Daniel KirschによるPixabayからの画像
どもども。
キンジです。
コンフォートゾーンって言いますと、
コーチングの用語で使われる用語・概念でもあり、
コンフォートゾーン・パニックゾーン・ラーニングゾーンと言う、
3つの用語・概念によって用いられるものでもあり、
コンフォートゾーン=居心地が良い、過去の繰り返しの領域の事を指し表し、
パニックゾーン=居心地が悪い、未知の領域の事を指し表し、
ラーニングゾーン=コンフォートゾーンとパニックゾーンの、
両方の領域が、重なり合う部分でありながら、
そのバランス配分が絶妙で、かつ、
学習効果・・・・・・って言うよりかは、
成長効果が期待出来る領域の事を、
指し表す用語・概念ではあります。
・・・・・・・・で、
そもそも論として、
ラーニングゾーンってものが、
所謂、
正解に当たる概念ではあるのですが・・・・・・・、
そのラーニングゾーンを、
適切に、現実に当てはめて行く為には、
そもそもとして、
コンフォートゾーンや、パニックゾーンってものに、
フォーカスを当てて、
そのバランス配分によって、
現実的に、
ラーニングゾーンってものを、
生み出して行く必要性があるものなのです。
だからこそ、
そのコンフォートゾーンってものは、
過去の繰り返しでもあり、
保守的なものではあるのですが・・・・・・、
別の言い方をすれば、
何も考えずに、
粛々と、実行していける領域の事ではありますから、
その領域こそ、
概念化し、抽象度を高めて、
色んな物事に、応用・流用していけるようになるって事が、
望まれるものではあるのですし、
パニックゾーンってものは、
そもそもとして、
その段階においては、
そのコンフォートゾーンから、
剥離した物事全般の事を、
指し表すものでしょうから、
そのパニックゾーンの中から、
案外平気であるとか、
意外と得意であったという風な・・・・・・、
ラーニングゾーンってものを、
抽出して、選別して行くって事が、
重要な要素にはなってくるものでしょう・・・・・・・!!
即ち、
そのような、
物事の最初の段階においては、
いきなり、
理想論的な、ラーニングゾーンってものを、
決めてかかるよりかは・・・・・・・、
最悪の想定基準としての、
コンフォートゾーンと、それ以外のパニックゾーンと言う風な、
自分自身の既知の領域と、
未知の領域+グレーゾーンと言う感じに、
二元論として、
分けて考えて行く方法論ではありますね??
まただからこそ言える事ではありますが・・・・・・・、
そのコンフォートゾーンってものは、
深い理解と習慣に裏付けされた、
理解度が高く、尚且つ、再現性も高いものを、
用意する事が可能にはなりますし、
また、
出来うる限り、
グレーゾーンってものを、
排除して行く事もまた、
可能にはなる事でしょう・・・・・・・!!
即ち、
グレーゾーン=パニックゾーン(仮)として、
扱えるようになるって事ですし、
それは逆に言えば、
コンフォートゾーンってものは、
小さな領域で構わないって事には、
当てはまってくるものでしょう。
その小さな領域でもあり、
小さな世界観でもあり、
小さなゲーム性のようなものを、
概念として抽出し、
実際に使われる、体の動きや、作業工程等を考慮して、
色んな物事に、応用・流用する事が、
可能になるものなのですし、
その応用・流用によって、
そもそもとして、
そのコンフォートゾーンには、
パニックゾーンと、ラーニングゾーン、
両方の概念が、付いてくるものとなり得るのです・・・・・・・・!!
