RE Model car Museum

1/43RE車ミニカーBLOG

'04 マツダ RX-8 マツダスピードバージョン

センセーショナルなデビューを果たしたRX-8には、
発売当初からマツダスピード製の
チューニングパーツがリリースされていました。

それをメーカーで組み付けた
コンプリートカーとして、
2004年に発売された限定車が
マツダスピードバージョンです。

マツダ RX-8 チューンドバイマツダスピード 1/43 オートアート製

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マツダスピードバージョンは
ベース車であるスポーツグレード
Type-Sの275万円から360万円になり
RX-7(FD)並の価格帯となったものの、
変更点は多岐にわたります。

その中でもFDを知る人ならば
おや?と気がつく変更点は
リアウイングとタワーバー追加、
ハードダンパーへの変更、
オイルクーラーのツイン化でしょうか。

これらはFDのTYPE-Rでは
標準装備だったものですが、
エントリーグレードだったTYPE-Sでは
省かれていた装備で、
RX-8ではスポーツグレードに昇格した
TYPE-Sでも同様に省かれていました。

そういう意味で、
RX-8でTYPE-S(スポーツ)から
TYPE-R(レーシング)の領域に入り
更に一歩踏み込んだのが、
このコンプリートカー
マツダスピードバージョンでした。

マツダスピードによる
コンプリートカー構想は
以前の独立時代からありましたが、
皮肉にも合併されたことで
ようやく実現された感があります。

これはマツダスピード吸収合併による
数少ない功なのかも知れません。

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しかしそんなメーカー純正の
チューニングカーまであるRX-8
チューニングベースとして
ポピュラーだったかという話になると
評価は難しいようです。

というのも、ロータリーエンジン(RE)は
デリケートなエンジンなので
燃調のセッティングがシビアです。
給排気系に手を入れば燃調が崩れて
寿命が短くなってしまいますから、
スポーツECU等でリセッティングが
望ましいんですね。

ここまでは、RX-8以前のRE車にも
共通する話なのですが、
サイド吸気サイド排気を採用した
RX-8のRENESISは構造上、
排気経路に抵抗があるわけですから
熱とカーボンが溜まりやすい特徴がありました。

純正状態では燃調が取れていますので
問題になりませんが、
給排気系に手を入れたまま
燃調のリセッティングをしないと、
その構造上の特徴が露わになり
トラブルの元となってしまうのでした。


逆説的にいえば、RENESISは
ノーマルの時点でパワーと環境性能の
バランスを取って完成されている
エンジンだと言うことになりますが、
スポーツカーに乗れば
マフラーぐらいは変えたくなるのが
人のサガといったところ。

そういう意味で、給排気チューンと同時に
燃調のリセッティングがされた
このマツダスピードバージョンは、
安全にチューニングカーを楽しむ為の
メーカーからのお手本の様に
見えなくもありませんでした。

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ミニカーは前回のTYPE-Sに引き続き、
オートアート製になります。

ですが、このミニカーは厳密には
マツダスピードバージョンではなく、
マツダスピードのチューニングカーです。

そのこともあってマツダスピードバージョンでは
純正のサイドミラーとアルミホイールですが、
ミニカーではマツダスピードOEMの
ガナドールエアロミラーとレイズMS-01Sに
に交換されています。

マツダスピードバージョンで価格を抑えるため
省かれた装備まで交換している
完全版とも言えるかも知れません。

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そして、エアロパーツはRX-8のチーフデザイナーで
現デザイン本部長の前田育男が手掛けたもので、
市販車と並行してデザインされています。
これは結構珍しいケースかも知れません。

そのフロント造形は開口部を広げた
5型以降のFDに近い造形になっていて、
正面から見ると独立していたノーズと
フェンダーのラインが揃えられています。

これでRX-8独自の個性は薄れたものの
ノーマルよりもすっきりした
空力優先のシンプルな造形になりました。


ミニカーは前期型のモデル化ですが、
実は後期型にもマツダスピードの構想があって、
2008年の東京オートサロン
RX-8マツダスピードコンセプトとして
参考出品されています。

