青春18切符の4回目の使用で、北陸方面に行きました。
何度もいろんなパターン組みまくって出した結論、考えてもわからんものはとりあえず一番遠いとこから行けってこと。
なのでまずは若狭一宮の若狭彦神社と若狭姫神社に行くことにしました。
この日も京都過ぎたぐらいから雨降り出しまして、東小浜駅に着いてもまだ降ってました。
歩いて行く予定でしたが、駅降りたとこに観光案内所があって、レンタサイクルやってました。
雨降ってるけど、とりあえず借りまして、若狭彦神社に行く道を念の為確認しましたら、『姫まで5分、姫から彦まで15分』という簡潔で無駄のない的確な答えが返ってきました。
慣れてるな。
そんで、走りだしたら雨止みましたよ。
ほんと雨津彦卒業かも知れません。
まずは若狭姫神社から。
ほんと自転車だとすぐでしたわ。
若狭国一宮は、若狭彦神社と若狭姫神社で、それぞれ上社と下社の位置づけなので、二社でひとつと考えていいでしょう。
手水舎
なんか木製の船ありましたけど、興味あんまないので近くまで見に行きませんでした。
遙拝所
鵜の瀬の白石神社の遥拝所のようです。
先に言っておきますけど、鵜の瀬行ってないんですよ。
鵜の瀬といえば近年、若狭神宮寺のお水送りが有名になりましたけど、お水送りの儀式があろうとなかろうと、ずっと東大寺二月堂には香水が届いてたということになってますので、少しアンチなとこありましたもので。
でも、それを除いても若狭姫若狭姫神社に深い関わりがあったみたいです。
両社の御祭神の降臨した地であったようです。
少し調べたらわかることですのに、一宮を効率よく回ることだけに意識が行っていて、中途半端な結果となりました。
なるべく奥宮や元宮は意識していたつとりですが、お恥ずかしいかぎりです。
若狭彦神社の遥拝所でもあります。
遥拝する先が南方なのが違和感ありますが、僕の住んでる地域のように元宮のある山が北にあるのと違って、日本海側は南に山があるってことを再認識して、なるほどなと思った次第です。
随神門
こちらは4軀。
反対側にも4軀。
左右4軀の随神像が、左右に正対する珍しい形式です。
よくある雛飾りの左大臣右大臣のような随神ではなく、こここ随神は、御祭神に随従した吉祥八人であると伝わっているようです。
吉祥八人の具体的な名はわかりませんが、杓子定規のありきたりな随神よりも、祀るべき御祭神にちなんだ随神であることが、本来の随神として正しく思えます。
僕が綺麗だと思うのはこういう感じです。
能舞台
中門(神門)
玉守神社
御祭神は玉守明神、って誰やねん。
本殿ちらっと。
御祭神は豊玉姫命です。
上社が彦火火出見命なので、その后神ですから当然のことです。
よく御祭神配置で『なんで?』ってこと多いんですが、ほんとしっくりいって気持ちがいいです。
石灯籠
説明書いてましたけど読んでません。
枝の下から瘤が垂れ下がってあたかも乳のごとき形をしていることから名付けられたものだそうです。
乳神さまと言われ、母乳の出が少ない人が、この木に祈れば豊に授かると伝えられてるようです。
どこだ?
結局見つけることできませんでしたよ、豊満な乳房は。
過大広告はJAROに電話せなあかんとこですが。この『乳汁満足』という言葉ですべて許す気持ちになれました。
そんでね。ここ陰陽石もあるんですよ。
こちらが陽石です。
なんか角ばってて痛そうだったのですが、こちらからの角度だと入れやすそうです。
陰嚢もあるしね。
そしてこちらが陰石です。
もちろん一番それらしい角度を探して撮りましたよ。
陰石って女陰なのはわかりきってることなんですけど、わざわざこういう書き方されてて吹きましたわ。
窪みにお札挟むのはストップ劇場だけにしましょう。
なんかよくわからんやつ。
二月堂に繋がる水路かなんかのようですか。
境内社回ります。
日枝神社
御祭神は大山咋神
中宮神社
こっちからのほうが本殿よく見えました。
御祭神は玉依姫命。
若狭姫神社がこれほど素晴らしかったので、若狭姫神社に向かうのが楽しみで仕方なかったです。
陰陽石ありましたのでもちろんこちらへ。