コンフォートゾーンの意味と、抜け出す為の第一歩とは?? | キンジの自分軸哲学

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どもども。

 

キンジです。

 

 

コンフォートゾーンって言いますと、

 

コーチングの用語で使われる用語・概念でもあり、

 

コンフォートゾーン・パニックゾーン・ラーニングゾーンと言う、

3つの用語・概念によって用いられるものでもあり、

 

コンフォートゾーン=居心地が良い、過去の繰り返しの領域の事を指し表し、

 

パニックゾーン=居心地が悪い、未知の領域の事を指し表し、

 

ラーニングゾーン=コンフォートゾーンとパニックゾーンの、

両方の領域が、重なり合う部分でありながら、

 

そのバランス配分が絶妙で、かつ、

 

学習効果・・・・・・って言うよりかは、

 

成長効果が期待出来る領域の事を、

指し表す用語・概念ではあります。

 

 

 

 

・・・・・・・・で、

そもそも論として、

 

ラーニングゾーンってものが、

所謂、

 

正解に当たる概念ではあるのですが・・・・・・・、

 

そのラーニングゾーンを、

適切に、現実に当てはめて行く為には、

 

そもそもとして、

 

コンフォートゾーンや、パニックゾーンってものに、

フォーカスを当てて、

そのバランス配分によって、

現実的に、

ラーニングゾーンってものを、

生み出して行く必要性があるものなのです。

 

 

 

 

だからこそ、

 

そのコンフォートゾーンってものは、

過去の繰り返しでもあり、

保守的なものではあるのですが・・・・・・、

 

別の言い方をすれば、

 

何も考えずに、

粛々と、実行していける領域の事ではありますから、

 

その領域こそ、

 

概念化し、抽象度を高めて、

色んな物事に、応用・流用していけるようになるって事が、

望まれるものではあるのですし、

 

パニックゾーンってものは、

そもそもとして、

 

その段階においては、

 

そのコンフォートゾーンから、

剥離した物事全般の事を、

指し表すものでしょうから、

 

そのパニックゾーンの中から、

 

案外平気であるとか、

意外と得意であったという風な・・・・・・、

 

ラーニングゾーンってものを、

抽出して、選別して行くって事が、

重要な要素にはなってくるものでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

 

そのような、

物事の最初の段階においては、

 

いきなり、

 

理想論的な、ラーニングゾーンってものを、

決めてかかるよりかは・・・・・・・、

 

最悪の想定基準としての、

 

コンフォートゾーンと、それ以外のパニックゾーンと言う風な、

自分自身の既知の領域と、

未知の領域+グレーゾーンと言う感じに、

 

二元論として、

分けて考えて行く方法論ではありますね??

 

 

 

 

まただからこそ言える事ではありますが・・・・・・・、

 

そのコンフォートゾーンってものは、

 

深い理解と習慣に裏付けされた、

理解度が高く、尚且つ、再現性も高いものを、

用意する事が可能にはなりますし、

 

また、

 

出来うる限り、

グレーゾーンってものを、

排除して行く事もまた、

可能にはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

 

グレーゾーン=パニックゾーン(仮)として、

扱えるようになるって事ですし、

 

それは逆に言えば、

 

コンフォートゾーンってものは、

小さな領域で構わないって事には、

当てはまってくるものでしょう。

 

 

 

その小さな領域でもあり、

 

小さな世界観でもあり、

 

小さなゲーム性のようなものを、

概念として抽出し、

 

実際に使われる、体の動きや、作業工程等を考慮して、

 

色んな物事に、応用・流用する事が、

可能になるものなのですし、

 

その応用・流用によって、

そもそもとして、

 

そのコンフォートゾーンには、

パニックゾーンと、ラーニングゾーン、

両方の概念が、付いてくるものとなり得るのです・・・・・・・・!!

 

 

 

 

但し、

ここでも言える事ではありますが・・・・・・、

 

そのパニックゾーンと、ラーニングゾーンってものの、

区別は付かないって考えた方が、

 

最悪的な想定としては、

正しくはある事でしょうし、

 

またそもそもとして、

 

ラーニングゾーンってものは、

ある一定の結果を持ってして、

初めて、

ラーニングゾーンと定義出来うると見ておいた方が、

無難ではあるでしょうし・・・・・・・、

 

それは極論としては、

 

自分自身の世界観でもあり、ストーリー性でもあり、

ゲーム性が終わりを迎えて初めて、

定義出来うるものでもありますから、

 

我々、

生きている人が、

定義する場合においては、

 

どこまで行っても、ラーニングゾーン(仮)となるのが、

普遍的尚且つ、真理的な、

万人に適合する、ラーニングゾーンとはなってしまうもんなのでしょう・・・・・・・・。

 

 

 

まぁ、

だからとは言っても、

 

それを特定の個人でもあり、

自分自身とすれば、

そこには、

 

確かな答えでもあり、

確かな正解の形態ってものが、

存在するだろうし・・・・・・、

 

