どもども。
キンジです。
「内面をデザインする。」とは言っても、
そもそもとして、
内面ってものは、目に見えないからこそ、
内面というものでもありますが・・・・・・・、
まぁ、だからとは言っても、
人間誰しもが、
大きな括りで言えば、
同じような概念でもあり、同じようなシチュエーションにおいて、
大体で言えば、
同じような感情を抱くものではある事でしょう。
けれども、
それを細分化して、
ディティールを細かく表現して行くことによって、
その人その人による、
所謂、
「経験の違い。」によって、
もしかしたら、
同じような概念でもあり、同じようなシチュエーションにおいても、
真逆の感情を、抱いたり、
真逆の反応をする事も、
勿論、
ある事ではありますね・・・・・・・??
即ち、
そのような、
ある意味、
細かい部分でもあり、
細分化された領域を、優先してフォーカスした場合において、
同じ同一人物であれば、
ちゃんと、意識的に、
行動を行っていない場合において、
勢いだけで動いてしまうような環境においては、
毎回、
同じ感情を抱いて、同じ反応を、
繰り返してしまうものではある事でしょう。
それを指して、
所謂、
心理的な反応とかいうのではあるのでしょうし、
勿論、
それを逆に、
大雑把な、大枠だけの概念でもあり、
領域だけにフォーカスを当てた場合においては、
そこで予想される感情の動きでもあり、
行動のパターンってものは、
それこそ、
多様化して行くものではある事なのでしょう・・・・・・・・!!
即ち、
大枠だけの概念でもあり、
大枠だけの領域を持ってしてでは、
そこに関わる人々の、
感情の動きでもあり、行動のパターン性を、
読み切る事が、不可能だという事ですし、
逆に、
細分化された領域を、中心的に見たとしても、
そこで予想出来得るのは、
勝手知ったる自分自身の、
感情の動きでもあり、行動パターンと、
その自分自身と、近しい関係性の人の、
感情の動きと、行動パターンに過ぎないものとなるでしょうし・・・・・・・、
もっと突き詰めて言えば、
自分自身だけと言う認識を、
持っていても良いくらいではある事でしょうね。
要するに、
たとえ、
自分自身と近しい関係性の人であったとしても、
「勝手に決めつけて行かない。」って事が、
ここでは重要となるだろうし・・・・・、
もっと言えば、
たとえ、
近しい関係性の人であったとしても、
そこに、
自分自身で、決断する余地ってものを、
残しておく事が、
自分が逆の場合もそうでしょうし、
その近しい関係性の人にとっても、
自己成長して行く為には、
必要にはなってくるものなのです・・・・・・・!!
だからこそ、
内面ってものを、デザインする必要性があるとも言えますし、
そのデザインってものは、
勿論、
自分自身、個人の領域として、
デザインする事が、肝要ではあるのです。
まぁ、
そこに、
いきなり、
最近の流行ど〜たらを取り入れて、
今までの、
その近しい関係性の人にとって、
「らしく無いデザイン。」をしてしまうと、
もしかしたら、
その近しい関係性の人は、
「愛想を尽かす。」までは行かないかも知れませんが、
「今回は、やめておくわ。」ってくらいは、
言うかも知れませんし、
それはそれで、
今までの関係性次第とは、なってくるものなのでしょうね・・・・・・・。
けれども、
そのような、
ある種の、
中間距離でもあり、
中庸で接する事によって、
即ち、
他人軸では無く、自分軸として、
生きて行く実感を得る事が、可能になるのだろうし、
たとえ、
個人から決めたとしても、
逆に、
個人とか、仲間内だけでおわらさないで、
仲間を広く、集めて行く為の覚悟ってものも、
定まって行く事には、なってくるでしょう・・・・・・!!
要するに、
個人から描くからこそ、
そこには、
身軽さってものが、出来上がるものでもあり・・・・・・、
まぁ、
だからとは言っても、
本当の意味で、
近しい関係性の人であり、
内面的な繋がりでもあり、
自分自身と、近しいバランス感覚でもあり、
自分自身と、近しい価値観を、
保持している相手であれば、
今までの積み重ねもあるでしょうから、
決して、
「いきなり裏切る。」ような未来には、
ならないものではあるでしょうし・・・・・・・・、
そんな未来が待ち受けている関係性ってものは、
そもそもとして、
その、
今までの積み重ね自体に、
その前兆ってものを、
ありありと、読み取る事が、可能ではある事でしょう・・・・・・・!!