しかし結局は発売にまでは至らず、
エアロパーツのみがマツダスピードではなく、
エムズカスタム名義でマツダE&Tから
発売されるに留まったのでした。

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このエアロも中々良いデザインです。
こちらも是非モデル化を期待したいところですね。

 

閑話休題

写真ではうまく隠しましたがこのミニカー、
ケース正面から見えないボディ右側に
飛び散った塗料が大量に付いていました。

汚れをパッケージの死角に隠して
商品として出荷するとは小癪な……!
購入前開封チェックせずに、
10年後に気付く私も間抜けなのですが(笑)

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'03 マツダ RX-8 TYPE-S

2002年、平成12年排出ガス規制によって
90年代の日本車絶頂期を彩った
スポーツモデル達は軒並み生産中止と
なってしまいました。

70年代に日本版マスキー法の
昭和50年排出ガス規制によって、
ツインキャブで武装したスポーツモデルが
絶滅した時期と良く似た
スポーツカー冬の時代に
再び戻ってしまったのです。

既に搭載するのはRX-7のみとなった
ロータリーエンジン(RE)も
これによって一時的に
生産中止になっていたのですが、
2003年5月、新たなスポーツカーの心臓
13B-MSP、RENESISとして蘇りました。

そのスポーツカーこそがこのRX-8です。

マツダ RX-8 1/43 オートアート製

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新エンジンRENESISの最大の特徴は
マツダが長らく採用していた
サイド吸気ペリ排気を改め、
サイド吸気サイド排気としたこと。

これによって、給排気のオーバーラップを
ゼロにして燃焼効率の改善が出来たことで
排ガス規制をクリアしたのです。

また、それに伴うNA化の恩恵は
エンジン本体以上にスペースを割いていた
ターボとパイピング類が不要となり、
更にエンジンを車両側に寄せて、
低くマウント出来るようなったことでした。

これは1995年、次期RX-7かと言われた
コンセプトカーのRX-01によって
提案されたレイアウトで、
次期RX-7そのものはお蔵入りしたものの、
その技術はRX-8となって昇華したのです。

 

加えてガソリンタンクを
ホイールベース内に納めて、
スペアタイヤを廃し
パンク修理キットにすることで、
マスの集中化はRX-7以上に進みました。

下回りまで再現しているこのミニカーでは
そのマスの集中化の成果と、
足の長い良く動きそうなサスアームが
見てとれます。

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RX-7の弱点だったボディ剛性も強化され、
4ドア4人乗りスポーツカーという
走行性能上のハンデがありながら、
RX-7以上のコーナリング性能を持つ
クルマになったのでした。

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専用色のベロシティレッドマイカも
新世代のスポーツカーに
相応しい今までにない色で
これがRX-8に良く似合っていました。

現在マツダは、
ソウルレッドプレミアムメタリックを
イメージカラーにして訴求していますが
マツダは節目節目で、
いい赤色を出していますね。

ロードスターのクラシックレッドも
RX-7のヴィンテージレッドも
ソリッドカラーとして良い色でした。

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さて、RX-8のデザインで
最も特徴的なのはフロントフェンダー
処理かと思います。

ロータスセブン等のサイクルフェンダー
モチーフにされたデザインは
プロミネントフェンダーと呼ばれ、
タイヤの存在感を強調する手段として
2000年代のカーデザインの
トレンドの一つになりました。

特に初期型はノーズまで独立していて
正面から見ると
デザインの意図が良く分かります。

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リアガラスの形状は鞍型。
R360クーペ、コスモスポーツ
そしてRX-7へと代々続いていた
マツダスポーツカーの
アイコンを引き継いでいるんですね。

こういう小さな積み重ねが伝統を作り、
ひいてはブランド構築に
繋がっていくのだと思います。

概して日本車は
得難い財産である伝統を
軽視しがちな傾向があるので、
目先のトレンドに捉われずに
そのクルマのアイデンティティ
大事にして欲しいところです。


久々のスポーツカーニューモデル、
日常性とスポーツ性の程良いバランス、
ベースグレード240万円からという
戦略的な価格設定もあって
発売当初、RX-8は良く売れました。

