3月23日の希望が有る | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

時計が0時を回り、3月23日になった。

3年前のこの日、私は会社を設立した。

株式会社ペイフォワードである。

 

このペイフォワードとは、良いことを未来につないでいくという意味であり、自分なりに使命感や責任感を果たす場を持つために、この会社を設立した。

 

この3年間で、才能のない私が経営者では、特にこの会社が大きくなることもないが、何とか倒産することもなくこの日を迎えた。

 

同時に、この日は12年前の父の命日でもある。

震災から2週間もたたない12年前のこの日、父は静岡県の修善寺病院で亡くなった。

鎌倉幕府2代将軍の源頼朝の終焉の地の病院で亡くなった。

 

私は小さい頃から何をやらせてもまともにできることもなく、大学の教員であった父から見たら、他の優秀な姉妹たちとは異なり、なんとも謎で悩みの存在だった。

勉強をしないのはもちろんのこと、人とのコミニケーションをうまく取れず、その人の中には家族も含まれている。

 

大学に入る前に2年間もふらふらとしていて、一体全体、どんな人生を送るつもりなのかと父は思ったであろう。

いわゆるどうしようもない奴である。

これは謙遜ではない。

 

そんな私が教員になっても、当然にもうまくできることがなく、教員仲間とも仲良くなれることもなく、何よりも生徒と良い関係を築くことができなかった。

自他共に認めるどうしようもない教員だった。

だから35歳の時に教員をやめようと思って、父に泣き付きにに行った。

 

そんな父が私に話してくれた。

 

勉強や学問は何のためにするのか。

それは人間が理性を身に付けるためである。

もし、すべての人が、多様な分野の勉強や学問を一生懸命にすれば、やがては、世界中の人が理性を身に付け、世界の様々な不条理がなくなっていく。

そのために、教育というものがあるんだ。

 

そんな話を聞いてから、もう24年。

相変わらずひどい人間だし、利己主義で人の気持ちはわからない。

そもそも優しくないし、相変わらず頭が悪い。

 

むろんコミニケーションがうまく取れない人間だけど、ずうずうしくも教育の世界の片隅に置いてもらっている。

もちろん、本職の先生から見たら単なる教員失敗者だけど、それでも教育を真面目にやっていれば、もしかしたら良い世界が作れるんじゃないかって思っている。

 

そして今はクリティカルシンキングを1人でも多くの若い人に伝えることが、自分なりの使命と責任だと思いながら生きている。

 

でも学校に32年間もいながら、何もできなかった私には、残りの時間が32年間もあるわけではなく、もしかしたらあと1年2年かもしれない。

そしたら若い人にバトンタッチをしたいと思って、そんな気持ちで会社の名前をペイフォワードにした。

 

長い長い歴史から見たら、人生などは一瞬に過ぎないし、1人の人間のできることなんてほんのわずかでしかない。

ましてや私のような酷い人間であり、何の才能もない人間ができる事はものすごくわずかだ。

 

だけど、残り少ないかもしれない人生の中でほんのちょっとだけ頑張ってみようと思っている。

そしたら、あの世に行って父に再会したときに、少しはまともになったなと言ってもらえるかもしれない。

 

3月23日は、世の中の人にとっては1年の中のある日に過ぎないかもしれないが、私にとっては、毎年節目の日だ。

 

そんな大切な日も小論文受験の個別指導を通じて、クリティカルシンキングを教え、少しでも未来に良いものがつながるようにしていきたい。

大学に合格するだけじゃなくて、未来社会の中で生きていく大切なものを伝えていきたいのだ。

 

そんなことを頑張っていたら、きっと若い人たちが仲間になってくれて、良いものを未来につないでいってくれると信じている。

 

だからいつも、辛くなったらこうしている。

一生懸命空を見上げて、そこに龍が泳いでないか探して、もしそこに龍を見つけたら、きっと「希望が有る」。

だからこの写真は、いつも私のスマホの待ち受け画面になっている。

何よりも大切にしている景色だ。

いつかこんな景色が見ることができるだろうか、、、

 

そんなことを「希望が有る」人に伝えたい。