早春というやや甘酸っぱい野山
(「響焔」平成30年5月号)
車の免許を取るための教習で「クランク」というのがある。直角の狭いカーブが二つ交互に繋がっている、あの悩ましい道路形態だ。あれをクリアするのに苦労したっけ。
この句を読んだとき、そのクランクを思い出した。真っ直ぐに行って直角に曲がったあとの道が見えなくなって、三本目の道にふっと出た…。そんな感じ。
どこかに何かの言葉が隠されている。でもその言葉は不要だから削られた。その言葉を出したとたん句が緩む。
早春の野山。黄色、桃色、うすみどりなどの咲き出した花の香りや色を「やや」甘酸っぱいと言っている。早春だから甘酸っぱくなりかけなのだ。
繊細なことを易しい言葉で詠いながら、どこか迷宮に入りこんだような気分にさせる。早春のラビリンス。
今月号では
ネット句会の名誉主宰の言葉として
見たものを自分の中でどう変身させるか、それが詩とそうでないものの境目です。
と、ありました
見たものを何も変身させなければ
それは報告文です
俳句にするのであれば
何かしらそこに詩情をのせる工夫をしなければ…
創作と呼ばれる全てのものは
この工夫が大切
クリエイトする人たちは
必ずやっている作業です
それは意識しないとできません
「自分は俳句をクリエイトしているのだ」
いつもどこかにこの意識を持ちたいと思います
無意識に意識できると
いい句が詠めるようにきっとなる!
気がする!
「定型のくびきを脱する」ことによって、理屈にならない、当たり前にならない句になったのでしょう。
「俳句という形にあてはめずに自由に詠って、それが俳句になっているのが一番いい」と作者(山崎聰名誉主宰)からは教わりました。まさにそんな句だと思います。
結社も人の集団なので、どこも何かしらあるのでしょうね。
私はどこにいても、付かず離れずの距離感が好きなので、俳句活動に関しては今のところ気持ちよくやれています。
響焔の山崎名誉主宰も、主宰に右にならえではいけないと言っていました。色々なタイプの俳句があるのが結社誌を見る楽しみでもあります。
今日はお天気も良さそう。上野の桜、楽しんできてくださいね♬
結社は、主宰や結社のネームバリューではなく、どういうことを言っているのか、賛同できるものか、を結社誌で確認して入ると自分の句が表現できると思います。
句会もあまり大人数が集まると、勉強の場としてはどうなのでしょう。
これまでまほろばさんのコメントへの返信、都度書いていたのですがどうやら保留のままになっていたようです。
遅ればせながら公開いたしました。すみません。
さてお誘いの件ですが、事情があり、しばらくは今の結社以外に参加することができません。いつかは…とは考えているのですが、今はちょっとタイミングが合いません。
様々な句に出会う機会は積極的にとりたいものですね。結社誌の他に現代俳句協会誌で今は学んでいます。
こうして俳句に携わっていたら、いつかご一緒できることがあるかもしれませんね。その節はどうぞよろしくお願いします♪