リーマンショック以降の不景気からの
燃費志向の煽りを受けて、
REの弱点の燃費が足枷になり
モデル末期は失速してしまいましたが、
9年の長きに渡ってRX-8
ロータリーの火を守り続けたのでした。

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'69 マツダ ルーチェ・ロータリークーペ

1967年にRX87として
プロトタイプが東京モータショーに展示され、
1969年にマツダ
ロータリーエンジン(RE)車
第三弾として発売されたのが
ルーチェ・ロータリークーペです。

マツダ ルーチェ・ロータリークーペ 1/43 ノレブ製

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デザインにはジウジアーロが関与しており、
そのせいもあってか
優美なイタリアンデザインは
どことなくいすゞ117クーペに似ています。

しかし、クルマの成り立ちとして見れば
両車はまるで別物なのです。
ルーチェ・ロータリークーペは
FFレイアウトでREを搭載するという
特異な構成でした。

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ベースとなった初代ルーチェは
レシプロエンジンのFR車でしたから、
ロータリークーペのみが
その姿と名前を借りた
特別なクルマのように思えますが、
事実はどうやら逆だったようなのです。

ルーチェはもともと
FFレイアウトでREを搭載する
コンセプトで開発はスタートしており、
肝心のREが間に合わずに
1965年にレシプロエンジンのFR車として
発売されたというのが真実とのこと。

つまり、ロータリークーペは
REのFF車という当初のコンセプト通り
発売に漕ぎ付けたクルマなんですね。

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上の写真が件のジウジアーロ
ベルトーネ在籍時代にデザインした
ルーチェのプロトタイプであるS8Pですが、
この異型ヘッドライトと広いグラスエリア
垂れ下がったフロント造形を見ると、
私はいすゞ117クーペよりも
先に紹介したNSU・Ro80との
近似性を強く感じてしまいます。

REのFF車という特異な共通点から考えても、
これはマツダからのNSU・Ro80に対する
アンサーソングだったのかも知れません。


しかし、ルーチェ・ロータリークーペは
オーバーヒートとFFの悪癖という
弱点に悩まされたことと、
117クーペ並みの高額車だったこともあり
販売は伸び悩みました。

総生産台数は僅か976台。
「ハイウェイの貴公子」のキャッチコピーで
フラグシップを務めたグランツーリスモ
3年の任期を終えて舞台を降りたのでした。

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ミニカーは引き続き、
国産名車コレクションのノレブ製。

フロントの4灯ヘッドランプの
彫の深い表情が表現されておらず、
あまり実車に似ていない気もしますね。

コストが掛けにくい量産品ですが、
顔さえ良ければ七難隠すこともできます。
ここはなんとか
頑張って欲しかったところです。

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さて、ミニカーからは窺い知れませんが
ルーチェ・ロータリークーペには
特筆すべきことがもう一つあります。
それは、13Aという
このクルマだけに積まれたREです。

コスモスポーツに搭載の10Aから、
ローター幅を10mm広げた12A。
そこから更に10mm広げた13Bのように、
基本設計はそのままに
ローター幅を広げることで排気量を上げて
改良を重ねていったのがREなのですが、
13Aはその系譜から外れる
現状でマツダの市販車で唯一のREなのです。

何が違うのかと言いますと、
ローターの偏心量を増やすことで
排気量アップに対応していたことです。
つまりは、ローター幅はそのままに
ローター自体を大型化したのですね。

ちなみにレシプロエンジンで言えば、
ローター幅拡大…ボアアップ
ローター偏心量増大…ストロークアップ
と同様の効果です。


とはいえ、この方式の排気量アップは
ルーチェ・ロータリークーペ以降、
後には続きませんでした。

ローター幅だけを広げる方が
工作機械は減らせますし、
共用部品も増えて、
基礎研究も一本化できます。

また、ローターが大型化すれば
ハウジングも、ひいては
エンジンサイズも大きくなりますから
小型軽量のREのメリットを殺すのを
嫌ったのかも知れません。


しかし、13Aが選んだローター偏心量を
増やす方式は今では見直されています。
それは次期REとして、
度々取り上げられた16X。

これは10Aからレネシス13Bまで
同一だったローター偏心量を増やした
いわばロングストローク化したREです。
燃費とエミッションを重視した
近年のレシプロエンジンのトレンドと
同じになりますね。

