どもども。
キンジです。
物事には、
始まりがあり、プロセス(経過)があり、結果(終わり)が存在します。
そのそれぞれには、
勿論、
内容ってものが存在している事でしょうが、
こと、
始まりと結果(終わり)だけにフォーカスを当ててしまうと、
そこには、
内容ってものが、存在しないことには、
なってくるものではある事でしょう・・・・・・・。
即ち、
肩書きとか、数字のデータだけである状態であれば、
そこには、
内容ってものは、
本来、存在しないものではある事でしょう。
・・・・・・が、
我々の、習性としては、
肩書きとか、数字のデータだけの状態では、
物事の判断が出来ないが故に、
そこには、
自動的にでもあり、ご都合主義的に、
内容ってものが、
その各々の判断でもあり、
習慣によって、出来上がって行くものではあるのです・・・・・・・・!!
即ち、
だからが故に、
肩書きとか、数字のデータだけを、
パンッと表示されただけの情報には、
注意が必要となるものでもあり・・・・・・・、
そこには、
仕掛け側にとって、
都合の良い、
その肩書きとか、数字のデータを補完してしまう内容ってものが、
出来上がって行く事を、
指し表しているものでもあるのですよ・・・・・・・。
だからが故に、
その肩書きとか、数字の、
根拠となりうる内容ってものが、
大切な要素になるものでもあり、
またそもそもとして、
たとえ、
その肩書きとか、数字に、
キチンと、
深みが存在する、内容ってものが、
そもそもとして、
存在していたとしても・・・・・・、
その内容が、難解過ぎる場合においては、
その肩書きとか、数字の、
真偽ってものを、
自分自身では、推し量る事が、
不可能な状態には、なってしまうもんでもあり得るのですよ・・・・・・・。
だからこそ、
その内容こそを、
便宜的に、ご都合的に、
簡略化出来得る必要性があるとも言えますし・・・・・・・、
逆に、
簡略化され過ぎた内容ってものには、
権威性ってものが、薄れて行ってしまうものでもあるから、
簡略化した後に、
その各々が、
出来得る範囲内において、
複雑化する必要性も、出てくるものではあります。
その複雑化ってものは、
勿論、
自分自身の、手応えとか、
肌感覚とか、
もっと言えば、
充実感とか、楽しさってものが、
何よりも、大切な要素とはなり得るでしょうから・・・・・・・・、
結局は、
自分自身の、使い慣れた言語で、
複雑化して行くことを、推奨する次第ではありますね。
それによって、
出来上がった、内容ってものは、
勿論、
元々の、
肩書きでもあり、数字ってものを、
補完する為であったのにも関わらずにも、
その内容が、複雑化して行くにしたがって、
その元々の、
肩書きでもあり、数字自体を、
凌駕することもまた、
あり得るものとなって行くものではあるのです・・・・・・・!!
即ち、
始まりの反対は、結果でもあり、
プロセスの反対は、スケジュールとか、予定ってものには、
なってくるものなのでしょう。
それらの両方の軸を、
押さえることによって、
そこには、
内容ってものが、生まれるものではありますが・・・・・・、
その内容ってものを、
自分自身の使い慣れた言語によって、
再構築し、複雑化を試みることによって、
その結果や、予定ってものが、
変化して行くってものだ・・・・・・・ということなのです。
勿論、
その複雑性ってものが、
足らない場合においては、
その結果や、予定ってものには、
元々存在していたであろう、
マニュアル的な要素が、当てはまって行くだろうし、
それはそれで、
助かる側面はありつつも、
面倒くさい側面もありつつも、
それはそれで、
必要ではあるけれども、
それ以上を展開しない事には、
「貧乏暇無し。」状態を、凌駕出来ないって事ではあるのです。
即ち、
そのマニュアルを押さえながらも、
自分自身でこそ、
自分自身ならではの、内容ってものを、
複雑化して行く事が、
肝要にはなってきます。
また、
複雑化とは言いますが・・・・・・、
複雑化ってものは、
結局は、
構造を増やして行って、
展開して行くって事でもあり、
ただ単に、
「分かり難くする。」って事では無いのでしょうし、
「分かり難い事。」には、
「よく分からない権威性。」が、
出来上がって行くだけではある事でしょう・・・・・・・。
だからこそ、
ただ単に、
「分かり難くする。」んじゃあ無くて、
構造化して、
そもそもとして、
見えない領域を、作り出して行く事もまた、
大事な事とはなるものなのでしょう・・・・・・!!
