「いつも覗いて下さる方々感謝します」
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完全なる矛盾の世の中で、「なぜ?どうして?」私たちは生きているのだろうか?・・・それは、すべては神の夢であり、存在するすべては神の意志で生かされているからです。それが真実であり、真実に意味は無い。そうでなければ、いったい誰が好き好んで自分の意志で生まれ、自分の意志で生きて、自分の意志で死ぬだろうか。そんな個人と他人は存在しない。「いい加減目覚めよう!」・・・私たちは、まるで自分の意志で生きているかのように、神の意志で生かされている聖なるキャストであり、現象的対象物の身体に過ぎないのです。真実の私は、身体を通してすべてを観照する『何も無い』神の純粋な意識であり、自由、愛、平和である。それゆえ、完全なる矛盾は完全なる秩序であり、すべては『何も無い』である。
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いったい誰が好き好んで自分の意志でいやな気分になるだろうか?・・・そんな個人と他人は存在しない。なぜなら、すべては神がそれ自体を感じるために現象化した神の夢であり、存在するすべては神の意志だからです。それゆえ、身体は神の意志で生かされている現象的対象物であり、楽しい気分も悲しい気分も・・・すべては神の意志でない限り何も起こらないのです。真実の私は、身体を通してすべてを観照する『何も無い』神の純粋な意識であり、自由、愛、平和である。つまり、気分は同一化するものではなく、観照されるものに過ぎない。
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真実の私へ導く声(毎朝の気づき)で偽りの観念(幻想の個人)が破壊されたら、どうして破壊されたのかと解釈するのはやめよう。なぜなら、解釈するのは幻想の個人(エゴ)であり、それが混乱の原因だからです。それゆえ、経験に執着する「心を手放そう!」・・・真実の私は、心を観照する『何も無い』純粋な意識であり、自由、愛、平和である。
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真実の私へ導く一番の近道は、静かにしていることです。なぜなら、あなたが話すと私はいなくなるからです。あなたは現象的対象物の身体に過ぎない。それゆえ、「静かにしていなさい!」・・・すべては神の夢であり、存在するすべては神の意志である。真実の私は、身体を通してすべてを観照する『何も無い』神の純粋な意識であり、自由、愛、平和である。
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現象世界に「なぜ?どうして?」は存在しない。なぜなら、「なぜ?どうして?」と問う前に、「起こることは起こる!」からです。それが真実であり、真実に意味は無い。すべては神の夢であり、神の意志で「起こることは起こる!」・・・ただそれだけです。
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