

「ありがとう。大丈夫だよ。大好きだよ」

 

そう伝えましたが

失う怖さと楽にしてあげたい気持ちがすごく入り混じっていて

ちゃんと笑顔でいられたか自信はありません。

 

発作が治まった後

眠るように逝ったのが私たちにとっては救いで

翌朝になっても

今にも起きだしそうな穏やかな表情のHula 。

最期まで可愛いお顔でいてくれたことは

私たちの悲しみを軽くしてくれたと思います。

 

 

私たちのために

めいっぱい頑張ってくれてありがとう。

 

天真爛漫で太陽のようだったHula

お母さんを選んでくれて、

うちの子になってくれてありがとう。

 

ふ~ちゃんが喜ぶから

ふ~ちゃんこれ好きだから

 

私たちの間にはいつもHulaがいて、Hulaの喜びが私たちの幸せでした。

 

 

お散歩は嫌いなのに

ロケハンはいつも喜んでくれて

 

どんなに忙しくても、

ロケハンが楽しみだったのは

ふ~ちゃんのおかげだよ。

 

あなたのおかげで

お母さんは新しい世界がたくさん広がり

想像もつかなかったほど豊かな人生になっています。

 

何回ありがとうと言ってもたりないね。

 

最期、呼吸も苦しく、

半身マヒの上に

背中の狭窄のため痛みがある状態で

2か月も頑張ってくれたHula。

 

私が覚悟を決められるように。

私が悔いを残さないように。

私があなたと沢山の時間を過ごせるように。

 

私のために必死に生きてくれてありがとう。

 

Hulaがいないとご飯をちゃんと食べないピントに

酸素室からも食べるように促してくれてたね。

 

ふ~ちゃんがいなくなってから

またご飯食べなくなっちゃって

まいにち必死に色々試しているけれど

ふ~ちゃんのようにはうまくいきません。

 

おかあさん、

ふ~ちゃんにいっぱい助けてもらってたからこれからどうしようね。

 

ちゃんとできるかな。

頑張るね。

 

長く長くそばにいてくれて本当にありがとう。

私たちにとって娘はあなた一人です。

 

 

 

最後になりますが

「Hulaちゃんのそばにいてあげてください」

「私のことは気にせずHulaちゃんのために時間を使ってあげてください」

 

当初、Hulaのそばにいたいけれど、

お受けした仕事はしっかりとしなければと悩んで

仕事はするつもりでいた私にすぐご連絡をくださった方々、

中止のご連絡をした際に、

私やHulaに心を寄せてくださった皆様

 

皆様のやさしさに触れることが無ければ

私は無理をして仕事をし、

失ったHulaとの時間を悔やみ続けたと思います。

 

私にHulaとの時間をくださり

優しく言葉をかけてくださった皆様のお顔が浮かび

ありがたく、

感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

おかげさまで大切な時間を過ごすことができました。

 

ありがとうございました。

 

そしてHulaを助けてくださった

鹿児島多頭飼育崩壊の くまさん、かおりさん、ご支援者の皆様

一緒に生き抜いてくれた子達。

 

我が家を信頼し託してくださったmamiさんキャバリア一家さん

 

皆様のおかげで

Hulaと幸せな時間を過ごすことができましたこと

感謝しております。

 

 

長文を最後までお読みくださりありがとうございました。

悲しくて胸が押しつぶされそうになるのに涙が出ず

Hulaがいない日々は

とてつもなく長く感じられ

苦しい日々でしたが

こうして一文字一文字綴るたびに、

Hulaとの今までの暮らしが思い出され

徐々に穏やかな気持ちを取り戻しつつあります。

 

お葬式は自宅にて家族で執り行い火葬しました。

私の気持ちとHulaの生い立ちをくみ取ってくださり

悔いのないお別れをさせてくださった

建宗寺様にも感謝申し上げます。

 

我が家にはまだ心配な子たちが2人おり

Leicaは看病が続いておりますので

 

昨年同様とは参りませんが

少しずつ日常を取り戻していければと思っております。

 

 

どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

LeLehuno高山真理&Hula