「食べ過ぎてはないはず・・・」
経験則的に、自分では食べ過ぎ飲み過ぎ等の不摂生をしている意識がないにもかかわらず、不摂生によっておこる病的な体の反応や症状が出てくることがあります。
そのような時に、冒頭のつぶやきが口をついて出てきたり、心に思ったりしてしまいます。
例えば、昨日たくさん食べて今日はお腹が痛い苦しい等の急性の症状であれば、昨日は食べ過ぎだったのかな…などと反省もしやすいしわかりやすいのですが、慢性的に不摂生を積み重ねている場合はその反応もわかりにくいことが多いように感じられます。
食べ過ぎを自覚できない場合の病的な反応や症状は大抵、胃腸とは全く関係のないちょっとした症候なので、通常であればたいして問題にはしませんし、問題にしたとしてもそれが消化器系からのシグナルとはもちろん思いません。
例えば、消化器系に関係するところに吹き出物ができたり、経絡上が乾燥してきたり、湿疹がでてきたり、少しズキズキ痛くなったりするという具合です。
一般的には、皮膚や運動器等のちょっとした症状で、消化器系の異常を疑うという診立てはしません。
治療の際にも、脈や舌・ツボ、その他の症候で、飲食の不摂生で消化器系に負担がかかっていると診断できるのに、問診ではその裏が取れないということが実際にあります。
つまり、患者さんの方からは飲食の不摂生はないとの申告があるのですね。
しかしこれは患者さんがうそをついているわけではなく、患者さん自身が自分で不摂生をしている認識がないということです。
このように、食べ過ぎ飲み過ぎに限らず、不摂生に関しては、自分の感覚と実際に身体が受けている負担との間に、少なからずズレがあるのではないかと感じます。
実際には、自分自身で思っている感覚よりも身体にはやや負担がかかっていることの方が多いのではないでしょうか。
そのような場合は、自分で認識できない分、長期間にわたって不摂生が積み重ねられていると考えたほうがよさそうです。
治療をしながら一方で無意識的に不摂生を積み重ねるということは、ブレーキをかけながらペダルをこいでいるようなもので、なかなか思うように進みたい方向へ進みません。
病というのは、治療と養生がそろうことで無理なく快方に向かっていくものです。
よって、自分だけではなかなか気付けない不摂生を、認識できるようにしてあげるということは、治療をしていく上ではとても重要なことのように思えます。
不摂生を認識できれば、その不摂生を控えるためのきっかけを得ることができます。
さらに、養生を意識して少しでも実践してみることは、ペダルをこぐ推進力を邪魔していたブレーキをゆるめることにもつながります。
それが「食べ過ぎてはないはず・・・」というつぶやきを少なくしていくことにもなるはずです。
このような経験は、自分の感覚と実際に体が受けている負担とのズレから、自分の感覚の中には事実から離れた思い込みの部分が結構な割合であるということを再認識させられます。
色々な事に通じるとは思いますが、時には思い込みを離れて、より客観的な視点から自分を省みることも必要なのでしょうね。