一時期、開発中断の話が聞かれましたが、
噂の次世代ロータリーエンジン
スカイアクティブRとして
16Xの復活を期待しています。

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'77 マツダ ルーチェ・レガート

当時の日本車はいずれも
そんな雰囲気を持っていたとはいえ、
アメリカンマッスルカーの影響が強かった
2代目ルーチェからモデルチェンジで
がらりと変わり、
まだまだアメ車の影響が強いながらも
落ち着いた雰囲気のサルーンになります。

これは先に紹介したロードペーサーを継ぎ
高級サルーンのポジションまで
カバーする必要があったのが影響しています。

2代目から3代目への変化は
あまりに大きかった為、当初は併売とされて、
3代目はルーチェ・レガートを名乗りました。

ロードペーサー亡き後、コスモAPと共に
事実上マツダのツートップを張ったのが
このクルマなのです。

海外輸出名はマツダ929、またの名をRX-4!
その見た目に騙されてはいけません。

マツダ ルーチェ・レガート 1/43 ノレブ製

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車種体系が不明瞭なことで知られるマツダ
バブル期の混乱が有名ですが、
70年代の車名も割と混乱しており、
ルーチェ・レガートも
後に「普通の」ルーチェへと改名しています。
他もファミリア・プレストに、
グランドファミリア……
併売やサブネーム、
ビッグマイナーチェンジでの名称変更等、
なかなか込み入っているのです。

ボディはセダンとハードトップの2本立て。
ですが、その差が私には殆ど分かりません。
このミニカーは恐らく
ハードトップだと思うのですが……
(どなたか詳しい方教えて下さい!)


この頃になるとマツダ
レシプロエンジン向きのクルマと、
ロータリーエンジン(RE)向きのクルマを
分けて考えるようになりますが、
まだまだトップグレードはREで
2代目から引き続き13B型REを搭載します。

何故ならば、マツダは6気筒エンジンを
この時代は持ち合わせていません。

トヨタと日産の二大メーカー以外は
長らく6気筒エンジンは
ラインナップに存在しなかったのですね。
(三菱デボネアなど例外もあります)

つまり、ハイパワーが求められる
スポーツカーと高級車の心臓は、
マツダにおいては
RE以外選択肢はありませんでした。

むしろ、選択肢として残されているだけ
恵まれていたのかもしれません。

 

この事実は70~80年代の
国産チューニング業界にも顕著で、
ゼロヨンと最高速において
日産のL型直列6気筒エンジンと、
トヨタのM型直列6気筒エンジンに
伍して戦えるエンジンはRE以外には
存在しない時期すらあったのでした。

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ミニカー自体の出来として、
細部の再現性は
実車を詳細に知らないこともあって
なんとも言えないのですが、
ロードペーサーと比べても彫が深く、
5ナンバーサイズとは思えない
貫禄あるデザインは表現されています。

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この貫禄に一役買っているのは
縦目2灯角ライトでしょう。

同時期のアメリカンフルサイズの
ダッジモナコの顔に似ていることから、
そこから影響を受けたとよく言われますが、
ダッジモナコの縦目2灯顔への
マイナーチェンジは
ルーチェ・レガートの発売より後なんですね。

