カイト・カフェ

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「いざというときに助けてもらうための先行投資」~これからの夫婦、正月をどちらの実家で過ごすのか?③

 盆にも暮れにも双方の実家へ揃って行かないとして、
 生涯、助けることも助けてもらうこともない人生を歩んでいけるのか、
 援助しもらわなくてけっこう、面倒も見ない、遺産もいらない――。
 そんなこと言わず、アルバイト気分で二日ほどがんばればいいだけじゃない?
 という話。(写真:フォトAC)

【盆は祖霊と暮は人間と】 

 昨日までに、
「家族というのは最も強固なセーフティー・ネットであり、盆暮れに実家に帰るのは関係の確認ないしは関係更新のためだ」というお話をしました。
 もちろん盆と暮れは少し意味合いが違うのであって、もともとは年2回の確認・更新だったのが、仏教伝来以降、盆は死者である先祖との交信・交歓のため、年末年始は生きている者どうしの交歓という住みわけが進んだようです。しかしともに絆確認という点では変わりません。
 それが盆暮れに実家に行かなくてはならない理由で、「夫の実家」に限定されたのは、長く本家・分家という形での関係が組まれたためだというお話もしました

 今や本家・分家は旧家にしか残っておらず、それも3代・4代以上前の話として存在するだけですからあまり気にすることはないでしょう。ただし核家族が中心となった現在も、家族がセーフティー・ネットだという考え方は色濃く残っています。

【この先も二人だけでやっていけるという自信】

 ところで一昨日取り上げたサライの記事、2023.01.07「【義家族との間】「兄嫁から身内になったのだから帰省は当然と言われた」気を遣い合ってまで帰省する必要はある?~その1~の女性には、人生に対する怯えというものがまったく感じられません。
 結婚一年目は夫の実家近くにホテルをとって大晦日・元日を過ごし、二年目は夫の実家で過ごしたもののすっかり懲りて、三年目からは夫婦それぞれの自分の実家に行くようにして以降二年間、コロナ禍もあって一度も夫の実家にはいっていないそうです。彼女の言葉を借りれば、
「ずっと二人だったんですから、これからも2人でも私たちは大丈夫だという自信もありました」
ということです。私はそこが信じられない。今はそうであっても遠い将来まで、夫の実家をまったく頼らずに生きていけるという自信はどこから来るのでしょう?

 この先マンションや戸建て住宅を購入したくなったときも一切援助を当てにしないのか、いまは子どもをつくらないと決めていてもいつまた欲しくなるかもしれない。あるいは事故や天啓によって予定外の子どもができてしまい、その子がやがて医学部に行きたいなど言い出す可能性もないわけではありません。そのときも必要な資金を自前で揃えられるのか。

 予定外は不幸な形でも訪れます。夫が事故で働けなくなった、夫婦どちらかが病気で一方的に支えてもらわなければならなくなった、大きな借金を背負うことになった、何かの間違いで刑事被告人になってしまった――そういった不慮の事故・事件に際しても「2人でも私たちは大丈夫」だと言っていられるのでしょうか?
 逆に義理の両親の方に問題が発生し、例えば同時に介護が必要になったときも、いっさい手を伸ばさずに“人でなし”の誹りを背負う覚悟はあるのか。

 サーカスの空中ブランコや綱渡りで、演者が落下することはまずありません。しかしネットは張ります。落ちない自信があるからといって張らない選択肢は普通はありません。それがセーフティー・ネットの本来の意味です。

【遺産もいらない?】

 さらに些末なことを言えば、サライの女性の「夫の兄嫁」は、古い常識に従って盆暮れにきちんと挨拶するような人です。きっと義理の両親の覚えもめでたいことでしょう。毎年気持ちのよい盆正月を提供してくれる長男一家と本人以外決して来ることのない次男の一家、そうした関係が長く続いていざ最期のとき、この二つの家族に等分の財産を渡すことに、親は抵抗感を持たないでしょうか? 「どうせ残したところであの嫁に全部持って行かれるのだ――」
 もちろん法律上の遺留分というものがありますから遺産ゼロということはありませんが、単に盆正月に妻が行ったか行かないかで、兄が弟の3倍もの遺産を手に入れたとしたらかなり面白くない話のように思います。

 ここまでくると盆正月の帰省は情の問題ではなく損得の話になってしまいますが、のちのち後悔しても遅いことです。盆に行けば暮れには行かずに済む、そう考えれば年に2~3日のことじゃないないですか。「いいお嫁さん」を演じるアルバイトにでも行くつもりで出かけてみるのもいい。もちろん1年おきに夫には「いいお婿さん」を妻の実家で演じてもらえばいいのです。

【忘れていることがありません?】

 ところで、サライの記事を読んでいてとても不思議に思ったのは、この女性がほとんど夫の立場や気持ちを考えておらず、そこに一片の不安も感じていないという点です。
 次男の、妻を連れて来ない独りぼっちの帰省を、両親や兄一家は彼をどんなふうに迎えたのでしょう。
「夫からは『普通だった』と連絡があった」
と言いますが、本人が「普通」といえば普通だったと考えるのはあまりにも無神経です。兄が家族全員で来ているというのに弟はひとりぼっちで肩身が狭かっただろうな、といった憐憫や愛情は微塵もありません。
 
 一度プロポーズを断ったのに10年もついてきてくれる人。たった一度の流産に懲りて「子どもはいらない」といえばすんなりと同意してくれる人。大晦日に実家に行くのはいいが泊まるのはイヤ、ホテルがいいといえばその通りにしてくれて、もう今年からはそれぞれ自分の実家で年越しをしようと言えば「そうだね」と応えてくれる人。帰省の様子を訊けば普通だったとしか言わない人――。
 彼は妻のいないところでどれだけ親族に責められ、言い訳をしたり謝ったり、嘘をついたりなだめたりしているか分かりません。しかしそういったことを心配する様子はこれっぽっちもない。
 そこまで蔑ろにしても夫に捨てられる心配のないステキな女性なのか――とはじめに戻って読み直しても、どうやらそうではなさそうです。このままでは義理の両親どころか今の夫とも、一生会わずに済むことになりかねないじゃありませんか。

(この稿、終了)