スピリチュアルとは、体験を交えて語る事で、理解を深めるもの。 | キンジの自分軸哲学

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~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

 

 

 

どもども。

 

今年のおみくじは、

去年に引き続き中吉だった、

キンジです。

 

大吉、中吉、小吉、末吉ってあるんだから、

勘吉(こち亀)もあっても面白いと思う、

今日この頃ではありますね・・・・・・。(いらんか笑)

 

 

 

あ、

さてさて、

 

 

でわ早速、

本日の考察に入って参ろうと思います。

 

 

 

まず最初に、

 

スピリチュアルと言いますと、

目に見えない領域の事とは言いますが、

そもそもとして、

 

まず最初に、

 

目に見える領域を、

ど〜こ〜しないで、

目に見えない領域をど〜こ〜しようってのは、

頂けないスタンスではある事でしょう・・・・・・・・・。

 

 

 

即ち、

 

自分自身は、何もしないで、

棚からぼた餅の如く、

この世の中でもあり、世界自体を、

渡り歩いて行こう・・・・・・っていう風な、

一種の、

 

とんでも無い奴を、妄想してしまいガチではありますが、

 

まぁ、

そもそもとして、

 

御体満足な人であれば、

 

「何の行動も起こさない。」って事自体が、

とても難しいものでもありますから、

 

大前提として、

 

自分自身の行動を踏まえた上で、

さらに、

 

目に見えない領域を、上手く活用していければ良いという風な、

スタンスにて、

初めて、

 

そのスピリチュアル性ってものに、

意義ってものが、出来上がって行くものとはなるのでしょうね。

 

 

 

 

即ち、

 

自分自身が意図しようが、意図しまいがお構いなく、

 

そのスピリチュアル性ってものは、

 

自分自身の思い込みも含まれた上で、

 

主観的に言えば、

 

増幅されて、そこに、

法則性ってものが、存在している様に、

見えてくるものなんでしょうね。

 

 

 

まぁ、だからこそ、

上記で言った、

 

自分自身が意図しようが、意図しまいがお構いなくを、

全部、俯瞰的に見た上で、

 

「意図した。」

 

もしくは、

 

「意識的に行った。」と、認識する事で、

その法則に、真実味が出来上がるものとはなります。

 

 

 

 

・・・・・・・が、

とは言っても、

 

だからが故に、

そこに、

 

自我というか、自己ってものが、

含まれている実感を持つ為には、

キチンと、

 

意図的な行動を、

普段からとっておく必要性があるのです

 

 

 

 

まぁ、

だからこそ言いますが、

 

その意図的な行動習慣ってものは、

あまり、

 

大層な、大きな概念を掲げて、

行動を起こすのでは無く、

キチンと、

 

枠を制定して、絞った上での、

意図的な行動ってものが、

必須にはなるだろうし・・・・・・・、

 

その時点で既に、

 

行動マネジメントってものが、

始まっているととってもらっても、

差し支えない程ではある事でしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

また、

それらを踏まえた上でも更に、

 

そのスピリチュアル性ってものが、

 

自分自身にとって、

 

活用しづらい側面があるのであれば、

そこから更に、

 

自分自身の環境を変化させる事が、

肝要とはなる事でしょうし・・・・・・・・、

 

もっと身近な、

手が届く範囲の事を言えば、

 

自分自身が身に着けるものや、

自分自身の身の回りに普段置いておく物や、

自分自身の趣味趣向を見渡して、

 

尚且つ、

 

その芸術性やゲーム性、

 

世界観に注目してみる事もまた、

忘れてはならない事とはなるのでしょうね。

 

 

 

 

要するに、

 

勿論、

 

身近な行動から始めるのは、

「当たり前。」だとしても、

 

要は、

 

その身近な行動は、

そもそもとして、

目に見えない領域、

 

即ち、

 

スピリチュアルな領域を、

補う為にこそ、役に立つ側面もありますし、

 

