内面をデザインする。 | キンジの自分軸哲学

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~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

CJによるPixabayからの画像

 

 

 

どもども。

 

キンジです。

 

 

 

「内面をデザインする。」とは言っても、

そもそもとして、

 

内面ってものは、目に見えないからこそ、

内面というものでもありますが・・・・・・・、

 

まぁ、だからとは言っても、

 

人間誰しもが、

 

大きな括りで言えば、

 

同じような概念でもあり、同じようなシチュエーションにおいて、

大体で言えば、

同じような感情を抱くものではある事でしょう。

 

 

 

 

けれども、

 

それを細分化して、

 

ディティールを細かく表現して行くことによって、

 

その人その人による、

所謂、

 

「経験の違い。」によって、

もしかしたら、

 

同じような概念でもあり、同じようなシチュエーションにおいても、

 

真逆の感情を、抱いたり、

真逆の反応をする事も、

 

勿論、

ある事ではありますね・・・・・・・??

 

 

 

即ち、

そのような、

ある意味、

 

細かい部分でもあり、

 

細分化された領域を、優先してフォーカスした場合において、

 

同じ同一人物であれば、

 

ちゃんと、意識的に、

行動を行っていない場合において、

 

勢いだけで動いてしまうような環境においては、

毎回、

 

同じ感情を抱いて、同じ反応を、

繰り返してしまうものではある事でしょう。

 

 

 

それを指して、

所謂、

 

心理的な反応とかいうのではあるのでしょうし、

 

勿論、

それを逆に、

 

大雑把な、大枠だけの概念でもあり、

領域だけにフォーカスを当てた場合においては、

 

そこで予想される感情の動きでもあり、

行動のパターンってものは、

 

それこそ、

 

多様化して行くものではある事なのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

 

 

即ち、

 

大枠だけの概念でもあり、

大枠だけの領域を持ってしてでは、

 

そこに関わる人々の、

 

感情の動きでもあり、行動のパターン性を、

読み切る事が、不可能だという事ですし、

 

逆に、

 

細分化された領域を、中心的に見たとしても、

 

そこで予想出来得るのは、

 

勝手知ったる自分自身の、

感情の動きでもあり、行動パターンと、

 

その自分自身と、近しい関係性の人の、

感情の動きと、行動パターンに過ぎないものとなるでしょうし・・・・・・・、

 

もっと突き詰めて言えば、

 

自分自身だけと言う認識を、

持っていても良いくらいではある事でしょうね。

 

 

 

 

要するに、

たとえ、

 

自分自身と近しい関係性の人であったとしても、

 

「勝手に決めつけて行かない。」って事が、

ここでは重要となるだろうし・・・・・、

 

もっと言えば、

たとえ、

 

近しい関係性の人であったとしても、

そこに、

 

自分自身で、決断する余地ってものを、

残しておく事が、

 

自分が逆の場合もそうでしょうし、

 

その近しい関係性の人にとっても、

 

自己成長して行く為には、

必要にはなってくるものなのです・・・・・・・!!

 

 

 

 

だからこそ、

 

内面ってものを、デザインする必要性があるとも言えますし、

 

そのデザインってものは、

勿論、

 

自分自身、個人の領域として、

デザインする事が、肝要ではあるのです。

 

 

 

 

まぁ、

そこに、

いきなり、

 

最近の流行ど〜たらを取り入れて、

 

今までの、

 

その近しい関係性の人にとって、

「らしく無いデザイン。」をしてしまうと、

 

もしかしたら、

 

その近しい関係性の人は、

「愛想を尽かす。」までは行かないかも知れませんが、

 

「今回は、やめておくわ。」ってくらいは、

言うかも知れませんし、

 

それはそれで、

 

今までの関係性次第とは、なってくるものなのでしょうね・・・・・・・。

 

 

 

 

けれども、

 

そのような、

ある種の、

 

中間距離でもあり、

中庸で接する事によって、

即ち、

 

他人軸では無く、自分軸として、

生きて行く実感を得る事が、可能になるのだろうし、

 

たとえ、

 

個人から決めたとしても、

 

逆に、

 

個人とか、仲間内だけでおわらさないで、

仲間を広く、集めて行く為の覚悟ってものも、

 

定まって行く事には、なってくるでしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

 

要するに、

 

個人から描くからこそ、

そこには、

 

身軽さってものが、出来上がるものでもあり・・・・・・、

 

まぁ、

だからとは言っても、

 

本当の意味で、

 

近しい関係性の人であり、

 

内面的な繋がりでもあり、

 

自分自身と、近しいバランス感覚でもあり、

 

自分自身と、近しい価値観を、

保持している相手であれば、

 

今までの積み重ねもあるでしょうから、

 

決して、

 

「いきなり裏切る。」ような未来には、

ならないものではあるでしょうし・・・・・・・・、

 

そんな未来が待ち受けている関係性ってものは、

そもそもとして、

 

その、

 

今までの積み重ね自体に、

 