但し、
ここでも言える事ではありますが・・・・・・、
そのパニックゾーンと、ラーニングゾーンってものの、
区別は付かないって考えた方が、
最悪的な想定としては、
正しくはある事でしょうし、
またそもそもとして、
ラーニングゾーンってものは、
ある一定の結果を持ってして、
初めて、
ラーニングゾーンと定義出来うると見ておいた方が、
無難ではあるでしょうし・・・・・・・、
それは極論としては、
自分自身の世界観でもあり、ストーリー性でもあり、
ゲーム性が終わりを迎えて初めて、
定義出来うるものでもありますから、
我々、
生きている人が、
定義する場合においては、
どこまで行っても、ラーニングゾーン(仮)となるのが、
普遍的尚且つ、真理的な、
万人に適合する、ラーニングゾーンとはなってしまうもんなのでしょう・・・・・・・・。
まぁ、
だからとは言っても、
それを特定の個人でもあり、
自分自身とすれば、
そこには、
確かな答えでもあり、
確かな正解の形態ってものが、
存在するだろうし・・・・・・、
答えでもあり、正解とする為に、
自分自身の在り方をかけて、主張する事は、
可能ではあるでしょうが。
主張と言うよりかは・・・・・・・、
表現するって事の方が、
望ましいものなのかも知れませんし、
その表現ってものは、
答えでもあり、正解を伝える・・・・・・って言うよりかは、
自分自身の答えでもあり、正解を護る為にこそ、
必要となるものでもあり、
その答えでもあり、正解を保持しつつ、
それを持って、
行動し続ける為にこそ、
必要となる表現法でもあり、
それは別に、
世間一般的に見て、
決して、正解には見えなくても良いでしょうが、
そもそもとして・・・・・・・、
世間一般的には、答えとか正解ってものは、
存在していないのが、常ではある事でしょう・・・・・・・。
何故ならば、
そんなに答えでもあり、正解が蔓延しているのであれば、
その世間一般は、
成功者だらけであるハズだからではありますね・・・・・??(笑)
即ち、
一般論とか、大衆向けの情報ってものは、
基本的には、
罰を与えたり、足切りゾーンを作る為に、
作られて、共有されているものではありますから・・・・・・・、
そこには、
完全なる間違いは存在していても、
完全なる正解ってものは、
存在していないものなのでしょう。
だからこそ、
例え、
暫定的であったとしても、
個人の答えでもあり、正解ってものは、
その個人の責任を持ってして、
保持しつつ、護って行く必要性があるものなのですし、
その為に必要となる、
表現=アウトプットってものが、
必須にはなってくるものなのでしょう・・・・・・!!
また、
コンフォートゾーンを抜け出すとは言いましても・・・・・・・、
コンフォートゾーンを捨ててしまっては、
ただただ、
「生き辛くなる。」だけでしょうから・・・・・・、
そのコンフォートゾーンの、
応用・流用性を高めて、
他の分野でもあり、
その他の事柄に、実際に、
応用・流用して行く試みが、
必要とはなる事でしょうし、
まぁ、そもそもとしては、
その、
概念化し、抽象度を高めたコンフォートゾーンの、
応用・流用でき得る分野や、物事から、
始める事が、最適ではある事でしょうが・・・・・・・、
新しく、未知の分野に飛び込んだ際も、
結局は、
結果的に、
そこに、自分自身のコンフォートゾーンの、
応用性・流用性ってものを、
発見でき得るでしょうし、
なんだかんだ言っても、
そのような部分だからこそ、
「居心地の良さ。」が、生まれている・・・・・って見解ですね。
し、
それを発見出来たからこそ、
自分自身にとっての、
ラーニングゾーンを、
パニックゾーンの中から、
探し当てる事が、
可能にはなるのだろうし・・・・・・・、
それを持ってして、
そのバランス感覚を、養って行く事が、
可能になるのです・・・・・・・・!!
また、
コンフォートゾーンの、
応用・流用とは言いましても・・・・・・、
同じ分野でもあり、専門性を、
また、別の人と場所で行うって事は、
そもそもとして、
自分自身の、ラーニングゾーンの目星が付いている、
上級者でもあり、熟練者の方法論でもあり、
そのような人達は、
そもそもとして、
パニックゾーンに踏み込むと言ったような、
未知の領域に取り掛かる、
新しい経験値を、蓄える事が、
習慣になっている人達でもあり、
そこがまだまだ、
中級・初級だと、思う人には、
あまり、
お勧め出来ない方法論ではありますね・・・・・・・・。
中級・初級の人にとっては、
そもそもとして、
自分自身の、ラーニングゾーンってものが、
掴めていない人達でもありますから、
新しい経験をしても、
自分自身の、コンフォートゾーンと、
かけ離れてしまうか、
もしくは、
コンフォートゾーンでしか、
行動しないってこともまた、
起こってしまうのでしょう・・・・・・・(^^;)
僕自身の見解としては・・・・・・、
その、
自分自身の、コンフォートゾーンと、
一見、かけ離れているように見えて、
実は、
関連しているって見える領域が、
客観的に言えば、
ラーニングゾーンと見える領域であるとも言えますが・・・・・・、
そこが、
そのまんま、
「自分自身の答えでもあり、正解か??」と問われれば、
決して、それだけじゃあ無いとも言えてしまえるものではありますが、
そもそもとして、
一般論としては、
全く、関連性が見えないような分野を、
自分自身のコンフォートゾーンの、
応用・流用を駆使して、
繋げてしまえた方が、
客観的には、
おいしく・面白く・ユニークに写るものではありますが・・・・・・・、
そもそもとして、
ラーニングゾーンの答えでもあり、正解ってものは、
それを続けて、繰り返す事に、
意義が存在し、
それによって、
自分自身の答えでもあり、正解たり得るものでもありますから、
キチンと、
自分自身の心と向き合って、
自分自身のコンフォートゾーンと、
パニックゾーンの配分を考慮して、
マネジメントする必要性もある事でしょう・・・・・・!!