それよりも、当時のトヨタチェイサーに
似せない様に縦目2灯顔にしたという話が
真実に近いのではないかと思っています。


そんなアメ車顔のルーチェ・レガートですが
後のマイナーチェンジで
異型ヘッドライトに変わり
今度はベンツ風の顔へと変身します。
ついた渾名は広島ベンツ。

いいえて妙な渾名ですが
確かにその時期、80年代からは、
ヨーロッパ志向のデザインとハンドリングに
なっていくマツダを端的に表しています。

以後のルーチェはセンティア/MS-9導入により、
モデル廃止になる5代目ルーチェまで
その方向性は一貫してヨーロッパ志向でした。

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気がつけば、BLOGを始め一月が経ちました。
ジャンル柄、レスポンスに乏しいのですが
アクセス数は励みになります。
いつもありがとうございます。

それにしても皆、RX-7が好きですね。
RX-7の記事とそれ以外のクルマの記事だと
なんとアクセス数が2~3倍は違うのです。

マイナー車ミニカーの記事の方が
力を入れて書いているつもりなのですが、
アクセス数には直接結び付かないんですね。
ルーチェ・レガートのこの記事も
きっと実車の不人気振りを
証明してくれるに違いありません……

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'75 マツダ ロードペーサー

オイルショック前夜のマツダ
モータリゼーションをもじった
ロータリーエンジン(RE)普及政策、
ロータリーゼーションを推進していました。

そして、幅広い車種にREを搭載していくのですが
極め付けはこのショーファードリブンで
ルーチェと同じ13Bを載せたフラグシップ、
ロードペーサーを送り出します。

マツダ ロードペーサー 1/43 ノレブ製

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当時の高級車と言えば
ドイツ車よりもまだアメ車の時代。

そこで高級車を一から開発する
体力のなかったマツダ
右ハンドル圏で流用が容易と思われた
オーストラリアのGMホールデン・プレミアの
ボディと足回りを輸入しました。

それに逸早く昭和50年排出ガス規制
(日本版マスキー法)に対応したREを搭載し、
高級車としての内装を仕立てたのですが……

言うまでもなく大失敗。
今では屈指のカルトカーとして
名を轟かすことになってしまいました。


ただでさえ低速トルクが薄いロータリー。
当時はもちろんノンターボです。
それで1500kgを超す大柄なボディを動かすのは
やはり無茶があったのです。

更にそのパワー不足をカバーする為に
3速ATで高回転域を使う必要があり、
ベース車のV8エンジンよりも
燃費は劣悪なものとなりました。

また、その大柄なボディもアメリカの区分では
インターミディエイトクラスの中型の大衆車です。
手直しをしているとはいえ、
内装の質感ではライバルに劣るのでした。

そして決定的なのは
ショーファードリブンとして既に実績のある
トヨタセンチュリーや、
日産プレジデント以上の高価格。

例えば三菱デボネアであれば、
グループ内の社用車として生きる逃げ道も
少なからずありましたが、
マツダではそれも出来ないのです。

……これには目も当てられません。

バブル期のマツダ暴走がクロノスの悲劇ならば、
ロータリーゼーションが生み出した悲劇が
このロードペーサーなのでした。


まさかこれがミニカーで出るとは思わず、
国産名車コレクションで
この号は単独購入したのを覚えています。
前述の通り、かなりのカルトカーですからね。

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さて、押し出しの強いグリルの形状は
後のコスモAPやルーチェレガート、
2代目カペラ、3代目ファミリア等と
通じる70年代後半共通のマツダ顔です。

このグリルは外装でプレミアから
作り直された数少ない部分になりますね。

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恐竜的進化のピークを過ぎて
この時期からおとなしくなっていった
アメ車のデザインは
意外にもスクエアでクリーンですから、
サイズ以外は70年代後半の
他のマツダ車と並べても
意外と違和感がありません。

個人的にはこのロードペーサーで
13B改ドラッグ仕様とかやってしまうと
本場感出て最高にかっこいい……
と思ってしまいました。
ミニカーでそういう遊び方も
ありかも知れません。

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当時のマツダはこのロードペーサーを筆頭に
ロータリーゼーションの暴走振りは凄まじく、
軽自動車でのシングルローターRE搭載計画や
車重2800kg、乗車定員26名のマイクロバス、
パークウェイへのロータリー搭載など
斜め上の方向に突っ走っていました。

