失った賜物 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年 9月24日


今頃気が付くのは遅すぎるのであるが、昔持っていた賜物を次々失っている事に気が付く。

最大は人を憎む事についてである。

私はイエス・キリストに救われた瞬間、人を憎む性質はなくなっていた。

それ迄、この性質がどんなに自分を不幸にしていたか全く気が付いていなかった。

幼い頃からの教育はむしろ憎む事の方であった様に思う。

例えば、

「努力して今に誰々を見返してやれ」

とか、

「笑われる様になるな。笑ってやる様になれ。」

…とかである。

この性質が取り去られてから、私は本来の性質に戻ったのだと思っていた。

だから何の努力もしないでも、もう人を憎む事は無いだろうと…。

何十年の間には色々な出来事があり、許し難い事も何度もあった。

今思うのであるが、その時努力して許すべきであった。

大阪府警とは高裁迄争った事もあり、法律を作った国を相手ではあるが、国も府警も許さないと1年以上も争った。

しかしその結果、人を憎まないと云う性質を段々失った様に思う。

その後は、とても昔の様な寛容力はなくなった。

本当に惜しい賜物を失った。

しかし神様は必要な時、再度与える事が出来ると信じている。


次に物事を恐れると云う性質である。

救われた瞬間、この性質も無くなっていた。

もう何も怖いものは無かった。

どんな危険な処も平気であったし、道路を歩いても、又、車を運転していても全く平安そのものであった。

これも永い間には色々な事があり、賜物としての認識も無かったので、感謝も努力もしなかった。


こんな事もあった。

東京銀座の表通りでひと騒ぎ起こした。

ビルの立看板の取り付け工事が終わったので検査して下さいとの事で、私が看板の天辺へ登った。

看板は縦10メートル位で天辺は畳一畳の広さ、平らで捉まる物は何も無かった。

私はビルの窓枠の5センチ位の出っ張りを伝ってそこへ行ったのであるが、看板の天辺に座って足を道路側へ出し、ブラブラさせながら下を眺めていた。

電車や車の屋根はプラモデルの様に小さく見えた。

そのうち、

(ここで一寸でも滑って落ちたら即死だな)

と思っていると恐怖感が沸いて来た。

兎に角そこに居たく無かった。

それで屋上からつり梯子を下ろして貰い昇りかけたが、恐怖心でとても昇れない。

仕方なくロープを下ろして貰い、体にくくって元来た窓枠を伝い無事帰って来た。

多くの見物人もあった様だが新聞種には為らなかった。

後で考えると、行く時と帰る時の精神状態は大違いである。

それで一つの事を悟った。

自分にはもう恐れと云う性質が無くても、それを再来させる状態にするとやって来る事がある。

ペテロの話が少し判った。

彼は水の上を歩いていたのであるが、「波を見て怖くなり…」と書いてある。

もし沈んだら大変だと云う思いを持って水を見たのではないか。

水の上を歩けば当然水は見える筈である。

恐怖を持って見たからだと思っている。

怖れが無くなると、世の中が本当に楽しくなった。

この世ばかりか、霊に対しても何も恐ろしくなくなった。

私の住居の近くに染井墓地と云う大きな墓地があり、真夜中に一人で涼みに行った。

夏の夜寝苦しい時には本当に良い涼み場所であった。広いし、風は少しあるし、誰もいないし。

あとで思ったのであるが、都内にこんな良い涼み場所があるのに、霊など存在しないと豪語している無神論者もふくめ、誰も来ないのはどうしてだろうか…。

深夜誰にも逢った事はない。


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