家の近くに心の中で何分おばさんと呼んでいるおばさんがいる。

小中学生の登校時間にその家の前を通ると挨拶と同時に分刻みで何分、何分と伝えているので通る度に嫌になってしまう。

そこのおうちはお花がとても綺麗で
お花もイキイキしていて
多分優しい人なのだと思うのだが
挨拶をしなければという空気感と通りすぎるまでききつづけることになる何分という言葉が朝の静かな時間を消す。

小学生はご近所の人にただ挨拶をするという感じでそれほど気にとめている人もいなさそうだ。自分が小学生のときにそこのおばさんのおうちの前を通ったとしたらどうだろうと想像してみた。その時のわたしだったらきっと大きな声で挨拶をして時間を聞いてあぁそうかで終わっただろうと思う。そして、次の瞬間にはその事すら忘れていたことだろう。

今通る度に苦痛に感じるのはなぜだろう。
分刻みに伝えられる時間の中を歩く子どもたちを真っ直ぐとみられないのはなぜだろう。

いつから時間イコールプレッシャーになったのだろうか。

出来るだけ太陽と共に生きたいと思う