即ち、
構造化して、その構造を増やすって事には、
当てはまってくるのでしょうが・・・・・・・、
その展開力ってものもまた、
何かと、問われるものではあるのでしょうね。
それによって、
複雑化した内容ってものには、
そもそもとして、
前提としていた、
肩書きでもあり、結果でもあり、予定ってものさえにも、
変化が訪れるのが、常ともなり・・・・・・、
自分でこそ、自分ならではの内容だからこその、
自分でこそ、自分ならではの、
肩書きでもあり、結果でもあり、予定ってものが、
必然的に、出来上がって行くものとはなるのです・・・・・・!!
まぁ、だからとは言っても、
世間で言われる、
肩書きでもあり、結果でもあり、予定ってものから、
遠ざかり過ぎて、
自分自身、一人だけの思いに、
暴走してしまうと、
その構造化の発展でもあり、展開力ってものに、
陰りが見えてきてしまうものともなるでしょうから・・・・・・・、
そことは、
付かず離れずの距離感を、
保つ必要性がありますし、
それを指して、
常に、
その、世間一般の、
肩書きでもあり、結果でもあり、予定ってものを、
カスタマイズし続ける、
展開力ってものを、行使し続ける事が、
大事にはなるのかと。
それは結局は、
その元々の、
肩書きでもあり、結果でもあり、予定ってものが、
見えている方が、逆に、
都合も良くなるものでもあり、
その期待される結果も、
見えやすくなる側面はありますが・・・・・・・、
結局は、
そこから、変化・進化・もしくは、退化するものでもあり、
その結果から、近しくはなりますが、
また、別次元の結果を、
追求して行く事には、
なってくるものなのでしょう・・・・・・・!!
また、
その結果に、
満足では無く、納得が存在すれば、
それはそれで、
人々と調和しながら、
自分でこそ、自分ならではの結果を出したって事にもなり、
少なくとも、
人々の中での、自分自身の居場所ってものを、
確保出来たって事にもなり、
「より良く、生きやすくなる。」って事を、
指し表す事にもなるのです。
その中でまた、
世間での流行となっているような、
肩書きでもあり、結果でもあり、予定ってものを、
便宜的に、
自分用にカスタマイズする事によって、
自分用の結果ってものを、
創造して行く楽しみがあるって事なのですな。
それは、充実して行えるものだろうし、
勿論、
お金稼ぎのサイクルってものもまた、
そこには、含まれてくるのが、
当たり前なものとはなるのです・・・・・・・!!
まぁ、勿論、
お金が儲かる、儲からないってもの以上に、
「居場所。」ってものは、
重要な要素とはなるのでしょうし、
お金だけで良ければ、
その為に妥協すれば、
健康体であれば、
無数に、その方法論自体は、
世の中に既に、
溢れかえっているものではあるでしょうしね。
自分自身の内容ってものに、
拘る事によって、
元々の、
マニュアル的な結果でもあり、
内容ってものが、存在していたとしても、
自分自身ならでは、自分自身でこその結果ってものが、
出来上がる事にもなりますし、
それが為されなかったとしても、
軌道修正する事によって、
元々の、マニュアル的な結果を、
追い求める事自体は、
可能にはなってくるものではありますね。
それをそのまんま、
追い求めるのもまた良いのだろうし、
また別の、
マニュアル的な結果を、追い求め始めるのも、
また良いのでしょう。
・・・・・・が、
願わくば、
そのプロセス(過程)において、
自分自身の居場所を確保して行くって事を、
推奨するものでもあり、
それによって出来上がる、
自分自身でこそ、自分自身ならではの、
肩書きでもあり、結果でもあり、予定ってものこそが、
人生の宝とは、なって行くものなのでしょう・・・・・・!!
まぁ、
それは勿論、
自分一人では達成出来ないものとはなるでしょうし、
お金やビジネスは勿論、
付き物とはなる事でしょうし、
他人から見た、
ご都合主義的な意見もまた、
必須にはなってくるものなのでしょうね。
また、
ご都合主義とは言いますが・・・・・・・、
ご都合の為に必要となるのが、
実力でもあり、
実力の為に必要となるのもまた、
ご都合となり、
ただ単に、
トップダウン的な、
ご都合主義だけだと、
ご都合主義自体が、
中途半端には、ならざるを得ないものとなるでしょうから・・・・・・・・、
その為にこそ、
日々、磨き続ける、
軸でもあり、実力ってものが、
問われるものとはなるのでしょうね。
何にでも、
噛みつくような・・・・・・・、
狂犬のようなご都合は、
放っておいて、
軸に集中して、実力を伸ばしておく事もまた、
自分自身でもあり、
その助けとなるようなご都合の為には、
必須にはなってくるものなのでしょうね・・・・・・(^^)
それらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・。
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