・・・・・・・・が、
それ自体も結局は、
「内面をデザインする。」
即ち、
表現してみて初めて、
理解可能になるものでもあり、
もっと言えば、
「内面をデザインする。」って事自体を、
定期的に行って行く事によって、
自分自身の神でもあり、
自分自身のビジョンと、現実との、
折り合いを付けていくって事に、なってくるものなのでしょう。
そこに必要となるのは、
満足では無く、納得とはなるものでしょうし、
そういうスタンスで無い場合において、
満足ばかりを、追求する場合においては、
そこには、
「自分自身の傲慢さ。」ってものが、
隠れているものとは、
なってしまうのでしょうね・・・・・・・・・。
要するに、
満足=神の領域でもあり、
一時的な満足ってものを、
しては行けないとまでは言いませんが・・・・・・・、
満足を得れば、
その次に待っているのは、
その満足を返上する為の、納得を用意する事、
即ち、
納得を引き出すって事と、なるのです。
納得を得る事が出来れば、
人間、何時迄も、
満足していない事でしょうし、
その満足している状態ってものが、
何かと、
「危険を呼ぶもの。」でもあるのですし、
そもそもとして、
兵法的に言えば、
攻め時と、なってしまうものでもあり、
そのようなシチュエーションは、
歴史的に観ても、
なんぼでも出てくるものではある事でしょう・・・・・・・。
まぁ、
だからとは言っても、
歴史に存在するからとは言っても、
その歴史自体が、
そもそもとして、
「現代でもあり、未来の我々にとって、有用性があるかどうか??」
って問題は、
いささか、疑問も残るものでもありますし、
また、
歴史そのものが、
そもそもとして、
それを描いた人々でもあり、
その当時の権力者達にとって、
都合が良い解釈と、されているのが、
当たり前ではあるでしょうから、
我々は、我々にとって、
都合が良い解釈を、用意していく必要性ってものも、
存在するのでしょう。
ま、その為に、
歴史的な解釈でもあり、
それを出汁とした、
ストーリーでもあり、世界観でもあり、ゲーム性・・・・・・・・、
即ち、
エンタメ的な要素を活用して、
自分でこそ、自分ならではのご都合を、
描いて行くって事もまた、
肝要にはなってくるものなのでしょう・・・・・・・・!!
要するに、
「内面をデザインする。」とは言っても、
そこには、
やっぱり、
大枠的な概念でもあり、カンプ案のようなものが、
存在していた方が、
何かと、楽にもなるでしょうし、
そもそもとして、
それが有名であればある程、
人と共有しやすくなる・・・・・・って事ではありますが、
それを自分用とする場合においては、
好き勝手に、
細部のディティールを、
描いてしまう方が、良いものとなるし、
共有するのは、
そもそもとして、
その大枠的な要素からで良いけど、
その好き勝手に、ディティールを描いて行く事が出来た、
自分用を、気に入ってくれた人とは、
何かと、「馬が合う。」のもまた、
当たり前にはなるでしょうが・・・・・・・・・、
これまたそもそもとして、
それも突き詰めていけば、
その、
「馬が合う。」人用の、
「個人的な、内面のデザイン。」ってものは、
自分自身用のデザインとの違いってものを、
ある意味、
発掘してしまうもんでもあり・・・・・・・、
中々、悩ましい問題でありつつも、
自分軸に、立ち返らざるを得ない問題とは、
なってくるものなのでしょうね・・・・・・・。
まぁ、だからとは言っても、
それはある種の、
「贅沢な悩み。」でもあり、
中間距離でもあり、中庸に立ち返れば、
また1から、
加点方式で、
人との関係性を、構築していけるものとはなるのでしょうし、
加点方式でもあり、
100点を狙わないで、
平均点以上を踏まえるからこそ、
精神的にも、安定してられるって事でも、
あるのでしょうね。
100点狙いであれば、
基本的には、
減点方式になってしまい、
マイナスばかりに、気を煩わせる事には、
なってしまうものではあるでしょうから。
まぁ、
そもそもとして、
その数字で表現している100点ってものは、
現実的に言えば、
数字では無く、
何か、具体的な物事として、
表現されるものでもあり・・・・・・・、
そもそもとして、
自分自身の100点を、
抽象化ならともかく・・・・・・、
具体化出来る人なんて、
そ〜そ〜いませんでしょうし、
具体的なら、具体的で、
何か、危うさだけが、
悪目立ちするものとは、なってしまう事でしょう・・・・・・・(^^;)
それらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。
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