そうして、ロータリー普及を焦るあまり、
ロータリーに不向きな車種にまで
展開を広げてしまったことが、
オイルショックも重なったこともあって
その後の経営にダメージを与えたのです。


結局、ロードペーサーの生産台数は僅か800台、
実生産期間は2年の短期間で1977年には終了。
1979年には前述のオイルショックによる
ロータリーゼーション失敗の経営難から
フォード傘下に入ることとなり、
車種整理されて販売も終了してしまいました。

フォード傘下でGMボディのクルマの
販売は難しかったのもあるかと思います。


商業的には失敗した
ロータリーゼーションの粋とも言える
ロードペーサーではありますが、
少量生産で設備投資も僅かだったことが幸いし
経営に与える影響も少なかったようです。
後のクロノスと違い、
戦犯とはならなかったのです。

 

私としてはオイルショック後で
マーケティング上厳しいことは明白なのに
何故、発売を強行してしまったのか
理解しかねる部分がやはりあります。

もしも、その辺りご事情詳しい方いましたら
是非教えて下さい。

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'99 マツダ RX-7 マツダスピード A-spec GT-CONCEPT

マツダスピード A-spec TYPE-I,II,15thに続く
4番目のRX-7エアロキットがA-spec GT-Cです。

マツダスピードは1999年7月にマツダ本社に
吸収合併されることとなり、
マツダスピードの「法人」としては
RX-7最後のエアロになりました。

マツダ RX-7 マツダスピード A-spec GT-C 1/43 京商

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そのデザインは
1999年1月に5型にマイナーチェンジした
新しいコンビランプの造形をベースに、
JGTC全日本GT選手権)参戦車両の
イメージを加えたA-spec TYPE-IIの延長線上の
造形になっています。

GT-コンセプトという名前の通り、
あくまでイメージ先行であって
そのものではありませんが、
実際にJGTCに参戦していた
マツダスピードの支援を受けていた
オークラロータリーレーシングは
1999年シーズンに
このフロントバンパーをイメージした
造形のエアロで参戦していました。

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また、このエアロそのものが
スーパー耐久シリーズで使われていました。

なかでもBPビスコガンマRX-7駆る大井貴之は
2000年と2001年のクラス3の
シリーズチャンピオンになりましたから、
(フロントバンパーは途中より他社製)
マツダスピードのエアロの中で最も
モータースポーツ実績があるものと言えば、
このGT-Cなのかも知れません。

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ミニカーはレジン全盛の今となっては懐かしい
コールドキャストポリストーン製)です。
乱暴に言えば粘土の塊なわけですから、
窓は黒塗りでインテリアは再現されていません。

京商は割とキャビンを小さめに
デフォルメする傾向があるのですが、
このミニカーではそのせいもあってか
ボディが分厚く見えるような気もします。

もう少しスマートなほうが
らしいような気もするのですが……

 

このA-spec GT-Cのフルエアロですが
実はスタイリングキットには
エアロボンネットと
サイドスカートは含まれていません。
これはTYPE-15thエアロキットのものを
流用する形で完成する構成になっています。

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1998年にTYPE-15thを
発売したばかりでしたので、
その辺り大人の事情もあるのかも知れませんね。

ホイールは継続してレイズ製でMS-01MAG
やはりRX-7のホイールは
メッシュタイプか5本スポークタイプが
しっくりくるような気がします。

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さて、解散したマツダスピードは
マツダのブランドとしては残りましたが、
その人材となるとそうではありませんでした。

監督の大橋孝至はトヨタ系で縁があるサードに、
ドライバーの寺田陽次郎
独立してオートエクゼを立ち上げ、
技術部長の田知本守も
独立してドゥー・エンジニアリングを設立。

市販車のチューニングキットという立ち位置では
その後オートエクゼがマツダスピードの
ポジションに収まりましたが、
ルマンを総合優勝に導いた
モータースポーツのノウハウは失われたままです。


