今日、4月1日生まれの子はひとつ上の学年に入れる。
まさかエイプリル・フールの悪ふざけではないだろう。
しかしどうしてそうなるのか。
そもそもエイプリル・フールってなんだ?
という話。(写真:フォトAC)
【4月1日の学校の様子(以前の記事へ)】
4月当初の学校の殺人的忙しさと、ベテランの転入職員でさえ戸惑う新年度準備職員会議の膨大な内容、そして新規採用の教員がそれをどのように受け止めるか、どう凌ぐか――といった問題に関して、一度まとめておこうとあれこれ繰っていたら、わずか1年前の今日、4月1日にけっこう詳しく書いてあることが分かりました。(もう自分が何をやって何をしていないか分からなくなっています)。一生懸命書いた文ですし、少しでも学校を理解してくださる方が増えるとありがたいので、改めて紹介しておきます。
「4月1日、今日、学校で起こること」~四月バカの話ではないが四月バカみたいな新年度当初のできごと①
以下、3日に渡って書いてあります。
4月当初の学校についてはもう書けないとして、朔日の今日、何を話そうかと考えて、ふたつ思い浮かべました。ひとつは学校の常識としての、
「今日、4月1日生まれの子は前の学年に入れる」
という話と、エイプリル・フールについてです。
【去年の4月1日に6歳になった子は、すでに小学校に入学している】
知っている人が少ないのか案外多いのかはわかりませんが、明日(4月2日)以降が誕生日で7歳になる子は今週末の入学式に新入生として入って来ます、しかし今日4月1日が誕生日で7歳になる子だけは、他の早生まれの子と一緒にすでに入学していて、今月の入学式・始業式には2年生として学校に来るのです。
順を追って説明すると、まず、学校教育法第17条に、
「保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから(中略)これを小学校、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う」
とあります。ここでちょっと分かりにくいのは「翌日以後における最初の学年の初めから」ですが、この「学年」は学校教育法施行規則第59条にある「小学校の学年は、4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる」という場合の「学年」と同じですから、先の法文は「保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の4月1日から小学校、義務教育学校~」と読み替えることができます。それで多少は分かり易くなります。「今年度満6歳になった子は来年度から小学校に来なさい」くらいの話です。例えば昨年2024年の10月10日に6歳の誕生日を迎えた子は、「翌日(2024年10月11日)以後における最初の4月1日(つまり今日2025年4月1日)」から小学校に入りなさい、ということになります。
今月小学校入学してくる子は全員、昨年度2024年度に6歳になった子たちですからこの条項に適合します。もちろん今日7歳の誕生日を迎えた子も、昨年度(2024年度)の4月1日に「満6歳に達した」子でした。ここまでだと4月1日生まれの子が特別扱いされる理由がありません。
昨年(2024年)4月1日に6歳の誕生日を迎えた子はその日、
「うん。6歳になったぞ。翌日(2日)以降の最初の学年、つまり2025年4月1日から小学校に行けばいいんだな」
そう考えればいいのです。
【4月1日が誕生日の子は3月31日生まれ!?】
ところがここに別の法律が被さって来るのです。年齢の計算について定めた「年齢計算ニ関スル法律」と民法第143条です。
それによると「人は誕生日の前日が終了する時(午後12時)に年を一つとる(満年齢に達する)」とされているのです。4月1日生まれの子に当てはめると、なんと法律的には誕生日の前日である3月31日の終了時(午後12時)に満6歳になってしまったことになるのです。
これを先ほどの例で確認すると、2024年4月1日の誕生日で6歳になったと思い込んでいたその子は、法律的には前日の3月31日24時に6歳になっていて、小学校には「その翌日(つまり4月1日)以降の最初の4月1日(つまり2024年4月1日の当日)」から行かなくてはならないのです。そこで慌てて、実際に前の3月に生まれた子たちと一緒に、2024年度の入学式に行ったのです。その子は今、2年生なっています。
だいぶ分かりにくいですが、同じ理由で今日(2025年4月1日)6歳の誕生日を迎えた子は、法律上は昨日2025年3月31日24時に年を一つ取っているので、4月生まれなのに3月31日以前に6歳になった子たちと一緒に、今月の入学式に新入生として学校に来るのです。
まだすっきりしませんか? ではひとことで、
「4月1日生まれは、法律上、3月31日生まれの扱いになる(他の子も、法律上、誕生日の前日24時にひとつ年を取っている)ので上の学年へ!」
【エイプリル・フール(四月馬鹿)】
クリスマスを嚆矢として、バレンタインだのハロウィーンだのイースターだの、指先ほどの信仰心もないのに欧米の風習を平気で取り入れる日本人なのに、エイプリル・フールだけはさっぱり盛り上がりません。
それはそうでしょう。1年で1番忙しくて余裕のない4月1日に偽情報を流したら、誰も笑って済ませてくれません。場合によっては袋叩きです。そもそも4月1日だけはウソをついていいなんて、残りの364日を正直に生きる正直国にしか許されない話です。日本はそうとうに正直な国で、そんな中でもとりわけ正直者の私ですら、年に1回のウソでは生きていけません。今後もおそらくエイプリル・フールは盛り上がらないと思います。
さてエイプリル・フールの起源について、Wikipediaは最初の行で「全く不明である」と強く記しています。ただしそれだけでは冷ややかに過ぎると考えたのか、続けていくつかの俗説を記録しています。中でも有名なのが、
「その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を『嘘の新年』(今までと同じ新年)として祝い、馬鹿騒ぎをはじめた」
というものです。
私も少し調べたのですが、「3月25日新年」はイギリスや北イタリアだけの風習だと書いているものもあれば、フランス全土で行われていたという説もあり、1564年の新年の変更についてもエイプリル・フールがらみではよく出てくるものの、フランス史やシャルル9世の事跡としては出てきません。
一歩引いて考えれば「四月バカ」の説明ですから、何ひとつ信じてはいけないのかもしれませんね。
私の書いた今日の記事、それでも信じていただきたいのですが――。