答えでもあり、正解とする為に、

自分自身の在り方をかけて、主張する事は、

可能ではあるでしょうが。

 

 

 

主張と言うよりかは・・・・・・・、

表現するって事の方が、

望ましいものなのかも知れませんし、

 

その表現ってものは、

 

答えでもあり、正解を伝える・・・・・・って言うよりかは、

 

自分自身の答えでもあり、正解を護る為にこそ、

必要となるものでもあり、

 

その答えでもあり、正解を保持しつつ、

それを持って、

行動し続ける為にこそ、

必要となる表現法でもあり、

 

それは別に、

 

世間一般的に見て、

決して、正解には見えなくても良いでしょうが、

 

 

そもそもとして・・・・・・・、

 

 

世間一般的には、答えとか正解ってものは、

存在していないのが、常ではある事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

何故ならば、

 

そんなに答えでもあり、正解が蔓延しているのであれば、

 

その世間一般は、

 

成功者だらけであるハズだからではありますね・・・・・??(笑)

 

 

 

 

即ち、

 

一般論とか、大衆向けの情報ってものは、

基本的には、

 

罰を与えたり、足切りゾーンを作る為に、

作られて、共有されているものではありますから・・・・・・・、

 

そこには、

 

完全なる間違いは存在していても、

完全なる正解ってものは、

存在していないものなのでしょう。

 

 

 

だからこそ、

例え、

 

暫定的であったとしても、

 

個人の答えでもあり、正解ってものは、

 

その個人の責任を持ってして、

保持しつつ、護って行く必要性があるものなのですし、

 

その為に必要となる、

表現=アウトプットってものが、

必須にはなってくるものなのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

また、

 

コンフォートゾーンを抜け出すとは言いましても・・・・・・・、

コンフォートゾーンを捨ててしまっては、

ただただ、

 

「生き辛くなる。」だけでしょうから・・・・・・、

 

そのコンフォートゾーンの、

応用・流用性を高めて、

 

他の分野でもあり、

その他の事柄に、実際に、

応用・流用して行く試みが、

必要とはなる事でしょうし、

 

まぁ、そもそもとしては、

その、

 

 

概念化し、抽象度を高めたコンフォートゾーンの、

応用・流用でき得る分野や、物事から、

始める事が、最適ではある事でしょうが・・・・・・・、

 

新しく、未知の分野に飛び込んだ際も、

結局は、

 

結果的に、

 

そこに、自分自身のコンフォートゾーンの、

応用性・流用性ってものを、

発見でき得るでしょうし、

 

なんだかんだ言っても、

 

そのような部分だからこそ、

「居心地の良さ。」が、生まれている・・・・・って見解ですね。

 

 

 

 

し、

 

それを発見出来たからこそ、

 

自分自身にとっての、

ラーニングゾーンを、

 

パニックゾーンの中から、

探し当てる事が、

可能にはなるのだろうし・・・・・・・、

 

それを持ってして、

 

そのバランス感覚を、養って行く事が、

可能になるのです・・・・・・・・!!

 

 

 

また、

 

コンフォートゾーンの、

応用・流用とは言いましても・・・・・・、

 

同じ分野でもあり、専門性を、

また、別の人と場所で行うって事は、

そもそもとして、

 

自分自身の、ラーニングゾーンの目星が付いている、

上級者でもあり、熟練者の方法論でもあり、

 

そのような人達は、

そもそもとして、

 

パニックゾーンに踏み込むと言ったような、

未知の領域に取り掛かる、

新しい経験値を、蓄える事が、

習慣になっている人達でもあり、

 

そこがまだまだ、

中級・初級だと、思う人には、

あまり、

 

お勧め出来ない方法論ではありますね・・・・・・・・。

 

 

 

中級・初級の人にとっては、

そもそもとして、

 

自分自身の、ラーニングゾーンってものが、

掴めていない人達でもありますから、

 

新しい経験をしても、

 

自分自身の、コンフォートゾーンと、

かけ離れてしまうか、

 

もしくは、

 

コンフォートゾーンでしか、

行動しないってこともまた、

起こってしまうのでしょう・・・・・・・(^^;)

 

 

 

僕自身の見解としては・・・・・・、

その、

 

自分自身の、コンフォートゾーンと、

一見、かけ離れているように見えて、

実は、

関連しているって見える領域が、

 

客観的に言えば、

 

ラーニングゾーンと見える領域であるとも言えますが・・・・・・、

 

そこが、

そのまんま、

 

「自分自身の答えでもあり、正解か??」と問われれば、

 

決して、それだけじゃあ無いとも言えてしまえるものではありますが、

 

そもそもとして、

 

一般論としては、

 

全く、関連性が見えないような分野を、

 

自分自身のコンフォートゾーンの、

応用・流用を駆使して、

繋げてしまえた方が、

 

客観的には、

 

おいしく・面白く・ユニークに写るものではありますが・・・・・・・、

 