即ち、
客観的に、
おいしく・面白く・ユニークである領域ってものは、
そのバランス配分的には、
パニックゾーンが、多くを占めるような・・・・・・・、
所謂、
自分自身にとって、
「居心地が悪い。」領域であると考えた方が、
最悪の想定的にも、
無難ではある事でしょう・・・・・・・・。
まただからこそ、
自分自身のコンフォートゾーンの、
応用・流用性を高めるって行為が、
それに対抗し得る、唯一無二の手段にはなるでしょうし、
それは、
ただ単に、
「無理を通せば、道理が引っ込む。」なぁ〜〜〜〜んて・・・・・・・、
漫画のキャラクターのようには、
行かない代物とはなる事でしょうよ・・・・・・(苦笑)。
現実的には、
「無理を通せば、キッカリしわ寄せがくる。」の方が、
正解でしょうし・・・・・・・、
だからが故に、
その余力を創造し、
その余力を持ってして、
「余力を持ってして、ゲーム性を高める。」とか、
「余力を持ってして、難易度調整を図る。」と言ったような・・・・・・、
セルフマネジメントが、必須にはなる事でしょうし、
そもそもとしては、
人生的、現実的な無理とは、
結局は、
死に直結する事や、
より良い人生とか、より良い生活の反対に当たる、
じわじわ悪くなる人生とか、ジリ貧になる生活に、
当てはまってくるのですから・・・・・・(苦笑)、
それを回避する為にも、
自己投資=自分自身の、贅沢性を追求するって事が、
必須にはなってくるのでしょうね。
まとめとしては、
コンフォートゾーンの応用・流用性を高める事と、
後は、
そのコンフォートゾーンの抽象度を高める為にも、
確実・正確に再現出来うる、
コンフォートゾーンの領域を、
抽出する事に尽きるのでしょう・・・・・・・!!
そのコンフォートゾーンってものは、
小さい方が良いだろうし、
小さい方が、
色んな物事に、応用・流用出来得る可能性が存在するのです。
後は、
その応用・流用性の為の、
居場所=基地を用意しつつも、
パニックゾーンに、狩りでもあり、
戦いに赴くイメージでしょうか(笑)。
やばくなってきたら、
無理せずに、
コンフォートゾーン=居場所=秘密基地に、
逃げ込む事が、重要になるでしょうし、
それは段々と・・・・・・、
コンフォートゾーンの、
応用性・流用性が高まったり、
コンフォートゾーンの、
応用性・流用性の数が増えて行く事によって、
レベルが上がり、基礎体力が高まり、
攻撃力・守備力・スピード・魔力が高まり・・・・・・etc、
パニックゾーンに滞在でき得る時間が増える事により、
ラーニングゾーンを、
模索し易くはなって行く事でしょう・・・・・・・!!
それは、
ある種のゲーム性だと考えるからこそ、
敵にやられる=ゲームオーバーだとしても、
コンテニューとか、やり直しが効く想定にはなるでしょうが・・・・・・・、
ガチの、
バーチャルリアリティ想定だと、
敵にやられる=死とか、
捕虜にされるとか、
ガチガチの、戦争思考になってしまう可能性もあるので、
注意が必要ではある事でしょう・・・・・・・・。
ゲーム性想定の、
出来レースだからこそ、
人間向けに、対話で解決ができ得るものでもあり、
勿論、
それは、
行動ありきの対話でありますが、
戦争前提の、
天使と悪魔の戦いの代理のようには、
なって行かないハズであると、願いたいものではあります・・・・・・。
まぁ、
悪魔性と悪魔性は、対話が可能ではあるでしょうし、
天使性と天使性もまた、
対話が可能ではある事でしょうが、
その、
天使と悪魔の戦いってものは、
あくまでも、
自分自身の内観にて、行って行きたいものでもありますし、
それもまた、
行動・表現を持ってして、
戦うものでもありますし、
マインドセットにて、対話も行われるものでもあるのでしょう・・・・・・・!!
それもまた、
悪魔性・天使性、
両方の心が、誰しもの心に存在するって言う前提の話でもありますし、
その両方が存在してこその、
人間性・人間臭さ・キャラクターってものではあるでしょうから。
それらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・。
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