現在のマツダモータースポーツ
マツダUSAが孤軍奮闘、気炎を吐いているのみ。

風籟だってマツダUSAが作ったのですから……

マツダスピードOBから
そのノウハウとスピリッツを継承出来るうちに、
マツダが本来の意味でのマツダスピード復活を
させてくれることを願ってやみません。

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'95 マツダ アンフィニRX-7 マツダスピード A-spec TYPE-II 高橋啓介仕様

頭文字Dに登場する主人公のライバル
赤城レッドサンズ、高橋啓介の愛車が
アンフィニRX-7FD3S)TYPE-Rです。

I型のみに存在するボディカラーの
コンペティションイエローマイカが特徴的で
サイドスカートを除いた
マツダスピード A-spec TYPE-II
スタイリングキットと、
MS-02アルミホイールの組み合わせで、
エクステリアはマツダスピードで
固めています。

マツダ RX-7 マツダスピード A-spec TYPE-II 高橋啓介仕様 1/43 フジミ製

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劇中では、スポイラー、ホイール、
フロントバンパーと徐々にチューニングを
している様子が描かれていますが、
実はこの仕様は作者のしげの秀一所有の
RX-7と同じということが
雑誌のインタビューで明かされていました。

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このエアロキットのデザインは
ムーンクラフトによるもので、
同社代表の由良拓也がデザインしたCカー
マツダ717C(通称:そら豆)の
セルフオマージュになっています。

フロントからみると
ドライビングランプの表情や、
インテークの形状などから
そのことが良く分かりますね。

ちなみにカタログ左下の写真が
A-spec TYPE-Iで純正+αのシンプルな
フロントとリアスポイラーのセットです。
こちらも787Bのホイールと同デザインの
MS-01アルミホイールが決まっていて
硬派な感じが良いですね。

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また大型ウイングの形状や
フロントレンズカバーの表情は、
5型で行われるビッグマイナーチェンジの
デザインにも影響を与えているでしょう。

FDには数多くのエアロが出ていますが、
私はこのエアロが俄然一番好きです。

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ホイールのMS-02はレイズ製で
これもまた往年のランボルギーニ
彷彿とさせる個性的なデザインで最高です。

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メーカーは高橋涼介仕様と同じくフジミ製。
やはりテールライトの色や
リヤワイパー停止位置が実車とは違い、
反射板が未塗装だったりとアラが多いです。

あとは本来サイドスカートなしの設定ですが、
エアロ装着した境目こそないもの
これはサイドスカートを装着した造形です。
A-spec TYPE-IIスタイリングキットの
フルエアロ状態になっていますね。

考証ミスではありますが、
私はフルエアロ状態の方が統一感があって
好きですから全然ありといったところ。

 

さて、ダメ出しが多いですが、
コンペティションイエローマイカの
色調はよく再現出来ていますし、
全体のフォルムは良好です。

ナンバープレートのズレは
量産品の宿命でご愛敬ですね……

こちらもまたモデラーズから同仕様で
リトラを上げた状態のものが出ています。
今からならそちらが入手しやすいはずです。

(ぶっちゃけ出来も良いはずです)

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ムーンクラフトデザインのFDのエアロは
他に同マツダスピードのR-specや
イエローハット
コンプリートリフレッシュカー用の
ものなどがあるのですが、
そちらも素晴らしいデザインです。

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特にイエローハット用のエアロは
前期型の上品さを活かしたまま
コンペティショナルな雰囲気をまとっていて
味わい深いデザインです。

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このFDのエアロの出来の良さは
252i等のマツダスピード黎明期からの
繋がりあってなのはもちろんですし、
初代RX-7(SA)、二代目RX-7(FC)の
デザイナーであった小野隆が
ムーンクラフトに移籍していたことも、
その後の一連のエアロ造形に
良い影響を与えていたのかも知れません。

ノーマルのFDの造形は素晴らしく
それゆえに個人的には安易にエアロをつけて
ボディラインを殺すのは勿体なく思います。
ですが調和のとれたエアロチューンは
メーカー純正のエボリューションモデル
といった風情で破綻がありません。

A-spec TYPE-IIはその最右翼として
記録に残すべきモデルではないでしょうか。

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