流行について | Novel & Scenario (小説と脚本)

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少し前までテレビではやたら健康番組がありましたね。最近めっきり減った印象です。

一時は同時間帯でもかぶったりして、それじゃ視聴率は取り合いでしょう。共倒れは当然(思えば流行ると右ならえって怖いスね)

内容も似たものが続けば厭きられます。それもう見たよ、と。

そしてなんだかムリクリなのも見ました。例えば納豆。

アツアツのご飯にのせて食べるのはNGって言う。血栓を溶かす成分ナットウキナーゼが機能しなくなるから。

でも一方では納豆菌、すごく強いって言う。熱にも強いし冷凍しても死なない。保存に便利。

これどっちも本当らしいです。嘘ではない。納豆菌はすごく強いけど成分のナットウキナーゼだけは熱に弱い。

でも少しです。ほんのちょっと。水分の少ない納豆なら百度でもだいじょうぶらしく、炊き立てのご飯にのっけてもほぼ問題ない。

なのにことさら採り上げる。興味を持ってもらうため。「へぇ」と感心されなきゃダメだから。

耳目を集めるのにそんなことを繰り返せば厭きられます。見なくなる。ネタ切れだったんでしょうね。

まぁ逆張りや極端を繰り返すのはテレビに限らないけど。新聞や雑誌でも見ます。売るために仕方なくなんでしょう。

しかし健康情報などはいつの時代も大事なはずだし、それを「流行」にしちゃ急減激減する。高齢化で求められたにしてもホドがあるよー。

ともあれ一時でも流行ったものは世間にある程度興味を持たれたわけで、その「流行」に注目するとその時代や人々がちょっとわかったりします。

以前は夕方のニュースでラーメン店の特集が目立ちました。あとはスイーツ特集とか、デパ地下特集とか。平和だったんですねぇ。

ドライブレコーダーの映像を採り上げたりも多かった。ドライブレコーダーが普及しはじめで珍しかったり、そもそも映像はインパクトあるからでしょうが、一般提供の動画をまんま流して「それニュース?」と首をひねりました。お手軽ね。今もまだたまに見る。すぐザッピングかスイッチオフします。

コロナ禍になってからはそれ関連の、最近はウクライナ絡みが多く特集され、前よりだいぶニュースらしくなった感じ。

あとは激安スーパーのお得情報とか。不景気の反映なんでしょう。

ニュース以外では旅番組。コロナ禍で一時期控えられましたがすっかり復活してますね。バスとかタクシーとか原付とかの限定もの。あとはお散歩。旅行を控える時期が続いたから疑似体験で求められたんでしょう。

格付け番組もよく見ます。飲食店の人気メニュートップ10を当てるとか。一流シェフに食べさせてのジャッジ、合格不合格とか。

星いくつなんて評価は前からあちこちにありましたが、それを大衆が好んで見るとしたら権威に弱いなぁ、と感じます。一流シェフが言うなら間違いないんだろう、と簡単に信じちゃうような。

自分もついつい見ちゃうんですが、それは「そんなに言うほどうまいの?」とむしろ懐疑的です。実際食べたら自分はどうか、一流シェフと自分じゃどれほど味覚が違うの? と興味はそこにある。

でもその懐疑的、ベースに反感みたいのがあるのは、ランク付けに躊躇がないのを感じるせいです。

順位を付けたりわかりやすくするのはテレビ局としちゃ親切で、努力の結果かもしれないし、単純化はそれなりに指針になりますが、ウケるため、多くの人に見てもらうためも大きいでしょう。利己的な事情。

でも味覚なんて人それぞれだろうし、それを「一流シェフ」とか「みんなの評判」で押し切り反論をかわし、文句を言うのは野暮のように作る。

確かに自分の味覚と人気ランキングを比較し、答え合わせをするような番組はタワイナイものに見えます。

しかしまだ食してない人には優劣の先入観を植えつけかねない。さらに比較やカテゴライズは分断や対立や差別だって助長しかねない。

そこらの可能性はスルー、という雑さを感じます。「そんな深刻にならないで」

そしてそんな風に影響を軽く見るのは、謙虚さというより無責任からな気がします。「求められたものを提供してるだけでこっちを責めないでよ。なんだかんだ言っても皆さんこういうのがお好きでしょう?」

でも影響大のものにはそれなりに責任があります。メディアにしろ人にしろ。「流行りに乗っただけ」じゃ済まない。結果加担するし、一から流行を作ることもある。それが世間の空気を作り、今後も左右しかねない。後世から見た時もし今がひどい時代なら、それは影響大だったものたちの責任です。なにやってたの? 何もしなかったの? と問われても仕方ない。

さて流行です。極端にもてはやされれば厭きられ廃れるのは自然で、次に来るのは前の反動だったりします。逆に振れる。

定期的に、というのもありますね。むかし流行ったものが今また注目されたり。古い世代には懐かしいだけのものが若い世代には新鮮に映る。

商売目的もかなり多いでしょう。今年の流行色とか衣服のデザインとか。「みんなが好きなものを着ればいい」じゃ売れるものがバラバラです。そして一度買ったものを着古す。それじゃ業界は困っちゃう。なので毎年流行を勝手にどっかで決めて、それを買うように仕向ける。メディアが手を組み洗脳する。新陳代謝でみんなが潤おうとする(陰謀論みたい)

無論仕掛けても反応するかは相手次第。流行が生まれるのはなんらか求める気分が大勢にあるからでしょう。フラットな毎日じゃつまらない。ちょっとした変化が欲しい。流行りに乗って今を生きたい。

でもそんな願望は平時だからで、パンデミックや戦争があればそれどころじゃなくなりますね。意図的に何か流行らせようとしても思い通りにはならないでしょう。

数年前に音声のSNS、クラブハウスというの「来る」と言われました。文字、画像、動画と続いて次は音声、という話だったんですが、あまりパッとしませんでしたね。

しないだろうと自分は思ってました。長年ラジオを聞いてたからです。プロのしゃべりの巧みさを聞いていて、素人のしゃべりがそれほどウケるかな、と。たまのイベントならいいけどしょっちゅうは聞かないんじゃ?

まぁ予想が当たったとしてもたまたまです。いま言うのは後出しだし。後出しじゃんけん。

次に何が来るかは基本読めないと思ってます。多くの要素が絡み合い影響し合って予想は難しい。

そして実はそんなに興味なかったりします。

例えば小説で次に流行る物語がわかっても、自分が書けるかはわかりません。今よく読まれてるジャンルを書こうと思えば書けるかと言うと、自分は書けない。書ける人はどこかでそのジャンルが好きなんでしょう。無理がないんだと思います。

無理して書いたものは少し経つと「無理したな」と思うし後悔するし、結局お蔵にしちゃいます。無理せず書いたものでも時間が経つといろいろ目につき、でもそれはまだ書きたくて書いたものだから力不足も仕方ないと思えるけど、スタートに無理があったものは寛大になれません。封印したくなる。なので書きたいことを書くしかないんだろうな、と思います。

でもそれじゃ売れませんね。世間に合わす気ないんだから。たまたま流行とマッチする時が来るのか来ないのか。一生ないかもしれないし死後だってないかもしれない。でもまぁそれもしょうがないでしょう。せいぜい自分に恥じないものを書いて、自己満足でもいい、ブレるよりいいかな、と思います。

 

 

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