おはようございます、落武者です。
昨日の続きになります。
初恋の彼女に振られ、乱れに乱れた生活を救ってくれたのは、次にお付き合いをしたOLさんでした。
でも・・・その付き合いは、あまりに短いものだったのです。
時は、1980年夏・・・大学3年生・・・付き合っていたOLさんに振られ、再び生活が乱れていた落武者。
アパートに帰りたくなくて、夜になるとサークルの友人を誘って、再び酒浸りな日々。
そもそもアパートに帰るのは、ひょっとしたらOLさんが訪ねて来るかもしれないと思っていたから。
当時は、スマホやLINEなんて存在せず、いや想像も出来ない時代でしたし、しかも落武者アパートには電話が無かった。
なので、次に彼女が来る日の約束は、手紙でのやり取りのみ。
それ以外は、突然の訪問。
まぁ、合鍵を渡していたので、そこそこ何とかなりましたが、空振りのまま帰った事もあったでしょう。
振られて彼女が来ないとわかっているのですから、アパートに帰る必要もありませんからね。
と申しますか、帰りたく無かった。
一人になると、そりゃぁ本当に寂しいものでしたよ( ; ; )
そして、得た結論は、帰りたく無いのなら帰らなくてもいいんじゃねw
何も学生会館に住めばいいんじゃねって^^;
当時の大学も当然ながら夜間は閉鎖されます。
門番(ガードマン)が居ましたからね。
夜間部(二部)の授業が終わると、学生は学内から退去されたのですが、学生会館だけは治外法権(°_°)
学生の自主管理との名目で、大学当局も口を挟む事ができない状態でした。
形式上は、そりゃぁ退館が原則ですが、泊まり込む学生も多く居たのです。
学生会館は、二つの棟に別れていて、一つは部室があるサークル棟。
もう一つが、コンサートが出来る大ホール&食堂等があるホール棟。
夜な夜な大ホールでは、立て看板作り(°_°)
応援団が、大学野球応援参加を呼びかける立て看板(檄文)などを、夜を徹して作っていましたよ^^;
落武者はゲバ字(わかるかなぁw)が書けたので、手伝ったりしてねw
もちろん、学生運動の残り火があったので、新左翼集団も立て看板を作ったりもしておりました。(流石に落武者はその手伝いはしませんでしたw)
という事で、OLさんと別れてからは、しばらくの間、学生会館に寝泊まりしていたのです。
昨日も書きましたが、シャワーもあるし、数日分の着替えさえ持っていれば何不自由のない生活。
食事は学生会館内の食堂か、大学本館の生協がありましたし、問題無し。(ただしお金があれば^^;)
でもね、布団もベッドも無く、部室(サークル棟)にパイプ椅子を並べて寝るので、身体は痛くなりましたけどね。
同じサークルの東子が毎日弁当を作ってくれたのもこの時期でした(^^;;
問題は、自主管理の学生会館も夜間になると冷暖房が止まる事^^;
秋が深まると寒くてねぇw
そんな時、ちょうど良い事に高校生と出会ったので、この大学内生活も終了となったのでした。
ホント阿呆な生活ばかりだったなぁ(^^)