そもそもとして、

 

ラーニングゾーンの答えでもあり、正解ってものは、

 

それを続けて、繰り返す事に、

意義が存在し、

 

それによって、

 

自分自身の答えでもあり、正解たり得るものでもありますから、

 

キチンと、

 

自分自身の心と向き合って、

 

自分自身のコンフォートゾーンと、

パニックゾーンの配分を考慮して、

マネジメントする必要性もある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

 

客観的に、

おいしく・面白く・ユニークである領域ってものは、

 

そのバランス配分的には、

 

パニックゾーンが、多くを占めるような・・・・・・・、

 

所謂、

 

自分自身にとって、

 

「居心地が悪い。」領域であると考えた方が、

 

最悪の想定的にも、

無難ではある事でしょう・・・・・・・・。

 

 

 

まただからこそ、

 

自分自身のコンフォートゾーンの、

応用・流用性を高めるって行為が、

 

それに対抗し得る、唯一無二の手段にはなるでしょうし、

 

それは、

ただ単に、

 

「無理を通せば、道理が引っ込む。」なぁ〜〜〜〜んて・・・・・・・、

 

漫画のキャラクターのようには、

行かない代物とはなる事でしょうよ・・・・・・(苦笑)。

 

 

 

現実的には、

 

「無理を通せば、キッカリしわ寄せがくる。」の方が、

正解でしょうし・・・・・・・、

 

だからが故に、

 

その余力を創造し、

 

その余力を持ってして、

 

「余力を持ってして、ゲーム性を高める。」とか、

 

「余力を持ってして、難易度調整を図る。」と言ったような・・・・・・、

 

セルフマネジメントが、必須にはなる事でしょうし、

 

そもそもとしては、

 

人生的、現実的な無理とは、

結局は、

 

死に直結する事や、

 

より良い人生とか、より良い生活の反対に当たる、

じわじわ悪くなる人生とか、ジリ貧になる生活に、

当てはまってくるのですから・・・・・・(苦笑)、

 

それを回避する為にも、

 

自己投資=自分自身の、贅沢性を追求するって事が、

必須にはなってくるのでしょうね。

 

 

 

 

まとめとしては、

 

コンフォートゾーンの応用・流用性を高める事と、

後は、

 

そのコンフォートゾーンの抽象度を高める為にも、

 

確実・正確に再現出来うる、

コンフォートゾーンの領域を、

抽出する事に尽きるのでしょう・・・・・・・!!

 

 

そのコンフォートゾーンってものは、

 

小さい方が良いだろうし、

小さい方が、

色んな物事に、応用・流用出来得る可能性が存在するのです。

 

 

 

後は、

 

その応用・流用性の為の、

 

居場所=基地を用意しつつも、

パニックゾーンに、狩りでもあり、

戦いに赴くイメージでしょうか(笑)。

 

 

 

 

やばくなってきたら、

無理せずに、

 

コンフォートゾーン=居場所=秘密基地に、

逃げ込む事が、重要になるでしょうし、

 

それは段々と・・・・・・、

 

コンフォートゾーンの、

応用性・流用性が高まったり、

コンフォートゾーンの、

応用性・流用性の数が増えて行く事によって、

 

レベルが上がり、基礎体力が高まり、

攻撃力・守備力・スピード・魔力が高まり・・・・・・etc、

 

パニックゾーンに滞在でき得る時間が増える事により、

ラーニングゾーンを、

模索し易くはなって行く事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それは、

ある種のゲーム性だと考えるからこそ、

 

敵にやられる=ゲームオーバーだとしても、

コンテニューとか、やり直しが効く想定にはなるでしょうが・・・・・・・、

 

ガチの、

 

バーチャルリアリティ想定だと、

 

敵にやられる=死とか、

捕虜にされるとか、

ガチガチの、戦争思考になってしまう可能性もあるので、

注意が必要ではある事でしょう・・・・・・・・。

 

 

 

 

ゲーム性想定の、

出来レースだからこそ、

 

人間向けに、対話で解決ができ得るものでもあり、

 

勿論、

それは、

 

行動ありきの対話でありますが、

 

戦争前提の、

天使と悪魔の戦いの代理のようには、

なって行かないハズであると、願いたいものではあります・・・・・・。

 

 

 

 

まぁ、

 

悪魔性と悪魔性は、対話が可能ではあるでしょうし、

天使性と天使性もまた、

対話が可能ではある事でしょうが、

 

その、

 

天使と悪魔の戦いってものは、

あくまでも、

 

自分自身の内観にて、行って行きたいものでもありますし、

 

それもまた、

 

行動・表現を持ってして、

戦うものでもありますし、

 

マインドセットにて、対話も行われるものでもあるのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それもまた、

 

悪魔性・天使性、

両方の心が、誰しもの心に存在するって言う前提の話でもありますし、

 

その両方が存在してこその、

 

人間性・人間臭さ・キャラクターってものではあるでしょうから。

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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