そのようにして、

 

無知な状態、

即ち、

 

情報量が少な過ぎて、混乱する状態を回避する為にこそ、

その絞った上での行動ってものが、

役に立ってくるものではあります。

 

 

 

 

し、

 

その身近な行動+、

 

自分自身が身に着けるもの、

自分自身の身の回りのもの、

自分自身の趣味趣向ってものが、

 

自分独自のカスタマイズされた、

情報の構築を、生み出すものとはなっている事なのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

その為には、

 

勿論、

 

上記の、

自分自身が身に着けるもの、

自分自身の身の回りにおくもの、

自分自身の趣味趣向ってものを、

 

人の物真似では無く、

組み合わして、

 

全体像としては、

独自性=ユニーク性が存在していればいる程、

 

その人のクリエイティブ性は、

 

他ではあまり見かけないような・・・・・・、

レア感でもあり、面白味が出来上がって行く事とはなる事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

・・・・・・・が、

とは言っても、

 

そこに必須になってくるのは、

これまた、

 

芸術性のレベル如何とは、

なってくる事でしょうし、

 

そもそもとして、

 

レア感でもあり、面白みを感じるような、

カスタマイズされたセンスってものは、

 

芸術性が存在しない事には、

中々、

 

その領域まで、

人は感知することが、不可能なものとなるでしょうし・・・・・・・、

 

その魅力性とか、カリスマ性ってものは、

結局は、

 

その芸術性でもあり、世界観でもあり、

ゲーム性ってものが、

醸し出される事によって、

人に伝わるからこそ、

 

そのように定義されて行くものなのでしょうね。

 

 

まぁ、

その魅力性とか、カリスマ性とは言いましても、

 

それがそのまんま、

 

世間一般で言う、

モテに繋がるかどうかは、

定かでは無いものとなるだろうし・・・・・・・、

 

芸術性とか、世界観とか、ゲーム性が突出されて行けば、

どちらかと言えば・・・・・・・、

 

色物の類に入ってくるものとなるでしょうが、

 

色物扱いでありながら、

何故か、居心地の良さのような・・・・・・、

 

言葉ではあまり、

上手く表現しきれませんが(笑)、

 

どちらかと言えば、

 

モテよりももっと、

保守性が存在し、

更に、

 

展開性に優れたものとはなって行くものなのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

また、

そのような、

 

芸術性、世界観、ゲーム性を持ってして、

構築されたスピリチュアル性には、

 

それを広める事により、

少なくとも、

 

その芸術性、世界観、ゲーム性の発展でもあり、

繁栄を、望める代物ともなるでしょうから、

尚更、

 

自分自身の芸術性を、磨いて行く事が、

肝要とはなるのでしょう・・・・・!!

 

 

 

その為には、

 

人の世界観でもあり、

ゲーム性の出汁となっているであろう、

 

芸術性を、真似る事から始めるのが、

大切な事ではあります。

 

 

 

まぁ、

真似ると言うよりかは・・・・・、

 

身に付けたり、身近に置いたり、趣味趣向として取り入れる事によって、

 

そのまんま、

 

自分自身の、クリエイティブ性の一部として、

組み込んで行くって事ではあるのでしょうね。

 

 

 

それでこそ、

 

自分自身のクリエイティブ性でもあり、

オリジナリティってものを、

 

磨き上げることが可能になるものではありますが・・・・・・、

 

だからとは言っても、

そこに、

 

自分自身の意図ってものを、

確固として反映させる為には、

 

ペーペーでもあり、

早い内から、

 

自分自身の趣味趣向ってもの、

もしくは、

 

ポリシーってものを、構築して行く必要性もまた、

無くてはならないものとはなるでしょうが・・・・・・・、

 

だからとは言っても、

そこには、

キチンと、

 

PDCAサイクルが如く、

 

改善して行く領域でもあり、変化を付けて行く領域もまた、

用意しておかない事には、

 

