4月のはじめ。
桜が満開になった。
マルチン病院の敷地に、桜が見事に咲いた。
庭の奥丘に、キリストの像が立っている。
左右に桜が大きく立っている、それがまるで門のようだ。
見下ろすと一直線に、シスターの宿舎、その向こうにカトリックの教会があり、
また、その線上には、マリア像も立っている。
こんなに計算された並びは、気づかずに今頃になった。
絵の中の十字架を持った像には、私が道であり、真理であり、いのちなのです。ヨハネ14章6節とある。
聖書に、また私は門である。と記されたところもある。
私を通してでなければ天には入れませんとも。
そのことを、実際に設計されて建築されたのであろう。
そう言っていたと、シスターから聞いたんだと。
で、私が聖書をみて、考えていると、実際のところ、このキリストが立っている場所
からマリア像のところまでの距離が、私は実際に計ってはいないのだが、
思うに280メートルくらいになるみたいだ。
この距離は、イスラエルに行ったときに、体で感じたのは、砂漠に幕屋のモデルが
建てられていて、周りに立っている囲いの棒の数がそれで、門のところが9メートル。
それで、母の妊娠期間が280日で、入り口の門が9メートルあって、これは新しい命だと
言われて、そこに入ると、生まれ変わることを表しているのだと聞いた。こんな奥義のようなことを
ユダヤの古くから考えられていたのだ。聖書の奥深く調べていると、実際の世界が
現実にあるのだと。