おはようございます〜
先日は 口語文、文語文について書かせて頂きました。
ですが、勉強不足でと説明不足で よくわからないお話になってしまいました。
話す言葉とそれを字体にするのが違う場合を文語文と言うのですね。
それを話す言葉そのままの字体で書くようになったのが終戦くらいからでしょうか。
それまでは、蝶々はてふてふ と書きました。
なんで 書き言葉と喋るのとが違うのか?という単純な疑問で 少し調べた
のですが、イマイチ 要領を得ない説明ばかりで はて‥とクビを傾げながら
この記事を書いてしまいました。
もしも このブログの中に 文語文習ったよ、とおっしゃる方。
いらっしゃたら 是非 ご教授戴きたいですね。
中途半端で終わりましたことをお詫び申し上げます。
さて、話題を替えましてニュース見ましたでしょうか。アントニオ猪木さんが亡くなられました。
以前から難病に臥されていたのは聞いていましたので、猪木シンパの私は割とスムーズに受け取れました‥と言いますか、
もうこの歳になっては少々のことなら動じませんね。
それでもここ何日かで 三遊亭円楽さん、有吉道夫さん(将棋棋士)、そしてアントニオ猪木さんと続いて 無常の時を知りました。
中でも猪木さんには深い想い出がたくさんあります。猪木さんが活躍をしていた頃がちょうど プロレスの全盛期でした。
関西に住んでいた私は何度も猪木見たさにプロレス会場に足を運びました。プロレスはテレビで放映していましたが、やっぱり 生 が一番ですね。
プロレスはアメリカから招聘した外人レスラーのギャラを稼ぐために あちこちと巡業に行っていまして予定表を見ていますと
ホント毎日試合をしているのに驚きましたね。ですが、裏情報で 地方の試合会場は ちょっと手抜きでやってるんだ、
毎日真剣にやっていたら身体が持たないやろう、と聞くと そうか、一年に300試合もやったら確かに大変だわなぁ…と妙なところで感心をしました。
それで、と話は続くのですが だから、大きな街の大きな試合会場ではちゃんとやるんだ、例えばタイトルマッチなんかは、関西なら大阪府立か
京都府立、神戸の体育館でやってるだろう。 そうか、そういえば入場者数が桁違いに多いし、確かにタイトルマッチはよくやってるよなぁ。
と分かってくると 京都に住んでいたので京都府立は何度も通いました。
異種格闘技戦は大阪府立体育会館がよくあったようで、わざわざ 大阪まで出向きましたね。
会場に来ると 既に入場券を買っていますから、スムーズに入れましたが、途中ダフ屋が声を掛けてきました。「ニイチャン、ええ席空いてるよ!」
と入場券(当時は、切符と言ってたかなぁ)を売り付けに来るのです。ああ、ワシら持ってるんや、と断ると また 違うヤツが
「兄チャン切符余っていたら買うで」と寄って来るのです。お客に売るし買うし どうなっているんかなと思いますが、このダフ屋稼業は野球や
プロレスの試合会場でよく見ました。ダフ屋は大きな試合でしか出てきませんね。人気のない試合はわざわざダフ屋から高い値段を出さなくても買えますから…
そんなわけで アントニオ猪木(ここからは敬称は省きます)の異種格闘技戦はどの試合も大入り満員、会場の周りを切符が取れなかった人が何とか見たいからと
ダフ屋と交渉しているのをよく見かけました。ですから ダフ屋からするとアントニオ猪木様々だったでしょうね。
異種格闘技戦以外に見たいなぁ というのにストロング小林とアントニオ猪木の一戦がありました。これは東京で催されたのでアキマセンでしたが、
当時 アントニオ猪木が国内のプロレスラーで誰が一番強いか日本選手権をやろう!と他の団体(全日本や国際)に声を掛けました。
ジャイアント馬場の全日本は否定をしたようで無視。国際プロレスも難色を示していましたが、当時のエースのストロング小林が国際プロレスを
脱退して この日本選手権に参加を表明しました。