人としての柔軟性ってものが、

欠如しかねないものとはなる事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

即ち、

 

むしろ、

 

ポリシーとか、趣味趣向ってものは、

コアな部分だけで良いとも言えるだろうし、

 

だからこそ、

 

自分自身の手の届く範囲から、

 

自分自身の行動を、コンパクトにマネジメントする必要性もあるし、

 

芸術性でもあり、世界観、ゲーム性ってものを、

 

構築して行くことが、

望ましいものではあるのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

そうやって、

結局は、

 

完全には消えて無くならないであろう・・・・・・・、

 

自分自身の趣味趣向や、ポリシーとは反する、

芸術性でもあり、世界観、ゲーム性と、

 

永遠に続くであろう、

 

代理戦争を、繰り広げて行く事とはなるのでしょうが、

 

その代理戦争ってものは、

結局は、

 

芸術性でもあり、世界観でもあり、ゲーム性がモノを言うものでもあり、

 

そのレベルによって、

 

魂でもあり、現実的なステージってものが、

高まって行くことが、決定されて行くものなのでしょうね。

 

 

 

まぁけれども、

 

その芸術性でもあり、世界観でもあり、ゲーム性ってものは、

 

主観的なものでもあり、俯瞰的なものでもありますから、

 

自分自身の趣味趣向を磨き上げることによって、

少なくとも、

 

主観世界においては、

 

魂のステージを、

高め続ける事が、

身近な行動を持ってして、可能であるはずです・・・・・!!

 

 

 

そこから、

客観的でもあり、俯瞰的な、

 

芸術性を高めて行けば良いものでもあり、

 

いきなり、

客観性でもあり、俯瞰性を求めても、

手に負えないものとなるでしょうから、

 

まずは、

 

自分自身の魂のステージと言ったような、

 

器を磨き続けるって事が、

肝要とはなるのでしょうね。

 

 

 

それによって、

 

自分自身の影響力を発揮する、

意義とか、覚悟ってものが、

自然と備わって行くはずでしょうし、

 

それによって、

 

自分自身の行動による、

影響の結果ってものを、

 

自分自身が納得出来得るレベルで、

受け取る事が可能にはなるはずでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それは結局は、

 

「人からは違うとは言われても、自分にとってはこうだ。」と、

言えるものともなり、

 

代理戦争においての、

 

闘争本能=生存本能=生きる活力となる事によって、

 

モチベーションとセルフエフィカシーとなって行くものとなる事なのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

どちらかと言えば、

 

モチベーションは、

 

趣味趣向や、芸術性、世界観、ゲーム性の、

明らかな違いによって、

湧き起こるものとはなるでしょうが・・・・・・・、

 

セルフエフィカシーは、

 

実際に、

 

自分自身が、身近な行動として行った上で、

ムクムクと、湧き上がって行くものではある事でしょう。

 

 

 

それはある種の、

殺意的なものかも知れませんが・・・・・・・(苦笑)、

 

代理戦争であれば、

 

その殺意的なものも、

芸の肥やしでもあり、

 

芸術性でもあり、世界観でもあり、ゲーム性として、

昇華させる事で、

 

成仏させる事もまた、可能ではあります。

 

 

 

むしろ、

 

その殺意的なものを、否定して、

見てみない振りをした方が何かと、

 

殺人事件とかまでは、

中々、発展しないまでも、

 

暴力的な出来事として、

発展する可能性があるだけに・・・・・・、

 

代理戦争においては、

 

感情ってものは、全て、

表現する為に存在しているものとして、

理解しておく必要性もありますし、

 

その表現は、

出来れば、

 

自暴自棄な、消費行動じゃあ無くて、

 

エンタメなり、ゲームなり、芸術的な活動の方に向けた方が、

 

今後の、未来視点の為と、

なって行くでしょうし、

 

それを前提とした消費は、まぁ、

いいんじゃあ無いでしょうか・・・・・・・(笑)。

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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