その前兆ってものを、

ありありと、読み取る事が、可能ではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

 

・・・・・・・・が、

それ自体も結局は、

 

「内面をデザインする。」

即ち、

 

表現してみて初めて、

理解可能になるものでもあり、

 

もっと言えば、

 

「内面をデザインする。」って事自体を、

定期的に行って行く事によって、

 

自分自身の神でもあり、

 

自分自身のビジョンと、現実との、

折り合いを付けていくって事に、なってくるものなのでしょう。

 

 

 

 

そこに必要となるのは、

 

満足では無く、納得とはなるものでしょうし、

 

そういうスタンスで無い場合において、

 

満足ばかりを、追求する場合においては、

そこには、

 

「自分自身の傲慢さ。」ってものが、

隠れているものとは、

なってしまうのでしょうね・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

要するに、

 

満足=神の領域でもあり、

 

一時的な満足ってものを、

しては行けないとまでは言いませんが・・・・・・・、

 

満足を得れば、

 

その次に待っているのは、

 

その満足を返上する為の、納得を用意する事、

即ち、

 

納得を引き出すって事と、なるのです。

 

 

 

 

 

納得を得る事が出来れば、

 

人間、何時迄も、

満足していない事でしょうし、

 

その満足している状態ってものが、

何かと、

 

「危険を呼ぶもの。」でもあるのですし、

 

そもそもとして、

 

兵法的に言えば、

 

攻め時と、なってしまうものでもあり、

 

そのようなシチュエーションは、

 

歴史的に観ても、

なんぼでも出てくるものではある事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

 

まぁ、

だからとは言っても、

 

歴史に存在するからとは言っても、

 

その歴史自体が、

そもそもとして、

 

「現代でもあり、未来の我々にとって、有用性があるかどうか??」

って問題は、

 

いささか、疑問も残るものでもありますし、

また、

 

歴史そのものが、

そもそもとして、

 

それを描いた人々でもあり、

その当時の権力者達にとって、

都合が良い解釈と、されているのが、

 

当たり前ではあるでしょうから、

 

我々は、我々にとって、

 

都合が良い解釈を、用意していく必要性ってものも、

存在するのでしょう。

 

 

 

 

ま、その為に、

 

歴史的な解釈でもあり、

 

それを出汁とした、

ストーリーでもあり、世界観でもあり、ゲーム性・・・・・・・・、

即ち、

 

エンタメ的な要素を活用して、

 

自分でこそ、自分ならではのご都合を、

描いて行くって事もまた、

 

肝要にはなってくるものなのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

 

要するに、

 

「内面をデザインする。」とは言っても、

 

そこには、

やっぱり、

 

大枠的な概念でもあり、カンプ案のようなものが、

存在していた方が、

何かと、楽にもなるでしょうし、

 

そもそもとして、

 

それが有名であればある程、

 

人と共有しやすくなる・・・・・・って事ではありますが、

 

それを自分用とする場合においては、

 

好き勝手に、

 

細部のディティールを、

描いてしまう方が、良いものとなるし、

 

共有するのは、

そもそもとして、

 

その大枠的な要素からで良いけど、

 

その好き勝手に、ディティールを描いて行く事が出来た、

自分用を、気に入ってくれた人とは、

 

何かと、「馬が合う。」のもまた、

当たり前にはなるでしょうが・・・・・・・・・、

 

 

これまたそもそもとして、

 

それも突き詰めていけば、

その、

 

「馬が合う。」人用の、

「個人的な、内面のデザイン。」ってものは、

 

自分自身用のデザインとの違いってものを、

ある意味、

発掘してしまうもんでもあり・・・・・・・、

 

中々、悩ましい問題でありつつも、

 

自分軸に、立ち返らざるを得ない問題とは、

なってくるものなのでしょうね・・・・・・・。

 

 

 

 

まぁ、だからとは言っても、

 

それはある種の、

 

「贅沢な悩み。」でもあり、

 

中間距離でもあり、中庸に立ち返れば、

 

また1から、

加点方式で、

 

人との関係性を、構築していけるものとはなるのでしょうし、

 

加点方式でもあり、

 

100点を狙わないで、

平均点以上を踏まえるからこそ、

 

精神的にも、安定してられるって事でも、

あるのでしょうね。

 

 

 

100点狙いであれば、

 

基本的には、

 

減点方式になってしまい、

 

マイナスばかりに、気を煩わせる事には、

なってしまうものではあるでしょうから。

 

 

 

 

 

まぁ、

そもそもとして、

 

その数字で表現している100点ってものは、

 

現実的に言えば、

 

数字では無く、

 

何か、具体的な物事として、

表現されるものでもあり・・・・・・・、

 

そもそもとして、

 

自分自身の100点を、

 

抽象化ならともかく・・・・・・、

 

 

具体化出来る人なんて、

そ〜そ〜いませんでしょうし、

 

具体的なら、具体的で、

 

何か、危うさだけが、

悪目立ちするものとは、なってしまう事でしょう・・・・・・・(^^;)

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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