アントニオ猪木はNWF世界ヘビー級選手権王者、ストロング小林はIWA世界ヘビー級選手権王者。
( 水を差すつもりはないのですが、この二つのタイトルは自前のモノで世界では全く無名だったかな、でも実力では世界に引けを取らないでしょう)
【注釈】(世界で権威のあったのは本場アメリカのNWA、当時はジンキニスキー、AWAのバーンガニア、WWWFのブルーノサンマルチノ)
猪木はもとより ストロング小林も猪木の人気に隠れていましたが、国際プロレスの看板タイトルのIWAのタイトルを長く防衛してきた実力者でした。
さあ、猪木か 小林か 、日本中のプロレスファンが手に汗握った世紀の一戦でした。試合当日は会場の周辺は異常なほどのお客の列が十重二十重とできて
…要は切符が手に入らなかったので試合会場に行けば ダフ屋から買えるだろう、と思って行ったお客の行列が試合会場をぐるりと取り囲んだようになったそうです。
さすがのダフ屋 も売っても売っても買い求める客が減らないし最後はとうとう買える切符もなくなってしまって 早々に退散したのでした。
あんなことは モハメド・アリの時とこれやなぁと懐かしむ人いましたが、アントニオ猪木はプロデューサー(興行主)としても超一流だったのですね。
アントニオ猪木の想い出のひとつとして 見始めた頃の大阪の試合会場で前座が始まる前に 猪木が颯爽と出てきてリングに上がりました。
何をするんだろうと見ていますと、ゆっくりと柔軟体操を始めるのですね。そんなこと控え室でやったらいいのになぁ‥と思いながら見ていました。
しばらくして軽くジャンプをし始めて両腕を開いたり上げたりしながらジャンプも勢いが出てポンポン飛び跳ねるようになって ふと足元を見ますと
脚の指先が 普通は外側に曲げて跳ぶのが 内側に曲がっているのです。はぁ‥見惚れているうちに そんなことして跳んでいるって凄い事だと
分かって 唖然としました。猪木はそれが終わると他の柔軟体操をして 又風のようにマットから去りました。
これをさり気無くやったところに猪木一流のパフォーマンスを感じます。 皆さんも一度足の指先を内側に曲げて跳び跳ねてみて下さい。
あ、ほんとにやったら大けがしますよ^^ 猪木はちょっとしたところで 皆さんこれって 出来ますか。とアピールしていたんですね。
これを見て私はますますアントニオ猪木のファンになりました。
最後に、私のアントニオ猪木のベストバウトをいくつか挙げたいと思います。
まずはクリス・マルコフ戦、日本プロレス時代のWリーグ戦初優勝の決勝戦。ビル・ロビンソン戦、実力者に対して奮闘をした好試合。
カール・ゴッチ戦、新日本プロレス旗揚げの看板試合、でしたが非情にもカールゴッチの勝利。後にさすがカールゴッチと称賛されました。
このカールゴッチには余談がありまして猪木がまだデビュー間もない時に来日していたゴッチが国内屈指の業師吉村道明を子ども扱いをしているのを見て陶酔。
試合後に「ミスターゴッチ、私にレスリングを教えて下さい」と直訴しました。ゴッチは真摯な猪木青年の申し出を快諾して日本に滞在中に猪木にレスリングの
基本や裏技などを伝授しました。いわば猪木のプロレスの基本はカールゴッチから学んだのでした。
ジョニーバレンタイン戦、猪木のタイトル戦の初の対戦相手、銀髪の爆撃機と異名を持つ強豪の相手にハラハラドキドキしました。
タイガージェットシン戦、これは幾多の名勝負がありましたが 腕折りの一番、凄惨な試合で凄いなぁと感心しました。ストロング小林戦、
これは猪木の真骨頂が出た名勝負、終盤に小林の必殺技カナデアンバックブリーカーを驚異的な切り返しでバックドロップで逆転で勝利。しびれましたねぇ。
ラッシャー木村戦、これも猪木の凄さと試合巧者ぶりを語る一戦なりました。(異種格闘技は除く)
他にも一杯ありますが先ずは思いついた試合です。
最後にプロレス流に ゴングのテンカウントで閉めたいと思います。
♪ カ~ン